SANAGI

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 SANAGIと名付けられた装置はその名の通り、蛹(サナギ)のような形をしていた。丁度、ラグビーボールを縦に伸ばした感じだろうか。だが、本物の蛹のように薄汚れた色はしていない。むしろ、クリアなガラス張りで中身の溶液が光りに反射して美しさを際立たせている。  それに、SANAGIの中身は気持ち悪い虫ではない。もっと、価値ある存在が収められていた。ガラス越しに見えるのは生まれて間もない赤ん坊から始まり、二十歳前後までの若者。そのどれもが、美しかった。穢れという言葉など無縁に育った純真無垢な子。人類がこれまでどんなに勉学や経験を積んでも辿り着けなかった目指すべき姿である。  なぜ、彼らはSANAGIの中に収められているのか。それには理由がある。まず、第一にSANAGIについて説明しなくてはならない。この装置を一言で述べるのなら、冷凍睡眠(コールドスリープ)装置である。コールドスリープと聞けば、長期間に渡り状態を維持したまま眠り続けるSF小説などにおける定番を思い浮かべるだろう。しかし、これは少々構造は違う。長期間に渡り眠り続ける点では、私たちが想像するコールドスリープ装置と同じである。だが、“状態を維持したまま”というのは異なる。そもそも、単なるコールドスリープならSANAGIなどと名称はつけない。蛹とは幼虫が成虫に変態する過程において必要な変化である。  SANAGIの中で眠り続けている彼らは赤ん坊から成人という春を迎えるまで、ずっと眠り続けている。SANAGIは彼らが成人するまでの間、ずっと守り続けるために動き続けるのだ。  SANAGIが、考案されたのはずいぶんと昔のことになる。世界人口の高齢化と少子化が同時に進行し、具体的な対策も建てられないまま年月だけが過ぎていった。  このままでは、遠かれ遅かれいずれ人類の大半が老人となり、衰退していく未来しかなかった。高齢化は医療技術の発達により、ある程度は抑制できた。だが、どうしても解決できないのは少子化の方である。法律をつくり、強制的に子供をつくらせるしかない。倫理に反するが、人類存亡のためには致し方なかった。しかし、それで物事が全て解決すると思ったら大間違いだ。  生命にはいつの時代も生存競争というのがつきまとう。少子化を食い止めようとしても、生存競争がそれを妨げるのだ。生きている限り、必ず脱落者は出てしまう。病気で死ぬかもしれない。事故で死ぬかも、事件に巻き込まれるかも、イジメ、受験などの悩みを抱え心を病み自殺してしまう。  人類を存続させるにはどんな小さな命であっても保たせなければならない。そこに差別など存在してはならないのだ。  SANAGIはまさに人類を存続させるのに必要不可欠な装置である。SANAGIは彼らの安全を保障し、成人になるまで育ててくれた。もちろん、単に眠らせるだけでは意味がない。赤ん坊の段階から微弱な電気信号を送り、筋肉の発達を促す。ある程度、成長すれば夢の中で勉強もさせた。  SF映画で電脳世界を舞台にした作品がある。SANAGIの中身はそれを想像してもらうといい。SANAGIの中では不平等もなく皆が健康的で、よりよい学習を積んでいた。夢なので時間も関係なかった。  SANAGIから目覚めるまでの間、彼らは世の中に蔓延する不平等や格差、差別といった脅威にさられることもない。  皮肉にも少子化対策のために考案されたSANAGIが人類の更なる進歩に一役買ったのだ。  かくいう、私もそんなSANAGIから目覚めた一人であった。  SANAGIは確かに素晴らしい。安全を保障され、私たちを進歩させてくれた。旧時代の人類では考えられなかったような新しい発想や技術。それらを有していた。だからこそ、目覚めてから日が経つにつれ、私はどうしようもない居心地の悪さを感じずにはいられなかった。  SANAGIの中で様々なことを学んできた。だが、所詮は夢の出来事なのだ。肌に触れるもの、見るもの、感じるもの。その全ては夢とは比較にならなかった。喉を潤す水ですら、感動を覚えるほどに。  夢と現実のギャップというのだろうか。夢の中でも挫折すること、苦労することもあった。だけど、現実はそれにさらに拍車をかける。感動と同じく、心身に思うことは違うのだ。  なんのために、SANAGIの中で生きてきたのか。新しいことを学び育ってきた純真無垢な心。それが、現実の社会で蝕まれていった。  とくに、衝撃を受けたのは社会人となって数年経った日のことだ。就職した会社にSANAGIで育った新たな若者が入社してきた。夢の中で就職試験は済ませてきたので、目覚めてから数日の内に入社した。彼らの目を見て、私は思い知らされた。  かつて、私にもあのように純真無垢な瞳をしていた時期があった。それが、今ではどうか。鏡を見ればそこに映るのはどこにでもいる社会人と同じ顔だった。彼らと私はかつては同じはずだったはず。それがいつの間にか、あんなにも違いを生んでしまった。  SANAGIのおかげで安定した社会は実現した。しかし、それは同時に私たちが歩むはずだった、本当の意味での青春時代をも奪ってしまったのではないか。夢ではなく、現実に触れることで本物の喜びや苦しみを知り、成長していく。それこそ、本来の人としての生き方であったはず。  それが、いつの間にか歪められてしまった。  本当にSANAGIは人類にとって欠かすことのできない装置なのか。  元は人類を生かす為に、造られた装置であったはずなのに。  