第五節「両儀のなりそこね」

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 4 「兄ちゃん?」 「何だよ」 「明後日始業式あるけど、そんなときに大怪我とか笑えないんだよ」  そうかい、と割と雑に返してみたけれど。しかし相手が面白がっている様子も無いのでは、神経をなぞり上げるような不快感を煽るだけかもしれない。  自室のベッドの上で寝ころびながら、どういうことなのか妹に夕食を持ってきてもらっている状況だ。 「ぶにー」 「スプーンを頬に押し付けるな」  熱いんだって。 「もういつものことだから、あんまり小言とか言いたくないんだけどね?」 「諦められるのも、なんだか哀しいな」 「わがままだね……」  そんなもんだろ、知っているくせに。なんて返してみたら、そうだけどーと返ってくる。 「いつも誰かを気にしてる人の方が、珍しいよ」 「まあ消耗激しいからな」 「ぺちぺち」 「リズムを刻むな」  両腕がだるくて、まともに抵抗もできない。  結果されるがままになるしかないけれど、いつものように緩いやり取りにはなっていないのが少し苦しい。 「二日もあれば動かせるようにはなるよ」 「精神はいつか壊れそうだけどね」  まだ壊れていない判定を受けているようだった。何の冗談だと問い返しそうになったが、ここでは何も言いはしない。  ん。と目の前にスプーンを突き出される。  そこにはかに玉が乗っている。  それを口に含んで、呑み込んでから。 「珍しいな。母さんがこういうの作るって」  普段はあまり見ない類の食事だったので、思ったままに言ってみた。  涼がそのまま自分でも食べているのを、やめてくれないかなと思いながら見ていると。  まあそうだね、と呟いていた。 「何かの暗喩なのかな、とか思ったり」 「僕には理解不能だな……」 「あたしだってそうだよ」  頭の良くない兄妹だった。  いや、関連性がないのなら読み解けるわけないんだから、知能は別に関係ないか? 「飲み物あるけど」 「ん、貰うよ」  何だろうと思っていたらヨーグルトだった。  ストローで軽く吸い上げる。 「……あたしも何か作れるようになった方がいいかな」 「苦手だって触れてなかったものな」  なんとなく細かい計算が苦手だってのは聞いていたけど、それはあまり理由になっていない気もした。 「結果が予測できないのが、不安でさ」 「……ランダム要素が多いと、ってことかな」  うん、と頷かれる。そういえば初めから決まったものを組み合わせる方が得意みたいなことは勘づいていたか。  周囲の人に服を着せたがる癖は其処から来ているのかもしれない。  最適化、という言葉を使ってしまえば、やっていることは僕らと何も変わらないけれど。  その方向性がそれぞれ違っているだけのことを、特段意識したりはしない。 「別に、苦手なら無理に手を付けることもないんじゃないか」  うー、と唸った。  一瞬だけ、視線に湿った昏さが混じる。 「だからって、完全に拒むのも違うもの」 「そうだろうな……」  やってみなければわからないことだってあるだろう、と別に否定もしない。  好きにすればいい。  投げやりな態度も違うけれど。  なんにでも一定の学びがあると知っていれば、そういう風に思うことになる。  だからこそ逆に、白けた態度を見せるようになるのかもしれなかった。 「それにしても。何もかもを受け入れてしまう兄ちゃんもよくわからないね」  家にまで押しかけて暴れた人を、引き込もうなんて考えが不明だよ。  そんな風に口にしている割に、そこは面白そうにしているのがいつもの通りにいつもの妹らしい表情だ。 「印象はどうだ」 「うーん。全体的には藍樹くんに似てる気がするよ」  なんだか距離を取られているみたいだったのが、不思議だなあと首を捻っている。  まだ夢喰いの詳しい説明をしていないのかな、と思ったけれど。それを僕からすることはできないので、本人の裁量だろう。 「根っからの悪人って感じじゃなかったね。むしろ善悪とかどうでもいい感じ」 「それも問題だとは思うけどな」  あの年齢で倫理観が構築されていないのも、少し危ういように思える。  社会で生きるように人格を整えていないのならば、やはりここからどうにでもなるだろうとは、親も舎人も言っていた。 「荒哉くん、見た限りだときーちゃんに似てるかな、って」  ……喜漸に?  僕とはどこか違うところを見ているような、そんなズレ方に感じる。  共通点などいくらでも思いつくようなものでしかないだろうから、具体性を求める意味はない。 「何だか、いつも苦しそうにしてたけど。あれ何?」  腹が減っているんだよ、と言っておいた。  まあ間違ったことは言っていない、けれど涼はごはん食べてなかったくせにーとか呟いている。あとで説明は必須だな、と思った。 「事情は人それぞれだよ。僕らには想像できないような環境ってのがあるんだから」 「そうだねー。それを理由に叩きだすのもおかしい話だものね」  荒哉は家にいることにはなったけれど、同時に来ていた九式は萌崎の家で預かることになったらしい。舎人がなんだか悪い顔をしていたのが気になったが、まあ追及はしないでいた。  最後の一人、理推恣織に関してはそのまま帰ってしまったそうだ。  あんなのは誰にも突き崩せない、そんな風に周囲は口を揃えて言っていた。  聞いた限りでは結構な怪我を負っていたとか。いや、大丈夫かな。  そんな様子を見抜かれたのか、涼が面白そうにこっちを見ている。 「また、誰かのことを案じているね。お人好しなのは良いことだけど」  それで決定的に死にかけたことすら、学習しないのかな。 