第十話 乾杯

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第十話 乾杯

まさかの歩道橋上での鉢合わせ。 ミホ以外の全員が驚きつつ笑いをこらえていた。 偶然が偶然を読んだ家族の再会劇に立ち会ったミホ。 しかし直ぐに本来の主役の座に戻されてしまった。 夕方からの会食が前倒しになってしまった駅近くの喫茶店。 武田一家とミホ個人の対峙である。 もう最初の出会いが偶然を題材にしたコントの様なもの。 意識せずに笑いが取れてしまったのでリラックス効果は抜群。 こうなれば大阪では打ち解けるのも早かった。 笑わせる事が何よりも強い。 武田の家族一人一人の自己紹介も笑いに包まれて済んだ。 (こんな楽しいご家族って素敵だな…。) 武田が自分自身の東京での生活ぶりを話し始める。 そしてその流れでミホの事を紹介するに及んだ。 地元で暮らす武田の家族にとって一番聞きたかった話。 誰も茶々を入れずに真剣に聞いてくれていた。 時刻は予定よりも遥かに早いが本日のハイライトである。 包み隠さず出来るだけの自分の事を話した。 貧しかった家庭環境、新社会人となった現在の状況。 自分自身にとっての武田の存在の心強さ。 こんな時に何を話せば正解なのかミホには分からなかった。 武田に会うまでは、そもそも結婚への意識が無かったからである。 相手の家族に紹介されるという予備知識が必要無かったのだ。 自己紹介がてらの自分自身の話の最後。 落ち着いてきたミホは、どうしても言いたい事を話した。 それは当初の予定には無かった完全なアドリブである。 「今日は本当にありがとうございました、楽しかったです。  最後に、もう一ついいですか?」 「何か聞きたい事でもあるの?」 ミホは椅子に座り直して少しだけ真面目な表情になる。 武田家の全員の視線がミホに釘付けになっていた。 「お父さんお母さん、そしてアスカちゃん…。  武田クンを私に下さい!」 喫茶店での歓談は爆笑の内に終了した。 ホテルの部屋で荷物を置いた武田とミホ。 顔を見合わせて笑い合った。 「あのウケ方は凄かったね…!」 「私は真剣だったんですけど…。」 予想外のミホの言葉に武田家は爆笑に包まれた。 特に父親の気に入り方は凄かった。 夕方の会食は普通に夕食会へと変更された。 もうミホは武田家にスッカリ打ち解けてしまったからである。 「アスカに言われたんだよ、店を出た時に。」 「えっ、私の事ですか…?」 「そう、初めて兄貴を見直した…ってね。」 暫くしてホテルを出たミホと武田は町に繰り出した。 もうミホはスッカリこの町が気に入っていた。 この江坂という町もミホが気に入った様である。 「オカンがね、あのコの為にたこ焼き作るって言ってた。」 「たこ焼き!」 「大阪での目的の一つだったよね?」 「…恥ずかしい。」 (この町で暮らすのも楽しそうだな…。  でも昭和荘を出るのは嫌だけど。) ミホは旅行に出た朝のアパートを思い返していた。 出発する時に見えてしまった風景。 既視感に溢れた幻覚だったのか、それとも…。 部屋の鍵を締めて通り沿いの庭を眺める。 そこには家族が楽しそうに遊んでいた。 仔犬で可愛かった頃のコテツを中心にして。 幼い頃の妹と弟、若くて元気だった頃の母。 懐かしさと、そして切なさと。 ミホは目が離せなくて立ち止まってしまった。 永遠に感じられた、ほんの少しの間。 見つめていたら母と視線が合った。 母は小さく手を振っていた。 ミホは、どちらとも感じられていた。 気を付けて行ってきてね。 そして、或いは…。 その日の夕食会も笑顔のまま終了した。 二人は再びホテルに戻ってユックリ休んだ。 明日の予定は別行動の二人であった。 それはミホからの提案でもある。 「友達に会ってノンビリしてきてね。」 「うん、アリガトウ。」 武田は旧友に会う予定を入れていた。 ミホは行きたかった神社に行く事にしていたのだ。 お初天神。 好きだった文学作品の舞台にもなった神社。 そして恋愛の神様としても名を馳せていたのだ。 次の日の朝…ミホは予定よりも早起きしてしまった。 それはまるで遠足に出掛ける朝の小学生の様でもある。 殆ど手ぶらでホテルを出発した。 江坂から再び御堂筋線に乗って梅田を目指す。 