ゴルドベルグ・死に至る煩悶4~リブロンの羽化~

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ゴルドベルグ・死に至る煩悶4~リブロンの羽化~

第24話 『リブロンの羽化(éclore)』 新聞の切り抜き:『ナショナル・ゴシップ ウィーン版』 5月15日朝刊 第三面  “法律家、刺突(しとつ)さる  さる5月14日、○○通り沿いの商店前において、法律家マクシミリアン=フォン=フェルダー氏が襲われた。暴漢の行方は杳として知れない。氏の小間使いの証言では、犯人は体格の良い白色熊人の青年もしくは壮年の大男であったとのこと。地域の警察は近辺を捜索中。弁護士を生業(なりわい)とする氏の職業柄怨恨の線から…” カルテ風のメモ 【患者(Un patient)…31才、男性、アライグマ人  手掌部より手背へ抜ける幅3㎝程度の刺創。(近所の家の敷地を囲った鉄柵の槍型の飾りに手をついたため・本人談)  中手骨間の間隙を通す傷であり、開放骨折に至らぬも、厳重なる消毒と汚染個所切除処置、第二、第三中手骨底部分の皮膚縫合を行う。負傷面(はなは)だ不整、また感染の危険あり。後遺症として正中神経付近の損傷による指関節細部作業の不具症状が予想される。出血量は若干多くみられるも自然回復の見込み。精養を勧告。】 新聞の切り抜き:『ノイエ・フライエ・プレッセ』 7月5日夕刊 第二面 "読者諸兄には朝の紙面でお伝えした通りだが、我が国における芸術界の俊英、新ルネサンスと手を携えた天才、ラファエッロの再来と謳われた彫刻家リッツェン=ゴルドベルグ氏が、今朝ほど制作所でもある自宅(アパルトマン)の内庭にて墜落死体として発見された。  ただの転落であったならば命が助かったやも知れぬ。が、決定的な死をもたらすことになったのは、皮肉にもみずからの遺作の一つとなってしまった大作『稲妻を放つ怒れる海神(ポセイドン)』によってであった。  作品の主題である髭ももみあげも豊かな海神が、不遜な人間を懲らしめるべく右手(めて)にささげた三叉の(ほこ)───先端を天空に向けた───落下先にまさにその部分があり、鉾の穂の先端から根元まで左胸部を貫かれてしまったのだ。  それはまさしく串刺し。モズの早贄(はやにえ)のごとき惨たらしい様相には、検死にあたった百戦錬磨の警官(幾度も列車事故の検分をしたような人物)でさえ目を覆いたくなったという。  遺体からは多量の酒精(アルコール)摂取の痕跡が見られることから、警察はこの偉大なる芸術家の天命を奪いせしむるは、酔乱の果てに内廊下の欄干に飛び乗って危険な一人遊びに興じるうちに、不安定な足場から足を踏み外しての不運なる事故との結論に至った。  氏は作品の制作中に飲酒を重ねる癖があった。また近頃はスランプに悩まされ、頓乱の傾向が強くあり、氏の生活の大部分を侵すようになっていたそうである。  葬儀は明後日、シュテルマン大聖堂で行われる予定。  当編集部としても氏の生前の業績と名誉を讃え、ここに深く哀悼の意を表するものである。"  (写真、現場検証の警官と石畳) 同日同紙、五面記事 コラム 『日常に潜む綺譚についての考察──あるいは科学者と神秘家の水かけ論の愉しみとして──』 [屋根の上の紳士] "美術館に近い××通りに住まう近隣住民の間で、『屋根の上の紳士』なるものが取り沙汰されている。  証言を集めたところ、先日の満月の夜、怪異的な何者かが地域の家屋の上を通り過ぎたというものである。  ご存知の通りかの地域における住宅はウィーン都市開発機構が指揮を執り、緻密に設計された高層住宅という点から噂や人騒がせを好む輩の悪戯ではないかと疑う点が多い。しかし、人形にせよ怪しからぬ軽業師にせよその足取りは未だ不明なままである。  あるいは集団ヒステリシスの可能性の面を考慮し、読者諸兄に置かれては今後の自体の成り行きを注視してゆかれたい。  署名:アーサー=ゲイブリエル=ボールドウィン" 新聞の切り抜き:ナショナル・ゴシップ、ウィーン版 7月9日夕刊 コラム[少女の(もと)に現れたるは妖精王(オーベロン)?]  読者諸兄には二週に続きかの『屋根の上を()くもの』について報告することを許されたい。  この科学万能の先進国にあって人外に属する存在やその他の伝説的な奇跡、妖異などに関わる記事などは愚にもつかぬ与太話、もしくはロマンチシズムの病に思考を冒された暇人の愉しみと明晰な読者には毛嫌いされるだろう。僭越ながら筆者もその一人であることを先に述べておく。  先日の当紙の発行後、予想に反して多数の反響があり、そこにとある少女からの興味深い投書があった。彼女はいっとき夜の巷を賑わして忽然と消息を絶った『屋根の上の紳士』に会い、直に言葉を交わしたというので、直接取材を試みた。  しかし、想像力を持て余した思春期の譫言(うわごと)には思えない、名伏しがたい確信がその話の中には存在するのは間違いない。  とはいえ、証言をそのままではいかにも幼さ特有の文章にならざるを得ないので、その要約を伝えよう。  …少女Eは、消灯の後家人の寝静まった夜半、なんとなく胸騒ぎがしてアパルトマン上層階のバルコニーに出た。月の明るい晩で地面から薄く霧が立ち昇り、街灯が月の光を集めたランタンを提げた怪物のようにしんみりと並んでおり、彼女はしばらく息を殺して椅子に腰を下ろしていた。  しばらくして、ふわりふわりと視界をかすめるものがある。とかぶりをもたげるとそこには、漆黒のマントを膝の下までなびかせた麗人が手すりに立っていた。思わず悲鳴を飲み込んだのは、それがあまりに現実離れしてものすごく、幻想的かつ美しく感じられたからだという。  怪しい人物は少女に騒ぎ立ては無用と懇願し、そのまま隣接の建物(少女のアパルトマンよりだいぶん低い)の屋根に飛び移り、視界から消えるか消えないかのところでどうやら地上に降りて去って行ったようだという。  現代科学の恩恵に浴する理性教会の信者であるところの者は、こういった話を眉唾ものと捉えるだろう。春の陽気にはつきものの、己が背に翼が生えたと思い込んだ精神疾患の輩、もしくは他人の住居を不遜に行き来することをよしとする不審者の仕業と考えるだろう。  だがしかし夜目遠目にさえ燐光を放つようにあでやかな美貌をした麗人が、複数人の大人にも目撃されたことは信憑性に価するのではないだろうか。  ファトマの奇跡を引き合いに出すまでもない。筆者は、これをかの有名な沙翁(シェイクスピア)の代表作の登場人物になぞらえて『屋根の上のオーベロン』と呼ぶことにする。  (雲に隠れた月の下で嗤う影の版画) (以下、速記文) 5月4日、晴れ  肉と野菜とパン。(ししむら)(いにしえ)より神々への供儀(くぎ)。野菜は健康と美容の(いしずえ)。