「……誰が分からず屋だ」 「じゃすーい」  そうかもしれなくとも、と言いかけるも制される。 「だからね。最近周りの人に素直に頼るようになって、あたしは嬉しいよ」  ニアさんの影響なのかな、そんな推測を立ててきて、しかもそれが割と当たっているのがなんとなく。  いや、認めるのが癪だってことじゃあないけれど。  なんで巻き込まれてくるんだろう、口だけの動きだった言葉に涼が目ざとく反応する。 「なんでわからないのかな」 「人のことなんか理解できるわけないだろ。エンパスでもないのに」 「ニアさんが兄ちゃんのことを好きで好きでたまらないからだよ」  ……………………。  もうちょっと言い方を考えてほしかったかな。  あの人誰のことだって大好きだろ、なんて反射的に返しそうだった。  まあ無粋な反応でしかないので言わないけど。 「見てればわかるよ。兄ちゃんを誰より尊重してるのはあの人だよ?」  どんな理由があるのかは知らないけど、と言うけれど。そんなの僕にだってわかるわけがない。偶然出会って手を貸しただけのことで、妙に慕われたって困るだけなのだから。  僕はそんな人間じゃない。  ただただ身勝手なだけの子供だ、と思っているし言われてきた。  別に今までだって、人に言えない失敗くらいいくつもある。  ニアの、それでも全てを肯定してくる在りようは。僕には非常に痛い。  傷を抉るような、ひりつく甘さを。 「あれを呑み込めるのかな、普通の人は」 「あれくらい甘やかしてほしいって人は居そうだけどね」  頭がどろどろになるとか、在華が言っていたばかりだった。正直怖いよそれは、と素で返したのを覚えている。  そんなのを毎日のようにされたら、本当に駄目になってしまうと容易に知れる。  ニアはそれでも、それでいいと言ってしまうのだろうけど。……それに甘えてしまうのが本当に避けるべきことなんだろうな。 「ちょっと、恐ろしいな。  それを狙っているのなら、充分に意図的だし。  策士だなあとは思うけど」  そこまで考えられる兄ちゃんも同レベルだよ、と笑っている涼が口にスプーンを突っ込んでくる。  無理矢理は嫌です。  そして食器を共有するのも避けたいんですがね。  そう言ってみたら無視された。  流石に中学生兄妹のやり取りじゃないな、とか思いながらも。  昔からは考えられなかっただろうな、とも考えていた。 「暑くないのか」  いつものように、そう問いかける。 「暑いよ」  何も変わらずに、そう戻される。  常に着ている、鮮やかな黄色のタートルネックセーター。  そうしてまでひた隠しにする、過ちの痕跡。  気付かないわけもない。気付けないわけがない。 「……どうしたの?」 「別に」  不思議そうに首を傾げられる。きっと渋い表情でも見せていたんだろう。  ……さっきからドアの外に気配を感じている。  しかも複数。  視線を向けたところで透けて見えるわけもなく。  混ざり合ってしまうと誰が居るのかよくわからなくなる。気配を隠せるのは今のところ喜漸だけのようだった。 「放っといていいんじゃない?」 「平気なのかよすげえな」 「なんかもう、気にするだけ無意味かなって」  諦めているだけだった。環境の変化についていけていないというか、常に急激すぎる変化の中に居れば、というだけのことだろう。 「…………えーと」 「謝らなくていいよ。それくらいなら」  悪いことをしてるわけじゃないんだから、と台詞を先読みされた。  そもそも僕が読み易いだけなんだろうか。  糸識さんの正確に思考をトレースするあれも、僕に対して難度が低いようなことでしかないと?  それはそれで傷つきそう。  ふてくされた顔を見られて、余計に笑われる。  いつの間にか、自分のそういった弱さを隠すことが少なくなっていた。  周囲の人は無理に強がっているのをやめることなく、それを見抜かれていることをわかっていながら。それでも取り繕うことを止められない。 「いいループだね?」 「うん?」 「兄ちゃんが絆した相手に、虚飾を剥がされちゃって。どんな気分?」  どう返そうか迷ったけれど、まあ嘘をついても仕方ない。  感謝しかできないよ、と目を合わせないで答えた。  それもちゃんと伝えた方がいいんだろうな、と思いながら。重くなっている瞼を強く閉じた。それと同時に、扉の外からなんだか変な挙動を感じ取る。  面白がってんじゃねえよと叫びそうになるけれど、今は陽が沈んだばかりの時間帯だ。 「眠いの?」 「んー……」  まだ治りきってないからね、と涼は食器をまとめて立ち上がった。 「ちゃんと休んだ方がいいよね。今日はおやすみでいいかな」 「そうだな。……ありがとう、母さんにもごちそうさまと言っておいてほしいかな」  わかったよ、と応えて。  特に何も言い残すようなこともなく、部屋を出ていった。  一人で残された自室は驚くほどに無音で、無駄なことも考えられないくらいに静謐が満ちている。  思い出せる何かが頭をちらついていた。  状況が窮まったあの時。  ニアが光魔術の集中攻撃を受けたあの瞬間、あの時の自分の行動が実際には何をしたかを朧に憶えている。  とは言っても、それこそ熱に浮かされたときの夢みたいに曖昧過ぎて。  具体的な部分は全くわからないのだけど。  何かを口にしていたらしいけれど、その言葉が何かまでを覚えていない。  聞いたら死にたくなるって何なんだろう、とか考えてしまう。 「…………本当に、知らぬが仏ってことかな……」  気になってしまうと、囚われたままになるのはわかっているのに。
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