記念日の隠しごと

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記念日の隠しごと

 今日、ちょっと遅くなる!  そう言って彼からメールがあったのが夜の七時。真っ赤な薔薇の花束が届いたのがそれから一時間後のことだ。僕はこの両手いっぱいの花束を手にしながら、ぼんやりとこれを眺めていた。  何だ、これ。  彼の名前で届いたから、注文したのは彼だろう。でも、何で?  今日は別に記念日でも何でもないし……こんなのが届くなんておかしい。 「そうだ……」  僕は思い出す。本当は、今日、僕は帰りが遅くなる予定だった。けど、急な予定の変更があって、定時で帰ることが出来たのだ。彼はきっと、僕がまだ職場に居ると思っているに違いない。  僕が遅くなる日を狙って、こんな花束……もしかして。 「……浮気」  いや、まさか、そんなこと……。  けど、疑ってしまう。だって、こんな立派な花束を贈るって、どんな状況? 薔薇って高いんでしょ? こんなにたくさん……やっぱり、変。  その時、玄関のドアががちゃりと開いた。 「あれ? 電気ついてる? って、あれ? 帰ってたのか!? ああ! その薔薇!」 「……おかえり。さっそくだけど、これ、何?」 「あ……いや、その……」  あやしい。  視線を泳がせる彼に、僕は冷たく言う。 「僕が居ない間に、誰かに渡すつもりだったの?」 「い、いや! 違う! そうじゃない!」 「薔薇の花束だよ? 特別な時にこういうのって用意するものだよね? 今日は何かの記念日だっけ? 違うよね? なのにどうして、これを買ったの?」 「そ、それは……」  言いながら、彼は手にしていた通勤用の鞄をぎゅっと握りしめた。そこにもきっと、何か隠しているに違いない。僕は息を吐いて、その鞄を指差した。 「僕に言えないこと、まだあるんでしょ? 隠しごと、してるんでしょ?」 「いや、言うよ!? けど、タイミングとか、ムードとか……」 「ムード?」 「つまり、その……ええい!」  彼は鞄を開けて小さな箱を取り出したかと思うと、勢い良く鞄を放り投げた。そして、その箱をぱかりと開けて僕に向き直り、跪いた。驚きのあまり、僕は一歩下がる。 「な……」 「結婚して下さい!」 「……え?」 「本当は! もっと用意があったんだけど、いろいろと順番が狂ってしまって、こんな状況になってしまったんだけど……とにかく! 今日、俺は、お前にプロポーズしようとしてたの! ほ、法的にはまだ無理だけどさ……」 「……」  箱の中にはきらきら輝く指輪が二つ。そうか、お揃いでつけるんだ。  僕は花束を床に置いて、そっと彼の手に触れた。 「……ありがとう。嬉しい」 「ほ、本当か? その、受け入れてくれるのか……?」 「よろしくお願いします」  僕は指輪の一つを手に取り、彼の薬指にはめた。彼も慌てて、僕の指にそっともう一つの指輪を通す。 「綺麗だね」 「っ……! よっしゃぁ!」 「ちょ!」  立ち上がった彼に、思いっきり抱きしめられる。苦しいけど……幸せ。 サプライズをしようとしてくれていたんだね。それは失敗に終わったけど、幸せだから何でも良いや。  彼の胸の中でくすくすと笑うと、彼が「そう言えば……」と呟く。 「今日は、ちゃんとした記念日だぞ?」 「え?」 「そのさ……二年前、初めてキスした日……」  そういうの、覚えてるんだね。何だか恥ずかしいな。けど、嬉しいよ。ありがとう。  見つめ合って、キスをして、僕たちは記念日に浸った。これから、今日という日は特別な日になったね。  絡め合う手には銀色の指輪が輝く。そこに映り込む薔薇の花束の色が鮮やかで、まるで僕たちを祝福しているかのようだった。
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