パンは単純にして深遠、食の根本であり最大の精華。  この三つの要素にフェルダー法律事務所の面々をなぞらえてみよう。  イアン=アグラム。筋の硬い、クセのある年経た山羊の肉。そのままで噛むことは拷問にも等しい。だがポルト酒に一昼夜浸すなど、然るべき処置を施せばじゅうぶんに柔らかくなり滋味を引き出せる。かれに何事も強いてはならず、よく練ったプランに基づく調理が肝要だろう。  ブレーズ。そもそもが生食には向かない灰汁(あく)の強い性質の素材だ。さしずめ牛蒡(ごぼう)かエシャロット。かれに有効なものは何よりも素直な本人の欲求の度合と、その場の雰囲気の仕立て。熱いフライバンのようにエロチックなシーンが整えば、自然と己が欲情で火を通してしまえる筈だ。  マクシミリアン。これは良くも悪くも素朴で、さらに同性愛に対する垣根が出会った当初の予想よりもずっと低い人物。例えるなら小麦粉で焼き上げた滋味に豊かなパンであろうか。釜から出したばかりでも、暫く経ってからでも食卓に添えられ、固くなればバターで焼いてもスープに浸しても、あるいはラスクにも加工できる。あらゆる用を為し、あらゆる加工ができ、あらゆる味に染まる。  罠を仕掛けるのにこれ程詰まらない人物もあるまい。だがそこはそれ、手に入る玩具は早めに遊んでおくに限る。食材も傷む前に適切に調理するのがモットー。  夕刻にかけて、ノイエ•フライエ•プレッセ編集部へ詣でた場合の日課になりつつある、記者連のとくに活発な面々とのテニスに興じた。珍しいことに女性も参戦し、ダブルスで私のチームは際どいサーブを逃して負けた。  互いの健闘をたたえ、シャワーのあとには酒場へ。ウィーンではもうあと(ふた)月ばかり滞在し、三つほど小品を寄稿頂きたいと請われた。  報酬の多寡に未練は露ほども感じない。むしろ私にとっての問題は意に沿わずして時間に縛られることだ。  私は私の好きなようにできないことは好きではないのだ。  とまれ、場合によっては、もう三月(みつき)ほど居続けるかもしれない。まだまだ遊び足りないのだ。   5月7日、晴れ  マクシミリアンの事務所で彼の兄と対面した。堅太りの朗らかな男。毛皮は(こわ)く野蛮な(いかめ)しさに満ちた顔つき。どちらかと言えば醜い部類にあてはまるが、立居振る舞いには対照的に気品があり、かつ陽気でマクシミリアンの十倍はしゃべるので相当に退屈しない男でもある。  妻帯者だというのだが、弟マクシミリアンへの度重なる抱擁と舌まで吸い込み(かじ)るような接吻は、ややもすると常軌を逸していて面白い。彼もまた快楽主義の信奉者なのだろう。  私とはタイプを異にするが性根はさしてたがわぬ男。自己本位にして情熱的な芸術家だ。私を見るやいなや「これはまた美しい。まるで熱帯(小印度)の蘭のように衆目を集める美貌だ!」と褒めちぎり、女であればマクシミリアンにのに、と妙な流し目を弟に向ける。  貴方もそういう感想を抱くのかとマクシミリアン本人の耳朶に囁くと、ただでさえ朱丹に近い毛皮が瞬時に珊瑚色に染まり「君は、人をからかうのがうまいね」と、私にわざと顔を近づけて返答してくる。  こちらが恥じらうのは当然とでも言わんばかりのあしらい方に、ついいたずらな接吻をした。マクシミリアン本人はさほど動揺を見せなかったが、彼を挟んでソファのちょうど反対側にいたイアンの狼狽ぶりは、まさに天動説をひっくり返された神学者さながら。この熊人は大柄で剣呑な外見を裏切ってまことに珍しい(ウブ)さだ。  アライグマ人兄弟は貴種の生まれながらも、感性においてはどこか賎民の混血(あいのこ)らしく思われる。とくに兄の放埒さが刺激的である。探偵に調査させた報告にある通りであれば、(ヴィルヘルム)の子孫は彼自身の婚姻により末代までオーストリア貴族の汚点になるはずだが、その点には全く頓着する様子がない 。  またヴィルヘルムには一点、仄かに匂うものがある…そう、雑踏で香水のきつい者と袖擦りあった際の移り香じみたものが。  閉じられたバーのドアの向こうから漏れだす気配のような。長い年月厳しい風雨にさらされ、いくたりもの人がいた存在感も伝えられない廃墟のような。あれが何なのか、こうして独り月明かりの窓辺にいても思い出せない。或いはデジャヴゥだろう。  ああいう男はパリの街角の香具師にいるような気がする。普段は調子良く口が軽そうに見えて、その実老獪な狐のように思慮深い。  宵の口には白毛犬人のエレベータボーイ、ニコラスと褥で尾を交わらせた。彼の素肌には朝まだきの甘い香りのクローバー畑のように、思春期を迎えたばかりの者に特有な純粋極まる味わいがあった。  ニコラスの肉体に足を踏み入れたのは私が最初であることは疑いようもなく、前戯にしろ愛撫にしろ私が少し舌先で刺激してやるだけで素晴らしく敏感な反応を見せた。  私の膝の間に四つん這いになって「ああ、ああ、リブロン様。僕は嬉しくて、せつない」と枕にしがみつき、背後から抱きしめていた私の腕をひたひたと拍打し、そして短い吠え声のあとに痙攣(ひきつれ)とともに脱力すると、シーツに大きな愉悦の染みを作った。  ニコラスの私への憧れと幸福に満ちた魂が一つ加わったことで、交友関係における私のコレクションがまた豊かになった。善き哉。 5月8日、雨  フェルダー氏の居宅兼事務所にて会食。ブレーズもドロテアも相変わらずかしましい。三人の人間が寝起きするにはやや手狭ではないのかとアライグマ人に問うと「なぁに、私は隣近所の睦事(むつごと)まで筒抜けの場所で育ったんだぞ」とやや砕けた口調で返してきた。なるほどそれならばこそのこの大らかな性格かと得心した。  ドロテアはさる婦人より学院への就学前の教育を受けているとのことで、マナーの初手を覚えてきているそうだ。だが私の見る限り、まだ芯まで染み渡っていない上辺だけのものである。 5月10日、雨  帝立・王立宮廷ブルク劇場にて『熊いじめ』観劇。帝国の文化振興政策肝入りの公演だそうだが、客演として招聘された英国の大俳優の演技はおそらく全盛期を過ぎてしょぼたれておりパッとしない。おまけに、私を誘った新聞社社長の甥っ子だというお坊ちゃんも詰まらなかった。   恐らくは親の七光りで用意されたボックス席。己の学歴や才能がいかに輝かしいものであるかを力説する平々凡々とした(エリート)の隣で欠伸を噛み殺していると、はるか下方の桟敷にマクシミリアンとその兄ヴィルヘルム氏の姿があった。すぐさま理由をつけて席を中座すると、まるで申し合わせたかのようにマクシミリアンらもホールに居り、 「遠くから紫色の毛皮を見かけてよもやと思ったら、やはり君だったかラウル。我々はどうも都合よく出逢ってしまう運命のようだね」  と微笑んだ。