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「葵の水揚げのお相手が決まったんよ。」
「えっ?!葵ちゃんの相手が!!」
私の方が驚いて素っ頓狂な声を出してしまった。
同い年の葵ちゃんだが、吉原には二年早くやってきたので私より先輩だ。
没落したとはいえ武士の出身なので、品もあり教養も高い葵ちゃんの方が将来有望な花魁候補だったりする。
そっかあ…葵ちゃんは一足先に水揚げかあ……
水揚げとは男性客と初めて床入りをする儀式だ。
最初の相手が乱暴だったり下手だったりすると恐怖心を抱いてしまう。なのでその道に長けた40歳ぐらいのお金持ちの男性にこちらからお願いするのだ。
にしてもお相手はあの狸みたいな商屋の旦那かあ……
分かってはいたけれど、やっぱりおっさんなのね。
「私の時はもっと若くて男前がいいな〜。」
「こら小春。そんなことを言う子にはあげへんでえ?」
そう言って飾り棚から取り出したのはなんとお団子だった。
高尾姉さんは優しい。客が持ってきたお土産を私達のために残しておいてくれたりするのだ。
おっとりとしていながら気遣い上手な高尾姉さんには、大名やそのクラスの客が何人もご贔屓にしていた。
京都生まれではんなりとした言葉遣いなのも凄ぶる受けがいい。
その人気は妻や妾にしたいという身請話が何件もくるほどだった。花魁ともなれば身請には何百両もの大金を払わなければならないのにだ。
でも高尾姉さんは決して首を縦には振らなかった。
というのも……
「高尾姉さん、また海老様の浮世絵見てるね。」
お団子を頬張りながら葵ちゃんがこっそりと耳打ちしてきた。
海老様とは今大人気の歌舞伎役者、八代目石川海老蔵だ。
高尾姉さんは海老様のファンというわけではない。似ているのだ。
昔、まだ駆け出しだった頃に足繁く通ってきた旗本の次男坊に……
二人は愛し合っていたのに位がどんどん上がって花魁となってしまった高尾姉さんには、彼の身分じゃとてもじゃないけど通える金額ではなくなってしまったのだ。
遊女になったら10年働き続けなければならない。
10年経てば晴れて自由の身となれる。これを年季明けという……
高尾姉さんは年季が明けたら彼と一緒になろうと約束をしているのだ。
その日まで後もう一年を切っている。
さすが高尾姉さん、何から何まで素敵ったらありゃしない。
「これぞ真実の愛よね〜ああ出来ることなら真似したいっ。」
「本当…高尾姉さんが羨ましい。」
年季が明けても多くの遊女は自由にはなれなかった。
それは自身が売られた時の代金が自分の借金となっていたからだ。
さらには着物や髪飾り、化粧代なども全て自腹。
花魁ともなると付き人である私達のような見習い遊女の分まで代わりに面倒をみなければならないのだ。
10年務めあげた遊女の年齢はおおよそ27歳……
その多くは病気により、道半ばで不遇の死を遂げる。
遊女の平均寿命は22歳ともいわれていた。
でも高尾姉さんは客を慎重に選んでいるから病気知らずだし、借金返済だって年季が開ける頃にはちょうど返し終える。
「本当…羨ましい……」
葵ちゃんは同じことを二度呟いた。
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