さよなら未来

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さよなら未来

「大丈夫。大丈夫。結婚はしとるけど流れでしとるだけやけん」 一年半前、天ちゃんと仲良くなり始めた頃。 病院近くに開店したお洒落な居酒屋が行きつけとなり、ここで私と季子と天ちゃんは仲を育んできた。 「あはは〜!それどういうことよ?!」 季子がするどくツッコむ。 「子供が出来て結婚しただけやけん」 「は?!でも、そうなるってことはそういうことやん??」 季子は更にツッコんだ。 隣で私もうんうんと興味深々に頷く。 「一夜の過ちというやつで出来たんよ。お互い好きとかそこまではなかったというか。。」 「は??それ、奥さんかわいそうやん!そんなこと言う旦那さんとか最低やん!先生最低!」 「ほんとよ!最低!こんな旦那絶対嫌!絶対に!」 天ちゃんは私達にズタズタに言われて苦笑いをしながら飲んでいる。 「ま、責任をとった。って感じかな」 煙草を吹かしながら、もっともらしいことを言う天ちゃんはなんだか幸せそうには見えなかった。 責任かぁ。。 子供が出来たら結婚する。 できちゃった結婚は今となっては珍しい結婚の形ではない。 ただ気持ちがあるかないかの違いは大きい。 一夜の過ちだとしたら、たしかにそれは好きという確実な気持ちはないのかもしれない。 でもそれで子供が出来たから結婚するというのはなんだか寂しいと思った。 結婚に憧れはあったけれど、当時22歳だった私や季子には結婚はまだまだ未知の世界。 いろんな結婚の形があってその思いも様々だという現実を知ったのだった。 天ちゃんは仕事がとにかく好きでいつも患者さんのことを考えている医者だった。 オペ日や重症患者を受け持つ時に病院に寝泊まりして、いつも駆けつけれるようにしていたりする。 そんな医者は天ちゃんだけだと思う。 だから私達看護師はいつでも患者さんの状態を報告出来る安心感が天ちゃんにはあったし、絶大なる信頼を寄せていた。 仕事は充実しているようにみえる天ちゃんだけれど、プライベートのことはあまり話すことはなかった。 奥さんがいて、小さな子供がいても毎夜飲み歩いていた。 いつしかそれが天ちゃんなのだと思うようになっていた。。 月、水、金はオペ日。 ご飯や飲みに行く日はいつもオペ日。 それは天ちゃんが病院に寝泊まりする日と決まっていたからだ。 今日は月曜日。 術後の患者さんがICUに転入予定だ。 きっと天ちゃんの患者さんもいるはずだ。 会うのはあの日以来だった。 どんな顔をしたらいいんだろうとも思うけれど、相手は何も考えていないだろう。 どうせその場だけの感情を持つ生き物だ。 「オペ帰ってくるよー!誰か手伝える人行って〜」 リーダーの声が聞こえ、すぐにオペ室から続く自動ドアが開く音がした。 オペ後の患者さんのベッドに、術衣を着た天ちゃんがアンビューをしながら他数名の医者とともにICUのベッドに入室するのが見えた。 ドキッ。。 いや、普通でいいんだ。 そう心の中で唱えた。 この日は担当の患者さんの看護やフリー業務の手伝いなどいつもの仕事をこなし、あとは細かいことをパソコンに入力する仕事だけが残っていた。 フリーの処置板をみながらタイムスケジュールを物色している季子に気づいて声をかけた。 「あ!季子〜!遅出!?」 「お〜桜!おつかれ!そうそう遅出よ」 「遅出終わるまで家で待っとくけん、夜ご飯一緒に食べん??」 「おっ、いいと?遅くなるけどいいと?」 「いいよ!」 「じゃあ終わったら連絡するね!」 「はいは〜い」 遅出は17-21時の短時間勤務。 終わってからでも充分一日がまだ楽しめる勤務なのだ。 