その横で巨体を椅子に沈めていたヴィルヘルムの言うことには、所用があって遠方まで赴くことになった知己の代理として席を埋めに来たのだという。やはり芝居の内容や演技については食傷ぎみだそうだ。  白々しく「それなら貴方達も席を離れていてはいけないのでは?」と揶揄すると 「席を蹴って脚本や役者を公然と批判するならまだしも、喉が渇いてひもじくてホールでケーキや飲み物をつまむ程度なら仕方ないさ。しかし、こうして君とこっそり話していると、まるでいけない逢い引きみたいでドキドキしてしまうな」  と言われた。  もしあのイアンがこれを聞いたら、どうするだろう。マクシミリアンの言葉に卒倒するだろうか?私への嫉妬で憤激するだろうか?  いずれにせよ折を見てからかいのネタにするのが楽しみだ。  ボックス席へはなるべく遅れて戻った。劇場を出てから寄ったレストランで彼から脚本への感想を求められるので、とりあえず我が国の戯作者としてマリヴォーを引用しておいた。 5月 11日、晴れ  自動車でプラーターを訪れた。何の変哲もない、典雅でも閑寂でもない新緑の森が、ウィーン万博の跡地だという。同行したデザイナーやイラストレイターの付け焼刃の説明には感銘を受けなかったが、確かにここを歩いている内にふとあのマクシミリアンに仕掛けるにふさわしい罠を思いついた。  小賢しい人間の思惑よりも、おぼろにしてつかみどころのない自然の気まぐれのほうが私の霊感になにがしかの栄養を与えてくれるようだ。  同行諸氏にはパリの文人とお近づきになりたいという欲求がありありと見えていたのでとりあえず「万博へ越しの折にはパリの城館へ」と招待をしておいた。  午後になってホテルのフロントから来客ありとの報せを受けて、およそ2年ぶりに母上付きの執事ベンヴォーリオと顔を合わせた。イタリア人にしてはなく実直誠実一辺倒な駱駝(ラクダ)人だが、それが面白味にもなっている、私の父親代わりのうちの一人。  本宅の様子を訊くとどうも様子がおかしい。ありふれた韜晦(とうかい) (しかも板についてはいない、そこがいじめ甲斐のある)がキナ臭く感じられて探りを入れた。  あの弟がついにこの国の土を踏んだらしい。我が厭世、溜息の生みの親、辛抱強く頭痛を育てる才を持ったあの愛すべき弟が。  先に大まかなスケジュールは聞き出しておいた。ウィーンくんだりまでご苦労なことだ。ここでは絶対に顔を合わせたくはない。  玩具(おもちゃ)で遊んでいるときに邪魔などまさに無粋の権化。…いけない。弟について考えたりするだけでも感性が腐りそうだ。  あれで私に懐いてさえいなければ、せめて憎んでくれさえすれば、侯爵位を簒奪するにまかせ真の自由を手に入れられるというのに。  真面目で素直で兄思いで従順。それらがすべて凶暴な押し付けとともに押し寄せてくるのだ。場合によってはイアンが反対しようがマクシミリアンの居宅に身を寄せるしかあるまい。 5月14日、うす曇り  リッツェンが、あの飲んだくれの彫刻家が、酒場がえりにマクシミリアンを襲ったらしい。  古の将軍の大刀もかくやならん長剣で両断するならいざ知らず、彫刻刀で素人に斬りつけるなど、普段ならむしろ単純一辺倒だと失笑に付す醜態。しかし今回は面白くもない。どころか、完全につまらない。  またぞろ自慢話が鼻につく新聞社社長令息のお誘いから避難するため、フェルダー法律事務所にてイアンの拙い嫌味を口休めに紅茶を飲んでいたところへ、右手に貫通傷をこしらえたアライグマ人が倒れこんできた。マクシミリアンを連れ帰ったブレーズによると大柄な白熊人の仕業で恨み言をいうような様子だったという。またそれだけでなく凶行を再現したブレーズの、片腕を高々と振りかぶり振り下ろすその握り方と動作からしてナイフではないことは一目瞭然。そして下手人が襲撃といった荒事に慣れていないこともまた明らかであったので、すぐにリッツェンのことだと見当が付いた。  ブレーズのまくしたては収穫期の蕎麦の畑のようだった。 「朝飯のあとだっただな、おら、先生とベッド注文に行っただよ。そんで帰りに市場に寄っとったら、なんだべか白熊人の野郎がな、なんか大工道具みてえなのぶん回してめっちゃ先生追っかけて、そんでグッサァ切りつけただよ」「んで、おら野郎に飛び蹴りくらわして、あっちはフラついて川に落ちたけんど、ありゃたぶん生きとるだな」  凶器の形状はどのようだったか、短剣か匕首(あいくち)か何かかと尋ねた─────もはや確認する必要もないかと思われたが。 「あ、ありゃでっけぇ(きり)か石工の使う道具みてえに見えただ。うん、そうだ。ナイフでねえことだけは確かだ。錐かとも思うけんど───それでもねえな、うーんと、違うだ、あの、よく削ったりするのに使うやつ…」  ここでひとつぽんと手を叩く(しぐさが妙に滑稽だったのでやれと請われればすぐに再現できるほど記憶に残っている)。 「(ノミ)!間違ぇねえだ、んだ、ありゃあ鑿だ!石工んとこで下働きしてた時に見てただから、間違いっこねえ!」  白熊人、巨漢、鑿。これだけ揃えたら推理の道筋など必要ではない。犯人の像は明らかに結ばれる。パズルのピースが抜けていても、周囲を埋めればその形も(いろ)も推測できるように。もはや私の脳裏にはクッキリとその男の、いかにもドイツ語圏の人間らしい峻烈な威容が描けていた。  それからマクシミリアンには必要と思われる処置をすべて施し、事務所の面々特に医学的な知識も豊富な(なんせ途中まで医者を志していたぐらいだ)イアンに術後の支持をして血なまぐさいシャツに辟易しながら寝室を辞した。数時間たった今でも記憶の中のマクシミリアンの手傷は簡単に鮮明に思い返すことができる。───凄まじい量の出血だった。あの小柄な、少年のようなアライグマ人の心臓にあれだけの血を流すだけの力があるというのは自然の神秘だ。  玄関へと向かう私へ「どこ行くだ?」と尋ねるブレーズには「秘密」と答えた。沈黙がそうであるように、秘匿もまた明確な回答である場合がある。  反対に私が「ところでブレーズ。君がもしイアンだったら、フェルダー氏をここまで傷めつけた相手をどうする?」と訊くと、碧い瞳を天井までさ迷わせながら 「…おらは法律のこととかマジわかんねえだけども、たぶんそんなの全部関係無しに、イアンさんはそいつをブッ殺すと思うだ」という正解を返した。 「もし、イアンがそのように動くそぶりを見せたら私に言うんだよ」  それだけを大切に言い残し、いよいよドアを開けて立ち去るというときに、ブレーズがまたポンと(今度は自分の右腰を)叩いて告げた。 「そういえば、あんた様の名前が出てたみてえに思うだ」 「私の?」 「んだ。なんか野郎が先生を突いたとき、何回目か憶えてねえんだけどもたしかに『よくもラウルを』つってた気がするだ。あんまし小さかっただで確かじゃねえけんど…うん。