決して揺らぐことのない永遠のポラリス29

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決して揺らぐことのない永遠のポラリス29

 大輝は黙りこくったまま、ズンズンと歩いて行く。清人はそれを半歩下がったくらいの距離感で歩いた。いつもよりの近さはない。だからと言って離れ過ぎてもいない。大輝の様子を伺いながら一定の距離を保っている。 「悪かったって、なぁ、機嫌直せって」  清人は内緒話をするくらいの小さな声で囁きかけた。そんな困った顔をしないでほしい。いつもと違う部分を見せられたら、こちらの方が困ってしまう。 「……何が?」  わざと凄んでみせても、清人は少しも動じない。 「さっき、みんなの前でキスしたの」 「いや、別にいいよ。駿太には前からキヨのこと話してたし」 「じゃあ何でそんなに暗いんだよ」  全てを正直に話せば、清人はきっと慰めてくれるだろう。あの、鼓膜を溶かすほどに低く温かな声で。でも言わなかった。何故かは分からない。言いたくなかった。最寄駅で降りて、二人の家への道のりを行く。駅を離れれば人通りはまばらになっていく。それをいいことに清人が手を繋いで引き留めた。 「大輝」  立ち止まる。でも振り向くことが出来ない。きっと泣きそうな顔をしている。清人にこんな情けない顔を見せられない。顔を上げられず、目を伏せた。視線の先に真っ黒なアスファルト。果てが見えぬ夜の空をそのままそっくり映し出したようだ。 「……これだけ暗ければ、手なんて繋いでも誰も分からないだろ」  清人はそれ以上何も聞かなかった。手を繋いだまま歩き出す。こういう時、清人の察しの良さにとても救われている。それと同時に甘えてしまう自分にひどく腹が立った。  酔っ払った丈を、清人は一人で支えて運んでくれた。体格の大きい丈を支えるのに大輝と駿太だけでは少しキツかったのでありがたい。 「たいきー……」  丈はうわ言のように何度も大輝の名前を呼ぶ。その度に先ほどの丈の言葉が蘇って、膿んだ傷のようにジクジクと痛む。  ──嫉妬してた……それと同時に、大輝が可愛かった、惹きつけられてた。憎らしい程に。  自分は嫉妬される程の人間ではない。丈に迷惑をかけてばかりの赤ん坊のような存在だった。次のステージで花開こうとした時に、また大輝が現れた。丈が何もかもを捨てて辿り着いたステージ。あの時の目は嫌悪ではない。不安だったのだ。自分を見出した遠山ですら大輝に取られてしまうのではないかと。それを大輝はただ嫌われたと勘違いして、突っ掛かったりもした。沢山助けてもらったのに、丈を今も苦しめている。 「おい、タクシー止まったから。乗れるか?」 「清人さん。俺が一緒にタクシーで送って行きます!」 「あー、君。声優の子?」 「そうっす!」 「何で俺の名前知ってるの?」 「湯瀬くんから聞きました……あの、二人って」  すると見せつけるように、清人は大輝の唇を奪った。唖然とする駿太。タクシーに押し込められた丈はウニャウニャと訳わからないことを口にしている。 「ちょ、ちょっと!」 「じゃあよろしくな」 「あ、はい!まじ任せて下さい!」  しばらく瞬きを繰り返した後、我に帰ったようで慌てて運転手に行き先を告げた。もう飲み会自体はお開きになったようだ。駿太から手渡された荷物を受け取り帰る。走り出したタクシーのバックフロントがどんどんと小さくなっていく。何でキスをしたのか、問い詰める頭もなかった。丈のことが頭から離れない。いつまでもタクシーのエンジン音がすぐ側で鳴っている気がした。  上の空な大輝に清人はちょっかいを出す子供に絡んできた。しかし、うまく甘えられなくて結果、先程のように心配させてしまうこととなったのだ。 「あともうちょっとだよ」  最初は大輝の方が先に進んでいたのに、いつの間にか清人の背中を追いかけるような位置にいた。腕を引っ張られるままに歩く。清人が迎えに来てくれて本当に良かった。罪悪感をくくりつけられて重くなった足じゃいつまで経っても帰れなかっただろうから。  帰宅するなり、大輝はリビングのソファに雪崩れ込んだ。ピンと張り詰めていた心が、一気に緩んでバランスを失う。 「風呂、どうする?」 「先どうぞ」 「俺は家出る前に入ったから」  そう言われてもソファに座ったまま、動く気になれない。背もたれに身を預ける。滞留していた不安が帰宅して一気に流れ出した。身体の中で渦巻き、出口も分からずに巡り続ける。 「大輝」  清人がいつも以上に優しい声色で声をかけてきた。低音の中に滲む甘さ。鼓膜を揺らす。それだけで胸の奥がジワジワと痺れる。 「何?」 「何はこっちの台詞だっつーの」  宝物を扱うような柔い抱擁。思い切り抱きしめても壊れない。何より、自分は大切に扱われる身分でもない。背中に回された清人の手が愛でるように背中をさすった。大きな手のひらが温かくてないてしまいそうだ。清人は何を考えている? 「りお」のこと? それとも全く別の何か? 大輝には何一つ分からない。一緒に居れればそれでいいとか、失いたくないから今のままでとか。全部、大輝のわがまま。また同じことを繰り返してしまう。兄のように慕って、頼りきっていた丈。彼の心の中にある苦しみにも気付けなかったように。 「飲み会楽しくなかったのかよ」 「楽しかった」 「楽しかったなら、そんな顔しねぇだろ」  大きな手が大輝の頬を掴んだ。自然と唇が突き出る形になる。涙を必死に堪えているのも合わさって不細工になっているであろう自分を見られるのは嫌だった。 「やめてよ」 「やめねぇ」 「変な顔になってるから」 「……どんな顔も可愛いよ」  清人のいう「可愛い」は永遠か。丈みたいに別の感情が降り積もって変異してしまうんじゃないか。そして、その結果。大輝の前からいなくなってしまったら。 「キヨは、嫉妬とか、する?」  大輝からしたら清人は完璧な大人だ。いつも余裕があって、大輝が不安な時でもいち早く気付いて優しさを注いでくれる。「大人」になれていたら丈に嫌な思いをさせずに済んだかもしれない。自分の心と「大人」の構造の何が違うのだろう。分解して確かめてみたい。 「丈にね、嫉妬してるって言われた」 「本人を目の前に言うとかすげーな」 「多分酔った勢いってやつだと思う。でも、僕。丈の気持ちとか、全然分からなくて。頼ってばかりだった」 「人の考えなんて、分からねえだろ。形もない、目にも見えないものなんだから」  清人のいう通り、心は見えない。形もなければ影すら落とさない。それ故に人は言葉を生み出した。それでも完璧に通じ合うのは不可能だ。だからこそ人間関係というのは厄介で、複雑で、永遠に人を悩ませるのだろう。 「自分の知らない所で、自分がいるせいで、嫌な思いしてる人がいるって……怖いよ」  清人も丈のように、腹の中に何かを抱え込んでいるのではないか? もう間違えたくない。頭の中で何度も繰り返される。気付いたら清人の服をギュウッと握っていた。どれだけ強く握れば清人の全てが分かるだろう?
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