捨てざる人たち

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どうしてこれがこんな所にあるのか。私はしばらく道端に立ち尽くしたまま考えていたけど、一つの可能性を思い出しぞっとすると同時に、あぁもう戻れないんだと思って涙した。 田舎の田んぼ道に落ちていたのはこの風景には不釣り合いなほど真っ赤な着物の帯で、私はそれを拾い上げると両手に抱えた。右手でキャリーバックを引きながら左手に祖母のものであろう落し物を抱え、私は山に囲まれた何もないこの町を実家に向かって歩いて行く。 母から電話があったのは一ヶ月前で、私は丁度五年付き合った彼と別れたばかりだった。彼との別れに毎日泣き喚いていた私に母は疲れた声で「おばあちゃん認知症かもしれない」と電話越しに呟いた。流れていた涙が止まり、私は毎日思い出していた亮治の顔もその瞬間は忘れてしまった。祖母は今年で九十二歳になった。何かしら病気になってしまうのは年齢的に仕方ないことだし、いつ亡くなってもおかしくないと心の何処かでは覚悟していた。しかしいざそうなると私は全く何も覚悟していなくて、希望的観測でしか生きていなかった事に気づく。昔からそうだった。私は結末がバットエンドだと知りながら「もしかしたら」を願いながら生きていた。受験も上京も恋愛も私はただなんとなく「きっと大丈夫」ってだけで失敗してきた。 しばらく道なりに歩いて行くと坂の上に大きな平屋建ての実家が見えた。庭には大きな松が生えていて、私はそれを目指して坂を登った。無駄に広い家には祖母と両親の三人しか住んでいない。一人娘の私は三十五になっても未だに結婚せずにいる後ろめたさから、この実家に帰ることは年々少なくなっていた。今日だって実家を目にするのは二年ぶりだ。 両親はどんな顔で私を見るだろうか。それに祖母は私を覚えているだろうか。 坂を登りきって玄関の門を開けると庭で母親が花の世話をしていた。二十個はあるであろうプランターには色とりどりの花が咲いていて、綺麗に手入れされた庭が母の性格を表している様だった。 「ただいま」 私がそう声をかけると屈んでいた母はゆっくり顔をあげて微笑んだ。 「おかえり、光香」 しばらく見ない間に少し老けた母に胸の奥がざわつき、どこからか理由の分からない罪悪感が湧いて出てくる。次に帰るときは左手の薬指に指輪をはめた時だ、と毎回思うのに私の左手は未だに頼りなくしなだれている。 母は二十歳で父と結婚してこの家に嫁いだ。嫁と姑の仲は悪い方ではなかったとは思うが、子供だった私には実際どうだったかはわからない。母は文句ひとつ言わずに家の家事をこなしていた。祖父はよく男の孫が欲しいと言っていたが祖母は「みっちゃんだけでじゅうぶんよ」と私を抱きしめてくれた。そんな祖父はもう十年以上前に他界してしまったが、祖母だけはなんとなくずっと元気でいるものと思っていた。そして母も老けずにずっと元気でいるものだと思っていた。そんなことはありえない事なのに馬鹿な私は実際目にするまで気付かないのだ。
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