なんか『思い知れ』とか『よくも奪ったな』とかも言ってただなあ 」  白熊人。巨漢。鑿。さらに私の名前。そこから導かれるのは、かつて私を恋人と呼んでいた男の名前。いまは、口にするだけで喉元が腐り舌や唇に毒が回ってしましそうな発音。  白熊の。そして彫刻家のリッツェン=ゴルドベルグ。彼の仕業だ。  Soignez-vous,bien(おだいじに)。  ブレーズのおかしな表情から察するに、私は激しい怒りのあまり満面の笑みを我慢しきれないでいただろう。───それは今も。 5月15日 雨、雷  私の治療に対しあまりいい顔をしないイアンに、理屈でもって説き伏せるということをしたせいで疲労が激しい。理屈正論道徳倫理など、犬にでも食われてしまえ。  およそ病院というものはどこでもありふれた雑菌の繁殖と人間の腐敗の温床でもあるが、聞きおよぶ限りではここ、医学の先端都市でさえ例外を免れない。イアンもそこは心得ているので 「なんだ、ビョーインに連れてかなくてええだかね」  というブレーズに、こうも苛烈で急激な症状を呈する場合は医師免状を持つ私と、専門ではないが準ずるに充分な知識を持ったイアンとが看ているほうがまだ良かろうと申し出を却下。 「信用のならない町医者の、あてにならない往診よりかは私の方がいかほどかマシだろう?」  イアンも不承不承という様子でマクシミリアンへの治療を呑んだ。元来、興味のある症状や奇病でない限り、王侯に頼まれたとて首を縦に振らない私だ。 イアンが受け容れてくれたこともあり、彼含めブレーズ、ドロテアにも注意事項と指示を出してきた。  仮仕立ての病室としたマクシミリアンの寝室の窓をまめにあけたてし、新鮮な風を入れること。傷病者には水分と野菜と果物とをできるだけ与えること。やかましくしないこと(これは難しいかもしれない───日頃の氏の善行のためか、私自身が空気の入れ替えに両開きの窓を押した途端外の道路から平癒を祈る町の住民の声が聞こえてきた)。  まだ春のうちで幸いだった。ウィーンの夏については経験していないが、我らのパリとは違い、うだるような熱と湿気の地獄と聞いている。そうであれば化膿も体力の消耗もより深刻になっていたかもしれない。  いまのところは爽やかで(ぬく)みのある空気と、清潔な湯冷しがあれば充分だろう。 5月20日  マクシミリアンの容体が悪化したとの報せを受け、駆け付けた。  野犬を放った鶏小屋のような騒ぎようのブレーズを落ち着かせるために書斎に隠してあった(おそらくマクシミリアンの)コニャックを半分がた空にした。  あの碧毛の犬人によれば、ここ数日のうちに体温は激しく上昇・下降を繰り返し、発汗著しく、口渇・受傷箇所を含む右上肢全体の炎症反応・意識障害・乏尿をきたしたとのこと。おっとり刀ならぬ医療道具で駆け付けるとはたしてその通り、いやそれにも増して深刻な有様。病床で痙攣(けいれん)と寝返りを繰り返している状態だった。なお、それ以前に全身倦怠感、筋肉の凝り、悪寒・戦慄などを訴えていたことから、破傷風の徴候であるものと想定していくことにした。  とにかく発熱が顕著であり頻脈も見られることから、劇症を疑い、部屋の換気、さらなる水分の補給、窒息や舌をかみ切ることの予防に猿轡(さるぐつわ)等の間断ない対症療法を指示する。  処置の間は終始ほぼ無言であったイアン。普段私があの赤子のように小さな手を取ろうとするだけでも般若の形相で阻止しようとするものを───あの熊人の静けさは、まるで人をして自死に至らしむる湖のほとりのようだった。普段錬鉄製の仮面をかぶっているような堅い性格の熊人の内面の葛藤を思えば、なんとも興味深い。 「もうすぐシーツ交換の時間だよ。汗もよく拭いて下着と寝間着も替えて、水分と水薬をとらせるようにするんだよ。あと、水分には前に言ったように塩気と蜂蜜とレモンを加えるんだよ」という指示に「おうっ!まっかしとくだ!!」と応えるブレーズが頼もしい。静かに狂い始めているイアン、心配して泣く他には致し方のない子供のドロテアの中にあって、この犬人が差し当たっての大黒柱といったところか。 5月30日  一進一退を見せていたマクシミリアンの症状がだいぶん死の谷のほうへ近づいてきた。ある意味では私の気分も落ち着いてきたので、たわむれに往診の際イアンに下手人が見つかるか名乗り出たらどうするのかと訊ねてみた。  大きく見開いた(まなこ)で、無邪気と言えるほど晴れ晴れとした三白眼で、熊人は眠りにつくアライグマ人の脇で立ち上がった。 「殺しに行く。決まっているだろう」  決定事項を告げるように言う。彼の精神の中では既に死刑が終わっているのかもしれなかった。軽くたしなめ止める振りで私は思う。これはこれで面白い()し物だ…と。  狂気に堕ちる者の貌は見飽きるほど見てきたと同時に、これほど多様で心踊る瞬間もない。  ある役者はハムレットの稽古中に踊りながら発狂した。  ある少年は隣家の女主人への恋の狭間に落ちて静かに文を(したた)めながら狂っていった。  同じように復讐を望むものであったとしても、ブレーズなどは私と同様、たといどのような修羅場であってもとりたてて惑乱しはすまい。  だがブレーズと私の大きく異なる点は、彼は原初的な素朴な凶暴さから発した罪の近くに居り、私は探究心と好奇心に養われた魔の近くに居るということだ。  私はどんな他人の悲しみも苦しみも愛おしく想う心にも頓着しない。面白ければそれが望む唯一の答えだ。それを阻むものだけを(にく)むのだ。 6月1日  午後にもう一度、様子をうかがいに寄ってみた。薄く開けたドアの隙間から覗いたものは、一幅の絵画のようだった。  ユダヤの血を引く熊人が、荒ぶる魂を持つ男が、ただ静かに、寺院の祭壇に跪き救済を祈念する修道尼のごとく、眠り込む想いびとの傍に(はべ)っていた。横顔は穏やか、気品すら漂わせて…  私はてっきり、イアンが妹を亡くしたレアティーズのひそみにならい、嘆き哀しみ想いびとたるマクシミリアンの美点や善行を挙げ連ねて天に誅殺(ちゅうさつ)嘆願をする───決して情状酌量など挟まない運命の裁定者たる神に───のかと思いきや、こそとも音が立たない。  私の予想が完全に覆された。  まさにこれこそ現実の面白味、想像の翼が無限の天空を飛翔するというのなら、現実の意外性とは感動が火花となって爆ぜる奇跡の坩堝だ。 「きみであれば、イアン、マクシミリアンの仇を討つために修羅となって蛮勇をふるうと思っていたよ。有り体に言えば殺意の徒になるということだね」  部屋に入って素直に感想を述べる私にイアンは言った。 「…勿論先生をこんな風にした者をのさばらせるつもりはない…でもとにかく…先生の快癒が第一だ………」 「ならばその役は私が貰おうか」  これは彼には聞こえなかったろう。  