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序章
学舎で混声合唱が響き渡る、うららかな春の日に、僕は卒業式をバックれた。
所謂、サボりだ。僕は丁度第二学年だったので特に参加しても可もなく不可もなし。無意味だとなんとなく判断して、なんとなく実行した。此の時間帯で学生服を着ているのは不味いと思い、学ランを脱いで通学鞄に押し込み、代わりに出したパーカーを着た。
こんな燦々と陽が降り注ぐ時分の街に繰り出すのは久しぶりだった。基本、僕はインドア派で、学校が休みの土日も専らなんとなくSNSやアプリゲームに費やす。昼頃に起きて、なんとなくダラダラして気付けば、とっくに太陽は暮れているのがスタンダードになりつつあった。
通学路の水路横に植わっている桜はピンク色と言うよりは白に近くて、花弁が落ちるさまが少し、雪が降っているみたいだった。
将来の事とか、学校内での友人関係とか、試験の成績とか。煩わしい出来事が一切、僕の人生から取り払われた様な、爽快な気分になっている自身に気付く。僕の今の心中の如き柔らかな風が僕の、少し男子にしては長めの髪を揺らしていく。
なんでだか、心の波風が穏やかに感じる。
卒業式なんて出なくて正解だったかもしれない、そう思いかけた僕は馬鹿だった。何故なら望まぬ声に呼び止められたのだから。
「おい、其処のサボり学生ーー」
✴︎
最悪だ、気分が良かっただけに堕ちるとなるとその差は激しい。
「まさかと思って張っていたら、まさかのまさかかよ」
要領を得ない単語を吐く此のオニーサンは敵か、味方に成り得るか否か、其れが僕にとっては問題だ。
「おい、少年、そんな睨み付けんな」
「だって、どうせ連絡するんですよね」
「それだとサボりって認める言い方になってるぞ、俺は……、まぁ取り敢えず怪しくは無い」
「なんて怪しいんだ、もしもし警察ですか」
「違う違う、此の学校に赴任して来たばっかの関係者なんだよ!」
其れこそ全く持って怪しい。
「年度始めからだから、生徒にはまだ秘密だから言えなーいの」
戯けた様に苦笑するオニーサン。
ほんとかよ。
「来客名簿第一号が卒業式サボりの少年ってのもアリか、取り敢えず式の間の身柄は確保させて貰うぞー」
付いて来い、そう言ったオニーサンは僕から華麗に鞄を奪い取る。勿論鞄の中には貴重品やらが入っている。人質ならぬ、鞄質に僕は怪しげなオニーサンの背中を追った。
✴︎
学校から数分、シャッターが閉まりっぱなしの商店街アーケードを通り過ぎて右折する。更に入り組んだ横道に入って行くと《其処》は《在った》。
やたら重たい格子状の金属扉を開けると、本当に小さな庭があり、僕の背丈と同じ位の緑が一本植えられている。上からの陽光に気付くと同時に吹き抜けになっている事が見て取れた。
「こっちだ」
緑に気を取られていた僕を現実に戻したオニーサンの声。正面を向くとまた扉があった。だが先程とは打って変わって、木製の扉だ。しかも所々硝子が埋まっていて、陽の光を反射してキラキラしている。
「此処が《談話室》だ」
《談話室》。
カフェかと一瞬思ったが何かが違う。
「そりゃそうだ、此処は《談話室》だからな」
訳が解らない。オニーサンは自慢気に其の木製扉を開け放った。
「兎に角座りな、んで飲み物何が良い?つってもオレンジジュースか紅茶しか無いんだがな」
兎に角、圧巻だった。
僕が一目見て解る位、高級そうな一人がけのソファが所狭しと鎮座していたから。それに、一つ一つ、デザインが違う。其のソファには更に如何にも柔らかいです、って感じのクッションが山の如く乗っている。かと思えばどんなヴィンテージだよ、って位のボロいソファも在る。新しいも古いも、高いのも低いのも、ごちゃ混ぜにしたみたいな。いや、寧ろ其れが居心地が良い雰囲気を醸し出してる、って言うか。更に所々に卓と思しき物が幾つか見受けられた。天井からは星のオーナメントが吊るされ、リンリンと澄んだ音色を放っている。オニーサンの方角には真ん丸な惑星モビールがゆらゆら浮かんで、銀河系を創り出していた。
「凄い……」
オニーサンは気を使ってくれたのか、オレンジジュースとアイスティのグラスを僕の目の前の卓に置く。
「やっとまともな事言ったなぁ少年」
「此処は何なんですか?」
「だから《談話室》」
答えになっていない。
「ん、此処の定義はな、訪れた奴が決めるんだよ、少年にはまだ難しいかもな」
「馬鹿にしてますよね、あ、美味しい」
それ、俺の特製水出しアイスティ、とオニーサンが言う。
「馬鹿にはしてない、じゃあ俺なりの定義で語らせて貰うが、此処は世の中が息辛い奴らの為に創った《バショ》だ」
「息辛い?」
「ヒトが水の中で生きられないのと同じだ、息が出来ない、と考えてくれ。水の中に居ても、時々海面に浮上する鯨の様に、酸素を供給する《バショ》」
「やっぱりオニーサンの言う事が解らない」
「それで良いさ」
✴︎
「式が終わるまでなんか話そうぜ、折角のサボりを邪魔しちゃったし理由も聞きたいしな」
取り敢えず此れに名前書いてな。渡されたバインダーには日付と時間帯、名前を記入する欄が並んでいた。
何だか拍子抜けしてしまって、先程迄感じていた不快感を塗り潰した呆気に取られた状態の僕は怪しげなバインダーにスラスラと『三綴 潤』と名前を記入した。
「鍍金は今日はいないのか」
「メッキ?他に運営している人ですか、やたらキラキラネームですね」
「いや、猫」
猫!?最早此の《談話室》は何でも有りなのか?
キョロキョロと辺りを見渡すオニーサンはバインダーを僕から受け取って。
「三綴、君ね」
「そろそろオニーサン呼びも疲れて来たので名前を教えてくれても良いんじゃないですか」
「あれっ、俺名乗って無かったか」
白々しい、と僕は顔を顰める。
「俺は『月岳 螢』だ」
俺的には潤呼びにしたいんだが、構わない?
なんとなくサボった卒業式の先で、なんとなく《談話室》に来て、僕が、掛け替えのない螢さんに出会えた瞬間、だった。
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