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ふとした瞬間に垣間見える、素の冬花はたしかに夏雨とは違う人間だ。あれはたぶん、そうとうに意識して姉の真似を続けているんだろう。
電話対応を続ける冬花を横目に、編集作業を進める。
編集作業はいい。時間を縮め、引き延ばし、空気を作る。素材となる映像を組み合わせて観客の意識を操り、だます。映像作品に命を吹き込むのは、この編集という作業だ。動画の切り貼りをしているだけなのに、同じ映像が、腹を抱えるほど面白くなったり、しらけるほどにつまらなくなったりする。
葛城陽菜の映像作品の肝は、その編集手腕にある――という指摘をしたレビュアーがいるが、なかなか分かっているじゃないかと思った。すばらしい脚本を書くことは、自分にはできない。説得力のある演技をすることも、緻密なポストプロダクションも、何もできない。けれども、出そろった映像を、音楽を、音声を――手元にある素材を巧妙に編集し、絵コンテを超えるような「映像作品」に仕上げることだけはできる。
(本物の天才に、私はなれない。だけど――だけど、今ここで、今できることをやりきることだけはできるから)
それが私の、葛城陽菜の矜持だった。
ジャンプカット、モンタージュ、カットバック。
技法を駆使して映像を繋ぎ、引き延ばし、意味を持たせ、明度や彩度を調整する。
編集を通して、映像は息をし始める。脚本が、物語を孕んだ映像に変貌する。
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