イアンは目の前にある愛する者のみを見つめ、そこにしか意識を寄せていなかったのだから。舞台であれば観客もしくは次の場面の登場人物が聞きつけているところなのだろうが。  正しい現実性とはこういうものだ。 6月11日 曇りのち晴れ  体温平熱、脈拍正常、意識清明。養生のためにいくつかのハーブを処方する。運動療法の伝授もこれに加える。  体力の消耗による日和見感染に注意が必要。現時点で生命の危険は去ったものとする。  私自身の意志と権限でしたためたものが、ごく普通の診断書であってホッとしている自分にいささか驚かされた。───予後までを計画してのもの。生者のためのもの。  フェルダー氏の名前の右下に自分のサインが署名されるものが死亡診断書であっても構わないはずではないか?執着とはこれまで無縁であったはずだけれど、あれは自己陶酔的な虚無感(ニヒリズム)だったのだろうか?  ───いや、違う。私が安堵したのは、ひとえに興味の対象が、この国における玩具(おもちゃ)のひとつが私以外の手による破壊を免れたという意味においてのことなのだ。  焦燥感とそれからの解放…それは特に、楽しい遊びが続くかどうかという瀬戸際にあっての感情だ。 「ジャン…」  思わず口にして気がついた。  私は無意識のうちに、ジャンと名付けた栗鼠のことを彷彿としていたのだ。あの愛らしく小さないきものと、小人のように短躯なアライグマ人を重ねて見ていたのだ。 6月17日 晴れ  マクシミリアンが襲われた日から、私は周囲にリッツェンの件が悟られぬよう行動してきた。イアンの前でブレーズが語ることさえあえて禁じた(用いた凶器や私とのつながりを知ったなら、イアンならば推察するだろう───厄介なことになる)。マクシミリアンの生命に安泰の徴候が明らかになったことを確認して帰途につく道すがら金物屋に寄り、を購入。ホテルの部屋でこれはと思う重さ・固さ・張布のちょうど頃合いなクッションを選び、テーブルに置いてから思い切りを突き刺し、グリグリと中身を(こじ)り引き抜いた。  効果は思い通り。突き刺す時は一息に奥深くまで刃が届き、なるべくえぐるように手首をひねりながら抜くと、張布を刃に続く出っ張りが引っ掛けて、さらに強く引けばそのまま千切れる───マクシミリアンの手掌部の傷の形とそっくりに。  そう、あの醜悪な傷口はこうしてこしらえられたのだ。  人肉に鑿を突き、皮ごと巻き込んで引き抜いたのだ。だから汚染部位には、あの手の中には、私が縫合したときも錆や不潔な物質がまだ残っていたのだろう。丁寧に洗浄しはしたが、発熱程度に収まらず破傷風となってマクシミリアンに半分がた死出の旅路を経験させるという事態を引き起こしたのだ。  とっくに確定した被疑者を告発せずにおいたのは、これから始める狩りのためだ。さて、ここからが私の遊びの手際の見せ所。投げられた賽を象牙と黒檀の盤に落とし、できるだけ見所のある死のアート(オー・ド・モール)を。  悲しみと哀しみと、死と屈辱と。もっと思いもつかぬ展開を。奇を、驚を、歓を飲み込みたい。  醜いものにも生きる価値があると思うような人間には想像力が絶望的に欠けている。  美しさが損なわれる事態、或いは事象を排除するために、いかに芸術家達が骨身を削ってきたか、そして得ただろう霊感によりその後に生まれた私達がいかほどに恵まれているのか。  リッツェンも美しい男だった。─────しかし今の彼は立ち枯れた(もみ)の樹より無価値であり、(かび)のむした葡萄よりも醜い。  失われたものは取り戻せない。だから私はあれを処分する。  一切のおそれを棄てるべき刻がきたのだ。   6月22日、雨  すべては計画に沿って運んでいる。リッツェンはじわじわと迫りくる包囲網から逃れることはできない。アナグマよろしく自宅以外の安宿にでも避難しているのだろう───が、どこにその巨体を(かく)そうとしても無駄だ。  私が立場と地位を目いっぱい使い、官憲やブレーズ言うところの「フェルダーさん自警団」をふんだんに活用すれば、もうじき狭まった輪の中から間抜けな狐よろしく頭を出すだろう。  そしてそのその時にはもう罠の中なのだ。運命は決定しているのだ…  野良栗鼠のジャン、プロヴァンスの別荘の庭の木の上で、いつも木の実を齧っていた。  そして私が生涯で初めに殺した生き物。  かれに対する幼い責任感と後悔の体験が、本来自由を好む私の精神に作用して縮こまらせていたのだ───それは現在も続いている。  そろそろ、潮時かもしれない。この因縁…もとい軛を断ち切り、殻を破って未知の経験のその先へ飛び立つことを試す機会だ。  決意と行動は私の中で常に溶け合っている。   彼が罠に落ち込んだその時に彼を訪ねに行こう。リッツェン=ゴルドベルグ。私を掌中に収めることに取り憑かれた男の許へ。  もうじき決着がつけられる。 7月1日、晴れ    人は自分自身の心の在りようを見ることはできない。それをつぶさに観察することができるのは他者の視線をとおしてのみだ。  かつて彼は私に言った。 「ラウル、君はまるで陽炎そのもののようだ。つかみどころがなくぼんやりしていて、どんな形にも移り変わる」  と。  普通の人間ならば金属製の定規のように筋道の立ったものであるという善悪の基準。私にはそれが分からない。感覚としての後ろめたさが欠除しているせいだとも彼は言った。  ならばこそ、私は私の望むことを為す。  今日だ。決行すべきは今日に定めよう。私の本能が囁いている。天が晴れていようが雲の緞帳に覆われていようが、今宵の満月こそ幸運なる観客だ。  彼…リッツェン=ゴルドベルグ。私はこれから私自身の影と足音のみを供にして、一かたまりの殺意という形をとって君を訪ねていこう。  古来からの由緒正しい死の裁定はすべからく美しい夜に行われてきたというから。  馬手(めて)に蝋燭。弓手(ゆんで)にワイン。命を量る物差しとしてこれほどふさわしいものはない。 7月3日、雨  物事が首尾よくすすんだ時は気持ちが良い。さすがに昨日は興奮と疲労のないまぜで一日をベッドの中で過ごしてしまった。  一昨日の晩を思い返そう。  思い返す。昏い階段の上を一歩、また一歩と踏みしめながら。雲の上で煌々と風の神たちの遊び場を照らしているだろう月さえ隠す厚い闇にくるまれて、そうして標的へ近づいていく。  どうして自分がいまここにいるのか。  哲学的な問いなどではない。単純な事実だ。  マクシミリアンの笑顔が私にささやいた。  マクシミリアンの笑顔が私をやる気にさせた。  闇の到来を告げる夜鳥の喉が復讐者に哀れな犠牲者の声で血の報復を叫ぶように、あの人懐っこいアライグマ人の屈託のない笑顔が私に火をつけたのだ。  仕返しなどつゆとも望まぬその心。それを玩具として遊ぶためには、より長らえさせるには、あの邪魔者を除かねばならないと示したのだ。  