私の心にSANAGIに対する小さな疑問が芽生えた。それは、やがてSANAGIに対する怒りの感情に変わり、SANAGIそのものを壊さなくてはという衝動にかられるようになった。  もちろん、そのようなことをすればどんな事態を引き起こすか分かっていた。SANAGIを壊すということは、人類の安定した繁栄を脅かすに等しい。SANAGIを失えば、人類はかつての生存競争に伴い、多くの若き命を失うことになるのだ。  しかし、その方がいいのかもしれない。人工的に造られた純真無垢な心になんの価値があるという。そういうのは自然に学び身に付けていくべきことではないか。それを機械に頼った時点で、私たちは人としてのアイデンティティを損なわれた。  驚くべきことに、意外にもSANAGIの停止を望んでいるのは私だけではなかった。他にも大勢の人がSANAGIの停止を望んでいたことを知る。私は一人ではない。他にも同じ悩みを抱え、人類を正そうと考えている人がいた。これは大きな励みとなった。  最初は署名を集め、SANAGIの停止を求めようとした。けれど、それはすぐに無駄だと分かった。大勢の人がSANAGIの停止を望んでいるといっても、全体からすれば僅かな数である。SANAGIは人類には欠かせない装置なのだ。もし、SANAGIが廃止されたら子供たちは自分たちの手で育てないといけない。一応の知識を与えられたとはいえ、成人するまで上手に育てられる自信がない人が多かった。何かの間違いで死なせてしまうかもしれない。もしかしたら、犯罪に手を染めるかもしれない。それを恐れて、SANAGI停止の賛成を得られなかった。  私はSANAGIを止めるために、強行手段をとるべきだと主張した。SANAGIを運営している施設に忍び込んで機械を全て停止させるのだ。さすがに、その案には反対するものがいた。装置を止めでもしたら子供たちはどうなるのか何もかも中途半端な状態で世に出されてしまう。蛹の中で成虫になりきれずに腐り死んでいくの同じだと。  それは分かっていた。きっと、途中で目覚めさせられた子たちは混乱するだろう。身体を壊す子も現れるかもしれない。しかし、それがなんだというのだ。  私たちは今まで守られすぎていた。温室の中で育てられた野菜と同じだ。最初は大変になるだろう。だが、いずれSANAGIが使えなくなれば、人々は正しい行動をとれるようになる。せめて、次世代の子供たちには人らしい人生を歩ませたい。それが、SANAGIが生まれてしまった私たちの責任なんだ。  SANAGIを止める計画は面白いように進んだ。元々、眠らせておくだけでの施設なので大がかりな警備などなかった。防犯装置を一時的に動かなくしただけで簡単に中に潜入することができた。  SANAGIを前にして、私は改めてSANAGIは美しいと思った。その中でスクスクと育つ子供も。これをこれから破壊しなければならない。そう思うと、一瞬、気が引けた。  やはり、長年自分を育ててくれた第二の親だ。それを壊すというのだから気が引けて当然だった。  もしくは最後通知だったかもしれない。本当に壊してよいものかという。  私は迷いを振り払った。目の前にあるのは幻想だ。美しいと思うのも、SANAGIを壊せないとするための防衛手段にすぎない。これは、人類を悪い方向に運んでいってしまう。  私はSANAGIを管理するメインコンピュータに近づくと、その傍に爆弾を置いた。目覚ましにしては少々、刺激の強い代物だがこれから感じるであろう現実での刺激の方が遙かに強い。  爆弾を設置し終えると、その場を離れて私は起爆スイッチを押した。  爆発は―――起きなかった。だが、メインコンピュータは止まった。SANAGIも。  しかし、誰も目覚めなかった。  なにかが変だった。ここまで、何もかも順調だったのに、見えない力に遮られたように全てが動かない。  私は急に強い眠気に襲われた。罠だったのか。侵入者がいたら特殊なガスでもばらまいて動きを奪うような。  このままではマズイ。私は眠らないよう自分に言い聞かせながら、施設から脱出しようと試みる。だが、足下が安定しない。床の上を歩いているはずのに、ヌチャヌチャと液体の上でも歩いているかのようだ。いや、歩いているという感覚すらない。その場で足踏みでもしているかのようにジタバタと藻掻いているかのようだ。  やがて、私は力つき倒れた。意識を失う一瞬、冷たい感触を味わう。  瞬間、ビリビリとした電撃を感じて、私の意識はあっという間に途切れた。               *  モニター越しにことの顛末を見守っていた職員は画面が暗転すると、溜め息をついた。 「―――たまに、このような奴が現れるから困る」 「全くだ。どんな教育方針をとったとしても、数百人に一人か二人が出るから不思議としかいいようがない」 「それほど、人の心というのは解明できないものなのだろう。それにしても、SANAGIから目覚めさせる前に反社会的な行動をとらないかどうかチェックする体制はうまくいっているようだ。再三の警告や注意にも関わらず、SANAGIの停止を強行しようとした。そのような人材は目覚めたあとも、社会不和を引き起こす要因になりかねない。そういう芽は早めに摘んでおくべきだ」 「―――で、どうする?これから今のSANAGIの中身を掃除しにいくが一緒にやるか?」 「やめとくよ。SANAGIの中身なんて、虫も人間もそう変わらないだろ」
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