マンションに帰りテレビを見ていると電話が鳴った。 誰だろう?? ん??? 滝下天二郎 「て、て、天ちゃん?!」 思わず声が出た。 「も、もしもし?」 「あ、オレオレ。」 「どうしたと?」 「あ〜松原がお前に電話してって。先に飲みに行っとってって」 「え?!先生誘われたと??」 「そうそう。」 「そ、そっか。どこ行こうか。。とりあえず用意するけん私のマンションまで迎えに来てくれる?」 「お、おぅ」 季子はあの日のことを知らない。 だから悪気はない。 だけど今このタイミングで2人っきりでご飯なんて。。 そうだ。。 冷静に。 天ちゃんもただの男だった。 天ちゃんには他の男には持てないくらいの信頼感を寄せていた。 その天ちゃんが私に女を感じるなんて。 男なんてみんな同じなのだ。 冷静に。 感情をコントロールしよう。。。 「よしっ、どこ行こうか?私の家の近くまで来たからこっち方面の居酒屋行こうか」 「どこでもいいよ」 タクシーに乗り家から10分程の居酒屋へ行くことにした。 あの日以来の天ちゃんだけど冷静さのおかげだろう。 意外に普通に出来る自分に驚く。 季子の勤務時間が終わるまでは2人。 話すことは他愛もないこと。 天ちゃんとなら何だって話すことはある。 それくらい気の置けない仲だ。 だけどなんとなく今日の天ちゃんはいつもと違う気がする。 態度がソフトで笑顔がいつもより優しく見えた。 だとしても私達は普段通りだ。 楽しくお酒を飲んで、話して。。 いつもみたいに。。 その時電話が鳴った。 季子かな? そう思いながら携帯電話を見てみると 桜の木をバックに撮った笑顔のツーショット写真の画像と高橋隆平という文字がみえた。 「ええっ!!?!!」 天ちゃんといることを忘れ、咄嗟に電話に出てしまった。 天ちゃんはどうした?という顔をしているから私は小さくごめんねのジェスチャーをしてみせた。 「も、もしもし?元気?!何しよると?」 高橋はいつものように笑った。 向こうから連絡してきたのは4ヶ月ぶりだった。 なんて嬉しい気まぐれ。 だけどなんてバッドタイミング。。 「い、今はちょっと。。」 真向かいに座っている天ちゃんをチラリと見ながら答えると、天ちゃんも不思議そうな顔をしてこちらを見返した。 「あ〜っはっは!そっか!なに?彼氏?」 「違うっ!っていうか。。な、何?何の用事??」 また天ちゃんを気にしながら、口元を隠して話す。 「い、いや。今日どうするかな〜って」 高橋は1人爆笑しながら定番の冗談を言った。 私はもちろんいつもの絶句だ。 「はぁぁ?」 「うそうそ、じゃ!あんま飲みすぎんようにね!」 「はいはい!じゃあね。。」 嬉しい気まぐれな電話の通話時間は3分未満だった。 家だったら3分じゃ済まなかっただろうからなんてバッドタイミングなんだろうと少し凹んだ。 だけど嬉しい。。 嬉しくてどうにかなりそうだ。 どうして電話をかけてきてくれたんだろう?? どうして?? 携帯をまたみると着信履歴に名前が残っている。 高橋隆平 その文字を見るだけでドキドキする。 久しぶりすぎて手が胸が。。 全身が震える。 何でこんなにまだ嬉しいの??? 完全に顔からその高揚が現れてしまっていたのだろう。 「誰?男?」 天ちゃんが尖った口調で尋ねた。 まさかそれがあなたのよく知る後輩だとは言えるはずがない。 「と、友達!友達!」 「ふぅーん」 天ちゃんは煙草をふかしながら疑いの目で私を見たけれど、そんなの私には関係ない。 私は彼氏だっていないからなんだって自由。 何をやっても自由なの。 そう思うと天ちゃんと2人で過ごすこの時間さえも自由で急にハッピーに思えてきた。 