おそらく他のもののためであれば私は自分が動かないであろうという予測がある。  閑静な住宅地の高層住宅。彼の部屋に鍵はかかっていなかった。深夜であったがいつからそうしていたものか、白熊人は幾つもの酒瓶に、砕けた石膏と立台に囲まれていた。  連日の隠遁に疲れ果てたのだろう、頬はこけ以前裸を見た時よりもあばら骨が浮いていた。  アパルトマンの内庭に面した露台(バルコン)に高鼾をかいているリッツェン。あの騒音には夜をともにする際、いつも悩ませられたものだ。  物音でこの芸術家先生を起こさぬよう、まずは慎重に向かいの部屋の露台との距離を測る。  このアパルトマンの庭はむしろ箱庭といったほうが似合うだろう。  庭を見下ろす各部屋の露台は大きく張り出しているが、そのために庭の面積は露台の描く四角形よりもずっと広い。とあるモニュメントを中心にして、植木と気持ちのよい小さな花壇がそれを取り巻いている。程よく苔むした敷石に、花壇から咲きこぼれるガーベラの匂いが空気を甘くしていた。風は無い。冴え冴えとした星の夜。  事を為すのに足ると判断し、私はおもむろに彼を起こしにかかる。部屋の片隅にあったピアノの白鍵を、ただ一度音高く鳴らすだけで事は足りた。ひらひらと舞い上がる羽のような音節。  ねっとりと乾いた涙に張りつく瞼をこじ開け、リッツェンは暫くの間じっと推し量るように私を見つめ、それからいななくように更なる涙を流しつつしがみついてきた。  私が手を取ると、白熊人はしばらくこちらを崇めるように跪いていた。 「判っているんだ。判っていたんだ。君は僕を罰しにきた。そうなんだろう?」  いや。何もわかってはいない。だからこそこのような結果になったのだろう。 「そんな詰まらない。それよりもっと面白いことをしましょう。心躍るものを、血が騒ぐものを…それには」  ここで私は、用意してきたワインと蝋燭とを月光のもとに差し上げた。 「古来より、賭けごとのほかに興奮を催すゲーム無しと言います」  彼は立ち上がり、私のセリフが聞こえていなかったかのように独白を始めた。 「僕は君にすっかり参っているんだよ。内なる霊魂の全ては服従し、解放された時代(レコンキスタ)のスペインのように君の名前を記した旗を振っている。この作品達を見たまえ(まるで人間のように彫刻を扱うのが彼の流儀だ。他人にまでそれを強要するのがいただけない)───誰がモチーフか一目瞭然だろう」  既にして私の脳神経の髄は寒々しく醒めきっていたが、彼がいきなり抱擁し、激情に身を任せて興奮のままに私を押し倒し、冷たく固い汚れた床の上で肌を合わせようとしたのでそれがピークに達した。  遊びの手段も典雅な計画も吹き飛びそうになったが、なんとか理性で押しとどめた。───これは私の成長のために、なくてはならない階梯(イニシエイション)なのだから。 「プライドの無い振舞いはおやめなさい」  酒臭い胸板を激しく押し返して、拒否の行動に傷付いた面持でいるゴルドベルグに尋ねた。 「愛が形に顕せるものでしょうか。力任せに石を砕き人型を調え、肌理をいかな滑らかにしたものでも、それは地球の産出した物質の表層を撫でただけ。人間の矮小な視覚や触覚に与える影響にほんの少しのタッチを加えただけに過ぎない。いや、よしんばそこに心を込めたとして、もし私が(めし)いていたら?それとも聾になり音を失っていたら?  貴方が口にして憚らぬ愛などその程度。真実の言葉は実行することで証明できる勇気という翼を持つもの。そして言葉が真実であって始めて愛というものがそこに映し出される。そうでないのなら言葉は歪んだ鏡です。色も形も匂いすらあやふやなものである理想を奉ずる美の信徒、一切の誓いをも強制することない魂の門番である愛の神について学ぶ者が、歪んだ鏡の鏡面に映し出された狂った虚像を信ずることなどあり得ません」  ゴルドベルグの憔悴しきり恋情に病んだ瞳に、かりそめの知性の光が戻る。この狭小な“芸術家”とやらの、浮浪民の下着にも似た最後の意気地。 「僕に何をせよと?ラウル、どうすればもう一度君に愛してもらえるんだ?」  それは無理だ。私はじゃれつくだけの仔犬は嫌いなのだ。  という言葉はそっと喉の奥にひそめてリッツェンの肩に手を置く。 「あなたが手傷を負わせた人に対して償いをしたいと思いますか?」 「!……あのアライグマ人か。あいつが。やっぱりあいつが君をたぶらかしたのか!」 「───可哀想なリッツェン。あなたは重大な誤謬をおかしている」  あまりの愚かさに涙が出るほど笑いたくなった。私の興奮が手先に伝わり、爪の先が黒鍵をなぞる。この音階と音階のはざまに横たえられた闇と、そこに割り当てられた橋桁としての中途半端な音が私を酔わせる。 「マクシミリアンはね。はオモチャさ。私の退屈を紛らし、気晴らしをもたらして愉しませてくれるオモチャに過ぎなかったのに」  リッツェンから束の間の安堵が伝わってくる。本当に、下手な辻芸人に操られる泥人形のように愚かだ。 「だからこそ…私が教えた、私が最もきらうことを忘れたことが罪なのです」  ゴクリと唾が咽喉を降り下るのが聞こえた。 「ラウル…きみが恐れ、きらうのは、愉しみを台無しにされること、オモチャを勝手に壊されることだ」 「そう。彼は私と友人関係ではあるけれど、恋愛の糸で結ばれてはおりません。貴方の完全な独り相撲だったのですよ。そのために殺されかけて辛くも命を拾い、しかし今は破傷風で寝込んでいます。無実の人間を逆恨みで刃にかけた罪。まさか無視されはしませんね?」  白熊人は少し躊躇ってから深々と頷いた。 「それでは貴方の往くべき道筋を運命の御手に委ねましょう。私は断罪の裁量を備えた復讐の使者でもなければ公平無私たる正義の味方でもありません。あなたの罪はあなたの無意識に既に深く刻印されているのです。その重さを量るには、古代のギリシャ人のように神託の形式を借りた儀式こそが相応しい」  てらてらと油を塗りあげたように大理石の床が月明かりに照り映えている。わたしはその先、中庭を挟んで一つ向こうのバルコンを指差した。  そちらの部屋には幸い間借り人はいない。以前には老人が独りで住んでいたらしいが、現在は家具も何も無く、壊れた椅子がただ一脚だけ、まるで観客であるかのように湿気よけに開け放たれた大窓の奥に見える。 「これから使うこの蝋燭の炎は、贖罪のための天上の灯火(ともしび)…あるいは冥府へと導く弔いの葬火」  ワインの封を切り、手近なグラスに移す。私はグラスのほうと蝋燭だけを持つ。その二つの間をさまようリッツェンの視線が凝固した時、彼は提示された内容を察した。 「僕に、僕にあそこまで飛んでみろと?」ゴルドベルグの(ふた)つの峰のような背筋(はいきん)がぶるりと震えた。