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「昔々な、お亀という美人がいたんだよ。
ある人の女房だったんだが、毎晩どこかへ出かけて行くんだ。そして朝になると濡れた草履が脱ぎ捨てられている。夫が怪しんでお亀にわけを問いかけたら、池に遊びに行っていると言うんだ。
そのうちこの夫婦に子供が生まれるんだが、お亀が『役目が終わったので、お暇をください』と言い出した。そして、夫と子供を置いて、家を出て行ってしまったんだ。
夫が赤子を育てることになったんだが、赤子は泣き止まない。困り果てて池に行き、お亀を呼ぶと、お亀が出てきて赤子に乳を飲ませてくれた。けれどお亀は夫に『もう来るな』と言うんだ。
でも夫は、やはり赤子が泣くので、再度池へ行ったんだ。すると、現れたお亀は激怒して、大蛇の姿に変身し、夫に襲いかかってきた。夫は一目散に逃げだしたものの、その後病気になって死んでしまった」
「変な話だろう」と男性は締めくくった。
「変?」
首をかしげて問いかけると、
「お亀が池に行った理由も分からないし、なぜ出て行ったのかも、『もう来るな』と言ったのかも分からない」
と言って、にやりと笑う。
(その伝説に出てくるお亀って、お亀池で出会ったおかめさんのことなのかな?)
「もともと、大蛇の精だった……とか?」
異類婚姻譚という話がある。伝説の中のお亀さんは大蛇の精で、人間に化けて嫁いできたのかと思って、そう仮説を立ててみた。
「大蛇の精は池の主で、人間に化けて、夫のところへお嫁に来たのかも」
「伝説の中ではそこまで触れられていない。もしそうだとしたら、ロマンを感じるな」
男性は面白そうに目を細めた後、
「あの池に行くとな、俺は変な気分になるんだよ」
と続けた。
「昔々にあの場所に行ったことがあるような懐かしい気持ちだ。俺の家は曽爾村にあるから、もちろん、曽爾高原は昔からの馴染みの場所だ。けれど、もっともっと前から、俺はあの池を知っていたような気がするんだ。よくあの池の夢を見るよ。俺が池のほとりに立っていると、美しい若い女が姿を現して、悲しそうに俺の顔を見るんだ。現実には会ったことがない人なんだが、やけに印象深くてなぁ……。あの女は誰なんだろうな……」
そう言った男性の首筋に、僕は目を向けた。大きな痣は、牡丹の花のような形をしている。
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