決して揺らぐことのない永遠のポラリス1

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決して揺らぐことのない永遠のポラリス1

 自分の吐く息の酒臭さで目が覚める。頭の中に鉛が入っているかのようで起き上がることすら億劫だ。見知らぬ天井。パッと見た感じラブホテルではない。多分。大きさから1Kくらいの間取りだろうか。いや、もしかしたら他に部屋があるのかも。ベッドに横たわっているままでは確認のしようもない。アースカラーを基調としたシンプルな部屋。よく見たら大輝が包まっていたのも緑をメインとした模様の掛け布団。二日酔いの頭でもセンスがいいと分かるくらいだ。今の服装はボクサーパンツのみ、所謂パンツ一丁。上はTシャツ。下はジーンズを履いていた筈なのであるが自分で脱いでしまったのだろうか。大輝は酒を覚えてからいくつか知ったことがある。その内の一つが「極限まで酔うと着ているものを脱ぐ」という悪癖。今の所、気付いたら家で裸で毛布に包まっていたという珍行動で済んでいた。しかし、ここはどこをどう見ても築何十年の六畳一間のワンルーム──大輝の自宅ではない。必死に昨日の記憶を辿る。うっすらと見えてきた事の顛末を必死になって掴んで、なぞっていった。  昨日は昔、組んでいた地下アイドルユニットのメンバーと酒を飲んでいた。一軒目の安い居酒屋ではビールで乾杯した。グラス同士がぶつかり合う小気味いい音、そのくせあまり美味しいとは言えないビール。それを飲んで顔を顰めたこともハッキリと思い出せる。 「ここ、ちゃんとサーバー洗浄してんのかよ」  二年前、ユニットが解散したと同時に健介は芸能界から足を洗った。とは言え所属していたのは本当に小さな事務所であったから芸能界、なんて仰々しい名前であの頃の活動を表現する事は出来ない。芸能界という入り口の部分を爪先で少し触れた、それくらいだろう。健介はその頃働いていた居酒屋のバイトから正社員へ。今では店長として店を切り盛りしている。大輝の一個先輩で面倒見もいい兄貴分のような存在だったからバイトからも大層慕われているそうだ。大輝も何度か健介の店に飲みに行った事があるが、細かい所まで配慮が行き届いたサービスが魅力な店だった。身内贔屓を抜きにしてもまた行きたい、そう思える店である。仕事に真摯な健介だからこそ、こういった同業の怠慢な部分を見逃せないのだろう。 「まぁまぁ、そんなカリカリすんなってぇ。ほら、今日は大輝のお祝いだろぉ」  そこを上手く宥めるのは正隆。通称マァちん。アイドル時代は大学生との二足の草鞋で俺達と苦楽を共にしていた。正隆はファンの子達は勿論、スタッフや俺達メンバーからも「癒し系」認定されていた。裏じゃ「仏のマァちん」なんて呼ばれて、喧嘩したメンバーを宥めていたのを思い出した。正隆も今ではアイドルを辞めている。大学卒業と共に大手芸能事務所に就職──この飲み会の主役、湯瀬大輝のマネージャーとして再び巡り合わせ世話になる事になったのだから世の中は本当に不思議な縁で溢れている。二人も大輝にとって恩人だ。どうにかしてステージに立ちたい、しかし何をしたいかも分からない。そんな大輝をメンバーとして迎え入れてくれたのだから。そしてあと一人、大輝にとって道標のような人間。今日は来てくれなかったけれど、先日決まった仕事でまた会える。そう思うとワクワクが止まらない。 「うぉ、大輝飲むなぁ。あまり無理しないでよぉ」  高揚感に任せてグビリグビリと酒を煽る。だって今日は祝い酒。仲間が大輝の門出を祝福してくれる。どうかハメを外させて欲しい。こんなに嬉しい夜がこれからの人生、またやってくるなんて保証はないから。 「へへ、おかわり!あと唐揚げと卵!」 「わーったから!ペースだけは考えろよ。明後日から稽古だろ?コンディションを……」 「注文するよぉ」 「話遮るんじゃねぇ!」  何だか昔に戻ったみたいだ。あの頃は酒を飲む年長メンバーを見ながら一緒になってはしゃいでいただけの子供だったけれど今は違う。成人した。酒も飲める。まだスタートラインを爪先の方で踏んだ。それくらいなのに自分の成長を感じる。 「健介、マァちん……僕、めっちゃ楽しい」 「そりゃあ何より、今日は飲め。適度に、だそ!」 「ビール来たぁ」  それから運ばれてくるビールをひたすらに飲んだ。トイレに何度も立っているうちに足元がどんどんと覚束なくなっていく。それでも大輝は飲み続けた。「楽しい」という感情をビールを飲むという行為でしか表せなかったから。そして、心の中に隠れた不安を酒の力で取り払えたらなんて馬鹿なことも思っていたのかもしれない。フラフラの足で二軒目へ。そうだ、そこは健介の元バイト仲間がやっている少し洒落たダーツバーだった。 「そこから……」  恐らく二軒目で、何かあったのだ。だが記憶がない。それで介抱されて誰だか知らない人の家で目覚めたのだ。 「んー……」 (誰か……隣に?)  更に記憶を辿ろうと身を動かした。右膝を少し曲げたくらいでコツンと踵が硬いものに当たる。足、脛の辺りだろうか。いてっ、なんて小さな呻き声。低い声。健介もなければ、正隆の声でもない。聞いたこともない男の声だ。振り向く。そこにはセンスの良い柄の掛け布団で顔を埋めて眠る誰か。──黒の長髪がシーツに散らばっている。 「え?女の子……」  慌てて掛け布団を剥ぐ。記憶を飛ばすような飲み方はこれが初めてではないが、見知らぬ女性と一夜を共にするなんて屑な行いは流石にしたことがない。まさか、自分がこんな大失敗をするなんて。そして更に追い討ちをかけたのは。 「お、お、お……」 「あ……?なんだよ、うっせぇ」  露わになった顔はがっしりとした輪郭。でもエラが張っているとかではなく顎先にかけてはシャープな印象。横顔だからか鼻の高さが目立つ。鋭い、切れ長の目。半開きだから余計に鋭く見えるのか。瞳は寝起きのせいか少しボヤけている。そのアンバランスさが大輝の混乱を加速させた。そして、何より綺麗に整えられた顎髭。それは紛れもなく。 「男ぉ⁉︎」  大輝の叫びに、彼は顔を顰める。起き上がると彼もパンツ一丁。湯瀬大輝、22歳。初めて犯した一夜の過ち。まさかの相手に二日酔いの頭の痛みが更に強くなった。
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