「赦しのためには代償が必要──と?」  私はただ一度瞬きしてみせた。 「ようくご覧になってください。彼方と此方で距離は13フィートと無い。勢いをつけ、迷いを捨てて踏み切る───ただそれだけ。それだけで終わってしまう、ほんの些少な思い切りがあればできること。  運命が支える天秤の左右にかけて誅殺の罪過を晴らすことこそ、潔い方法ではないですか。それとも、貴方は恐れていらっしゃる?」  私はクルリと踵を返し、助走をつけると手摺を踏んで高く跳躍した。もともと私は身が軽い。孔雀が止まり木をかえるように、外套を翻して楽々と反対側へ飛び移る。 「どうでしょう、ことほどかように易しいもの。貴方には無理なのでしょうか?それならば無理強いはしません。別れ(オウボワー)を告げるのみです」  あやめもつかぬ闇夜も虎人の私には危うさなく歩くことができる。ましてやこの夜のように雲薄い場合ならば、蝋燭やランプの灯火がなくとも紫の夜の色に染まって周囲はさやかに見通せる。  それは熊人のリッツェンも同じくであろう。ただ向こうの方がやや闇には弱いかもしれぬ。それならそれで、下を視て恐れる必要がないのだから、まんざら不均等なやり方ではないと言えるだろう。  とはいえ逡巡に時間がかかることは目に見えていた。私は白熊人にも目標地点がよく見えるようバルコンの手すりに蝋燭を据えて火をともし、対面した部屋のバルコンへ向いた椅子に───つまりリッツェンと向き合う格好で腰かけた。  移動の跳躍の際ですら一滴もこぼさなかったグラスからワインをあおる。フランスのものよりだいぶ泥臭いが、これにも意味(エッセンス)を持たせてある。  リッツェンは一歩を踏み出した。顎先の伸びた毛皮が外を流れる風にそよいだ。  太い喉頚をうねらせて、ゴクリと唾を飲み込むのが見えた。はだけたシャツから盛り上がる胸が、そこを伝う冷や汗が見えた。蒼い月明かりよりも尚、蒼く血潮のひいた顔が見えた。  それら総てが私を愉しませた。彼の荒々しく胸打つ鼓動が私を歓ばせた。彼の哀れっぽい眼差しが私を高揚させた。 「ああ、なんということだ」  と、彼はシャツを脱ぐ。 「君は恐ろしい男だ。こうして赦しを乞うほかない僕を情け容赦なく追い詰める。君にとって僕は、もう興味の失せた玩具か、残り香の消えた香炉ほどの価値も無いのだろう?」  そして下の着物も脱ぎ、裸体を露わにした。 「だのに………ああ、なんということだろう?おお、ラウル、僕のナルキッソス!…なおも僕は、君を愛している」  だから、とまたしても足を進めた。 「ここで君を繋ぎ止める。そして、私は君を愛し愛されるただ1人の人間になろう」  スウーッと一息吸い込むや、半歩足を引き、そして駆け出した。  逞しい太ももに筋力が漲り、手摺へ走る。跳躍。彼がその手に鑿を握り削り散らした石の棘を踏みつけたままの血の滴る足で宙を飛び越え、ヘルメスのようにそのままこちら側の手すりへ到達。喜悦とともに私へ向かってくる。 ──かと見えた。  蝋燭の炎は静かにすべてを照らし出していた。リッツェンの驚愕も、空気をかきむしるような誰かにすがるような、前に突き出した両手も、引き裂いたように開く口許も汗も。  垂れたロウの溜まりが、リッツェンの足を見事にすくって滑らせた。 「うっ」  彼は唸った。それが最後の言葉になった。  ひっくり返った身体。大きな尻が手摺に引っ掛かる。それでも勢いが殺がれず、熊人がもんどり打って階下へ落下する。私は急いでバルコンに出る。  闇への落下の道すがら、クルリと綺麗に一回転したリッツェンの最期。私と彼の目が合った。  そんな馬鹿な…と、彼の眦は歪み、理不尽を訴えていた。  これはご愁傷…と、私の瞳はそう応えた。  どすっ。  音の響きが消えやらず、びいんびいんという振動がしている間に素早く手すりから上半身を乗り出してことの顛末を確認した。  このアパルトマンに住んでから、リッツェンは初めて人間より大きな彫像を手がけた。当時は無名であった彼のその大作で店賃の代わりとすることをアパルトマンの経営者が太っ腹にも認めてくれたのだ。ひきもきらさぬ売れっ子となった今ではそれは、先見の明と有益な投資のたとえ話としてこのあたりでは有名だそうな。そう、彼はよく自慢していた。今は亡き白熊人は。  その作品のテーマは『海原』だった。箱庭の風景がまるで岩礁のように、植木や草花が海藻に見えるようにと海神ポセイドンと逆巻く波をシンプルに繊細に形にした代表作のひとつ───  海神の彫像の三叉檄が深々と肋を貫いて、熊人の身体はその矛先でバウンドしたらしい。  モズの早贄のように胸を綺麗に貫かれ、リッツェンはうるさい愛の言葉の代わりに永久の沈黙を開いたままの口から漏らしている。  残酷で美しく血は流れ伝い、地面に落ちて黒々とした水溜まりとなっていく。冷えて固まればあの彫像は、チョコレートをあしらう甘味(デセール)のごとくに見えることだろう。  リッツェンの運を試すお膳立てにこの趣向を選んだことには意味があった。  私がかつて、そして現在も避けている眼前での流血───強いて言うなら流血を伴う死。幼い頃の経験が精神の傷となっているのならば、それを乗り越えられるのか。それとも変化も進歩(あるいは退行も)していないのか。  自分自身についての興味は多くはない。そのようなものは不必要だ。己が何者かは知るに足るだけ知っておれば良い。  結果は、私はこの夜に蛹の殻を破り羽化することに成功したのだ。愛すべき栗鼠のジャンと情けないリッツェンとでは比べようもないが、流す血の量でいえばはるかにまさってはいた。  私の台詞を遮る耳障りな言い訳も、慈悲と哀切に訴える愚かな改悛もない。  完全なる静寂(しじま)。  なんと甘美な。  いや───ここには自然の奏でる音楽が溢れている。  雲を流す風の音。そして。  私自身の鼓動と。  これぞ。あるべき夜。魂と霊感を研ぎ澄まして世界と対話するために用意された、太古から連綿と続きしかも日々新たなる誕生を迎える、完璧な夜だ。  私は満足し、血の匂いが立ち上ってくる前に、と踵を返す。そのときも聖堂のオルガンのように三叉檄の金属は微かに軋んでいた。  私は終止符を打った。露台を離れ、窓から隣の建物───これもまたアパルトマン───に飛び移る。  小妖精の衣のように軽やかな蜘蛛の巣が雨樋にかかり、いままさに飛び立たんと、あるやなしやの風になびいていて。バルコンの手摺には小さなひび割れがあり、豆粒ほどのささくれがその刃を月に照らさせて。  先ほどまで蟻一匹いなかった隣家のバルコンに、趣味のいい胸着(コサージュ)にぞんざいに袖を通した娘がびくりと動いた。 「シッ、騒いじゃいやですよ。お嬢さん、なんでもないのです。