それはきっと高橋からの電話のせいだ。 天ちゃんが話す面白い話もつまらない話も全てが楽しく感じた。 きっと高橋のせいだ。 それと嬉しさのあまりにすすんでしまったお酒のせいでもあるけれど。。 「アイツまだかね?」 「そろそろ帰ってくるだろうし、先にうちに帰って待っとこっか!」 「おぅ」 マンションに戻り、季子が来るまで飲み直した。 テレビをつけるとオリンピック水泳の予選が流れていた。 先の居酒屋でのお酒もまわり、家でのお酒はさらに拍車をかけた。 電気をつけずテレビの灯りだけ。 いつもの飲み会スタイルだった。 だけど忘れていた。 私達はもういつもの私達ではなかったんだっけ。 暗がりの中、目が合うと天ちゃんが急に私を抱きしめた。 「桜、こっちにきてよ。」 「なに?」 私は自由。 そして男たちも勝手な生き物。 深入りせず、楽しむだけならいいんじゃない? そんな奔放な気持ちを目に込めて見つめてみる。 男の人が一番弱い上目心遣いだ。 案の定、天ちゃんは私を抱きしめた。 「好きと?」 「好きよ」 「嘘ばっかり」 「俺が嘘つくと思うと?」 天ちゃんが私の目を真剣に見つめてそう言った。 真剣な目を見つめ返すと言葉がでなかった。 そう。 天ちゃんの性格を知っている。 天ちゃんは真っ直ぐな人。。 嘘は嫌いで、自分が思うままに突き進む人だ。 だとしたら。。 本当にそう思っている? わけないよね? 脳裏にへんな期待が一瞬だけ見え隠れした。 冷静に。 そんなはずはない。。 男なんてみんな同じ。。 「季子が来るよ」 「大丈夫」 「大丈夫じゃない!」 戯れあいながらどんどん強くなる。 抱きしめられているその腕が。 そして私の顔に天ちゃんの両手が触れた。 キス。。 それに。。 もっと。。 もっと。。。 天ちゃんの手が優しく全身に触れていく。 頭でわかっていても身体はいうことをきかず、まるで心の色んなスイッチが壊れてしまったみたいにコントロールができない。 これは最大のルール違反だって頭ではわかっているのに。。。 ———私は遊ばれている? どうして? どうして私にそんなことが出来るの? 奥さんだって大切な子供だっているのに。 季子の遅出は今日に限って残業があるようだ。 大幅に時間が過ぎていた。 季子が来ない時間が長過ぎた。 天ちゃんはあの後もなお私を抱きしめて離れない。 これはどういうことなのだろう? 「ねぇ。。なんであんなことしたと?」 「ん?好きやけん」 「それ、どういう意味?」 「お前のことが1番可愛いよ。奥さんよりも子供よりも」 「え?!」 男の決まり文句。 常套句。 聞き飽きるくらいに知っている。 「男の人は平気で嘘つくもんね」 「まじまじ。知らんと?俺は嘘つかんよ」 胸がキュンとしてしまった。 騙されているの? 遊ばれているの? きっとそうだ。。 しがみつく天ちゃんの手を強く握りしめてみた。 応えるように天ちゃんがまた強く私を抱きしめる。 すごく虚しい。 すごく悔しい。 最低な女。 そんな私によく似合う恋だ。 私はもう誰からも心から愛されないんだろう。 天ちゃんには奥さんがいる。 それなのに天ちゃんは今、私にしがみつき、耳元で甘い言葉を囁き続ける。 「俺、お前のことが好き。。」 季子からの連絡が来て、マンションにやってきたのは23時を過ぎようとしていた。 入院患者さんの急変対応とその患者さんの受け持ちになり看護計画を立てていたらしい。 季子の残業を労うように私達はいつものように楽しく時を過ごした。 2人だけの秘密ができたということ以外はいつも通りに。。。
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