初めての単独での大阪探検にワクワクしていた。 (思っていたよりも人が大勢だな…。) 梅田の商店街は賑わっていた。 このご時世じゃなければ、もっと凄い人出であったろう。 お初天神は意外と町中に存在していた。 しかも知名度から想像していたよりは遥かに小さい。 それでもミホは感動で満たされていた。 今なら恋愛に関してのお願いもリアルに出来る。 ミホは母から受け継いだ作法でお賽銭を投じた。 財布の中には常に五円を常備しているのだ。 (ご縁が在ります様に。) 参拝が終わってから商店街をブラブラ歩いて過ごした。 確かに東京よりは賑やかな雰囲気ではある。 もうミホはスッカリ大阪が気に入っていたし馴染んできてもいた。 ついつい、たこ焼き店の前で立ち止まって眺めてしまう。 それは昨夜に出されたたこ焼きが余りに美味しかったからである。 (お母様は料理が上手いんだな…。) ぽんぽん。 そんな時に、ふいに軽く肩を叩かれて驚いた。 初めての町だから、それも当然であろう。 「ねえちゃん、茶でもしばかへんか~。」 「あれっ?」 それは聴き覚えの在った声と台詞であった。 振り返ったそこには武田の妹のアスカが笑顔で佇んでいた。 「アスカちゃん、どうしたの?」 「お初天神にお参りするって言ってたから来てみたの。」 「わざわざ?」 「うん、二人で話してみたいとも思ったし。」 「私と?」 「うん。」 「よーしっ、それじゃあ…。」 ミホはアスカを促して気になっていたたこ焼き店へ引き返す。 屋外のテーブルに二人で座る。 「一人じゃ入るのに勇気要るのよね~。」 「そうそう。」 二人は友人の様に語り合った。 昨日初めて会ったのに無意識の内に意気投合していたのである。 将来的には姉妹になる二人。 「兄貴をヨロシクお願いしますね、悪い奴じゃないんで。」 「ふふっ、こちらこそ。」 話題は武田についてから個人的な夢まで豊富であった。 たこ焼きを食べ終わって飲み物と会話を楽しんだ。 ミホはマンデリン、アスカはモカ。 同じブラックでのアイスコーヒーなのに好みが分かれていた。 「一口、貰ってもいいですか?」 「苦味が強いけど、それで良ければ。」 アスカはミホのカップから味を確かめた。 「うん苦い、大人の味って感じだわ~。」 「ふふっ、でしょ?」 アスカが唐突に話題を変えてきた。 「ウチのオトンは任侠映画が大好きで、よく観てるの。」 「にんきょう?」 「反社会的な映画とか。」 「ああ…。」 「そこにね、こんな風なシーンが在ったの。」 アスカがミホの前にカップを戻しながら言った。 より笑顔を溢れさせつつ。 「これは義兄弟の盃って事でいいでしょ?  これからヨロシクね、お姉さん。」 「義兄弟…、お姉さん…。」 ミホは喜びで少し涙が出そうになってしまっていた。 それを誤魔化そうとマンデリンを飲み干す。 苦味の強い筈なのに、とても甘く感じられた。 「こちらこそヨロシクね、アスカちゃん。」 「また直ぐに大阪に来てね。」 「もちろんよ。」 ホテルの前で二人は別れた。 たった二日間の出来事だけれど、その何十倍も充実していた。 どうやらミホには新しい家族と故郷が増えた様である。 次の日から武田と合流、二人での関西観光旅行となった。 京都から名古屋を満喫して東京へと戻ったのである。 まだ休みの日数には余裕が残してあった。 ミホは東京の自宅でお盆を迎えたかったのである。 割と遅めの時間に最寄り駅に到着した。 カートには片山主任へのお土産が増えている。 駅から自宅へと帰る途中に、ふと大通りから自宅の庭を見てみた。 そこは真っ暗で何も見えない。 部屋の鍵を開けて玄関にカートを置く。 キッチンへ行って母の写真に挨拶をした。 「ただいま…、お留守番ありがとね。」 冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。 飲みながら部屋のカーテンと一緒に窓を開けた。 部屋からの明かりに照らされた小さな箱庭。 そこには笑顔の家族と仔犬が並んでいた。 幻。 皆がミホを見て喜んでいる様に見える。 ミホは麦茶の入ったカップを掲げた。 そして小さく囁いた。 「素敵な未来に…、乾杯。」
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