私はあなたに指一本触れませんし、ましてやいじめようだなんてつもりもさらさらございません」  ひとを呼ぶぞと言われたが、私は興奮のあまり逆にこう言い返した。 「私にかまおうとなさるな。我こそは夜の深淵よりの使者、この世の(ことわり)の外に身を置くもの。月光により命を得た夜風の精なり」  私をつぶさに目撃したお下げ髪の可愛らしい女の子に優しく目配せをして、このわずか数分の邂逅にお別れをした。  後に引いた足に力をため、香る大気を吸い込むやヒラリととんぼを切る。リッツェンより優雅に確実にバルコンを飛び移り、さらに隣の建物へ。  いま、この暖かなホテルのスイートで寛ぎながら、心ははや明日の予定に飛んでいる。  さてどうしようか。何をしよう?母が心配しているらしいから一度パリに戻るのが良いだろうか。こちらまで出張ってきているらしい弟(ベンヴォーリオは当主である私の命を優先して居処については口をつぐんでいるようだ)をまいておいたほうが良いだろうか。  とすれば、チケットを取り、荷物をまとめ、新聞社やその他マスコミ、関係者各位にことわりをいれなければならないか。  そうだ、その前にもう一回だけあの事務所に夕食を呼ばれに行こう。アライグマ人にしろ犬人にしろ、兎人の娘にしろ、あそこの連中は料理人としてもなかなか良い腕を持っているから。  イアンは除いて。彼はと葉を閉じるハエ取り草のように、たまに構うと面白いから、まあ、出立の前にまたひといじりしてやるのもいいだろう。  あの夜、屋根から屋根へと渡り移っていくなかで、夏の始まりを告げる蝉の声───遠く南仏の故郷の音が聞こえた気がした。プロヴァンスにもうだるような季節が巡り来ようとしているだろう。  血の匂いの似合う季節が。 7月4日  マクシミリアンを訪ねた。もうすっかり調子を取り戻しており、私の顔色を見て 「君はやけに若々しく見えるな。実際、今日はいつもより瞳は澄みわたり毛並みもツヤツヤとしていて声の音階も豊かだ。まるで天国で産声を上げたばかりの天使のようだよ」  と微笑んだ。喜ばしいことが起きたのは保証できる。  イアンはアウラに色がついていれば真っ黒な繭に包まれたように見えたにちがいない。「君の友人の冥福を祈ろう」そう言って右手を差し出してきたが.、慇懃(いんぎん)に交わした握手からは「貴様も、貴様にまつわる者どもも金輪際、僕の先生に近づくな」という警告が込められていた。笑みは引きつり瞳孔は広がり、殺意すら感ぜられるほど激怒しているのは明らかで、こちらもまた笑いをこらえるのが一苦労。 7月7日  ゴルドベルクの葬儀の参列者にマクシミリアンの姿を発見し、久方ぶりに驚いた。  イアンには内緒とのことだ。さしもの用心深い熊人も、今頃は安全が確保された安堵に包まれて休眠しているのだろう。  手指の障害はないかと尋ねると、マクシミリアンははにかむように笑いながら右手の指先をわきわきさせ「なにほどの支障は無いよ」と答える。  加害者を被害者が悼むなど私はこれまで見たことがない。その点についての疑問を投げかけると「だからこそだ。主の慈悲を乞うためにも私は参列するべきなんだ。哀れなゴルドベルクのために。彼の魂よ、煉獄にゆくことなく安らかに憩いあれ…」だが私が他の参列者に語りかけられて、そちらを向いているとき、マクシミリアンが参列者の一人の(かげ)で右手をいたわっているのを見逃さなかった(私の目は昆虫の複眼のように世界をパノラマに見てしかも若干は歪むが視野の隅々まで確認することができる)。 「葬儀とはどんな場合でも涙を伴うものだ。この悲嘆を見れば彼がどんな人間だったのかよく分かる」  偽善の眼差しではなく、哀悼の宿った瞳。心の底から発した科白の響きをしていた。童顔の上に描かれた哀しく苦しげな表情は、またしても私にその記憶を揺り起こした。  矢に胸を貫かれた栗鼠のジャンを。  そしてマクシミリアンが私の興味を引く理由に得心がいった。  度外(どはず)れた共感力。  マクシミリアンは人間というよりも野生の生き物に近い感性を持っている。それは理屈や理念といった人間らしさとは一線を画した性質だ。  あの栗鼠のジャンは言わずもながだが、鹿や猪といった人に狩られるが定めの動物たちの瞳の中に、これまで憎しみや憤りを見たことは一度たりとてない。それらは総て、人間の、人間によるところの、人間にまつわる感情なのだ。  憎悪、憤怒、嫉妬、欺瞞、卑屈、それら人間の感情が下劣というのなら動物たちなどは天上の生き物といっていい。  どちらが優劣ということではなく、野生の動物たちは相手に何がしかの共感を探り手繰り寄せ、そこにただ理由を見出して受け容れるのだ。  瞑目し涙さえ滲ませるアライグマ人は、まさしく人間のなかに宿る野生の純真、貴族として…いや一般の現代人としてあり得ぬまことの無邪気さの体現者なのだ。  言うなればアダム。原初のひとそのものだ。  あれを自らの手で壊してみたい。  ピアノ協奏曲を奏でるとき、象牙の鍵盤をなぞるのが好きだ。軽やかな黒鍵との重さの違いもまた然り。  羊皮紙も良いが、できれば東洋の、日本からもたらされたワシという紙の上にペンを走らせるのが好きだ。ロウを引いたごとくに滑らかな表面に鈍色のペン先が舞い踊る様は、鮮烈で見ごたえがある。  朝まだき、まだ宵の余韻をのこした気だるい体を引きずって、表通りを歩くのが好きだ。煙草(シガレット)があれば尚よい。  この世には好ましいものがなんと潤沢にあることか。それらは私に味わわれるために用意された感覚。非常に喜ばしいといえるだろう。  わけても、夜。夜の帳を焦がす紅いもの。  火。火口。シガレットの吸いさしの向かい側に留まった紅い蛍のような光。甘い煙を肺に入れるさいに輝度をあげるつかの間の宝石。  火は美しい。紅く燃えたぎる暖炉の炎は言わずもがな。燭台代わりのグラスに入った一本の蝋燭(ともしび)も、焼け落ちる屋敷のスレートや窓を照らす破壊の炎も、そしてひとの胸に燃える業火も…  なべて火と名のつくものはこの世で最も美しい部類の宝石だ。  醜いもの、愚かなもの、そしてときには愛おしいものも、火の中に投じられればその輝きは一層高まる。そして最骨頂は、燃え尽きる寸前、あるいは役目を終えて消される寸前の、勢い衰える前に最大の主張をする緋色と橙色と黄色の入り混じる姿。  ───あの愚かな熊人も。芸術家気取りのリッツェン=ゴルドベルグ。あの退屈な男も、嫉妬でその身を焼き尽くした。  私の愉しみへの道を塞ごうとした酬い、その罪への褒美には相応しい。  そしてそれを滋養ゆたかな糧として、私は己を変えることができた。  春の終わりは、人を殺すのによい季節だ。   ラウル=ド=リブロンの手帳より。随筆や短編小説の構想と思われる。
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