94人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
4:ツンデレ疑惑
この日の夜、ミアンは管理局で過ごした。管理局に来た警察からの事情聴取を受け、その後は管理局の仮眠室で一泊したという。もちろん夕食付きだ。
クレンも夜半まで事情聴取に応じ、一度家に戻って睡眠を取った。
昼間は悪魔の追跡に費やし、そして夜は田原春家の騒動に巻き込まれ──そこからの事情聴取で、疲れ切っていた。風呂に入るのも忘れての、爆睡であった。
その後朝八時に再度目が覚めると、遅くの朝風呂に入って簡素な朝食を摂る。
そして、荷造りを始めた。
管理局から正式に、ミアンの弟子入りを要請されたのだ。要請という名の、ほぼ強制だが。
しかしあいにく、クレンの住んでいる部屋はワンルームである。そのため管理局から弟子入りの要請と共に、個室付きの部屋への引っ越しを打診された。
おまけにもう、物件の目星もついており、引っ越し業者も手配済みであるという。なんという至れり尽くせりか。
流されるのが嫌いな、反骨精神の塊であるクレンだったが、管理局のイケイケドンドンには唯々諾々と従わざるを得なかった。
下手に反抗しようものなら、本当に干されかねない。
いっそ管理局付きという身分を辞め、フリーランスになってもいいのだが、管理局には色々と無理も聞いてもらっている。
今まで弟子も取らず、一人で気ままに生きて来られたのも、彼らに黙認されていたからだった。つまり恩義があるのだ。
そのような理由でクレンは大人しく、数少ない私物を段ボールに詰め込んでいた。
「年貢の納め時ということか。クソったれ」
ため息混じりに、こうぼやく。せめてもの抵抗だ。
ただ、管理局の都合による引っ越しであるため、上乗せされる賃料や引っ越し費用等々は全て管理局持ちだった。不幸中の幸いである。
粗方の荷造りを終えたところで、クレンは車で管理局へ向かった。
そこでミアンを拾い、一緒に田原春家へと走る。
彼女の荷物を引き上げるためだ。
ごくごく一般的な、黒の乗用車を運転するクレンは、後部座席のミアンを窺う。
「荷物を運ぶのならば、もっと大きな車の方が良かったのではないか?」
当然の疑問である。しかしミアンは、首を真横に数度振った。
「あ、いえ、荷物はそんなにないので、これで大丈夫だと思います」
「……。そうか」
あまり突っ込んではいけない話題だろうと察し、返事はそれだけに留めた。
が、田原春家の二階に広がる光景を目にした瞬間、もっと彼女の身の上を聞くべきだったと思い知る。それも、伯父夫妻が逮捕される前に。
「なんだこれは」
「えっと……あたしの、部屋、です」
「こんなものは、部屋とは呼ばん!」
クレンは手を広げ、その惨状を指し示す。
ミアンの部屋は、存在しなかった。彼女の生活空間は、二階の廊下の奥──つまり部屋の外だったのだ。
そこにシャワーカーテンを張り巡らせ、パーテーション代わりとしていた。
カーテンの内側には粗末なカラーボックス一台と、使い古された布団があった。カラーボックスの中には辞書や教科書、参考書や置時計といった品々が隙間なく並んでいる。床には小学校や中学校時代のものらしい、使い込まれた教科書や資料集の山や、きちんと畳まれた十着ほどの衣類が積み上げられていた。年頃の少女にしては少ない服は、夏物も冬物もごちゃまぜである。
その空間は整頓されているからこそ、かえって哀愁が漂っていた。
こめかみに青筋を浮き立たせて、クレンはカラーボックスを睥睨する。
「あの夫婦を……昨日の内に、なます切りにしてやるべきだった」
「いえ、あの、そこまでは」
へどもどと、不揃いの髪を撫でてミアンは視線をさ迷わせる。
「あの、昨日あそこまで怒ってもらえて、万々歳というか……あたしはもう、気が済んでますので」
そこでへにょり、とミアンは微笑んだ。
「師匠って、優しいですよね」
ぎりり、とクレンは赤い顔で歯ぎしりした。照れ隠しである。
「師匠と呼ぶな!」
そして広げていた手を真っ直ぐに伸ばし、ミアンを指さす。鋭い灰色の瞳も、彼女を射抜いていた。
「俺はな、優しいわけではない。ああいう、道理をわきまえないクズに腹が立っているだけだ!」
「でも……見て見ぬふりをする人の方が、多いですよ」
そう言って、少し寂しげにミアンは笑った。
「だからやっぱり、師匠は優しいです。それに正義感も強いです」
その笑顔に、クレンの気勢が幾ばくか削がれる。しかし首を振って、彼は気を持ち直した。
「おい……一つ言っておくがな。俺は、お前にも腹が立っているんだ。このような境遇を甘んじて受け入れる、お前のその、向上心のなさも許しがたい!」
怒鳴ってまくし立てる。唖然、とミアンは目を丸くした。
固まっている彼女を無視して、クレンは廊下にしゃがみこんだ。そして、車から持って来た段ボールを広げ、ガムテープで補強していく。
次いで黙々と、数少ない荷物を詰め込んでいく。午前中に自身の荷造りを行っていたこともあり、ずいぶんと手際が良かった。あっという間に、わずかな荷物も片付いて行く。
おまけに布団も、強引に畳んで中へとねじこむ。クレンの膂力も相当なものである。
「……あの、師匠、あたしがやり──」
我に返り、慌てて手を伸ばす彼女をじろり、とねめつけた。
「俺の方が力は上だ」
「でも、あたしの荷物ですし……」
「この方が効率的だ。それともお前に、この箱が持てるのか?」
荷物が詰め込まれた段ボールを見下ろし、次いで挑むように彼女を見る。
ミアンもじっと彼を見返しながら、段ボールの前にかがんで腕を回し入れる。しかし、抱え持った段ボールはびくともしなかった。顔を真っ赤にして力を込めても、それは変わらなかった。
「も、持てません……」
その負け様に、ふん、とクレンは鼻を鳴らす。
「それ見たことか。貸せ」
一抱えもある段ボールを軽々と持ち上げ、足取りも平坦にクレンは廊下を引き返す。
箱に入りきらなかった、空のカラーボックスを抱え持ち、ミアンはあわあわと後を追う。
「あの、ごめんなさい。えっと、師匠って、その……優しいんですね……ツンデレ、ですか?」
この問いかけに、クレンの足が止まった。そして猛然と振り返った。
「誰がツンデレだ! ぶん殴るぞ!」
しかし悲しいかな口先だけであり──そもそも段ボールを抱えているので、殴りようがない──、クレンは彼女を殴る素振りすら見せなかった。
彼の言葉にぎくりと身構えたミアンだったが、クレンが赤い顔のまま不機嫌そうに再び背を向けたのを見て、
「やっぱりツンデレだ」
と、声にならない声で呟くのだった。
最初のコメントを投稿しよう!