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 七月二十八日。魔法使いと出会った日の翌日。  僕らの通う高校から徒歩五分の圏内にある図書館。そこは学生たちが集まって宿題に取り掛かる場所のひとつだ。他には駅前のファストフード店、少し遠くに行けばフードコートなんてのもあるが、場の静けさでいえば図書館が勉強には最適だろう。  けれど学生が集まって勉強をするというのは建前であることのほうが多い。歓談するのがメインの場合、図書館という選択はまさしく不適だった。 「思い出を作りたい」 「なっ」  怜治(れいじ)はノートに向かっていた顔を上げる。僕を見るその目は好奇に満ちていた。 「おいおい、真面目君の透依もついに青春に目覚めたのか」 「怜治くん声大きい」  彼の隣に座っていた(はる)がたしなめる。でもその表情は少し当惑気味だ。 「なんか僕おかしなこと言った?」 「言ってることはおかしくないと思うけど……」 「それを透依が言うとおかしく聞こえるんだよな……」  顔を見合わせ、二人が口を揃える。僕は不服だったけれど、反論すると墓穴を掘りそうだったので視線を課題のほうへと逃がす。  笠井(かさい)怜治と平瀬(ひらせ)晴。どちらもこの春同じ高校に入学して同じクラスになり、こうして休日に集まるような間柄になった。とりわけ怜治は積極的で、彼が声を掛けてくれなければ僕と晴は夏休みに協力して課題に取り組むこともなかっただろう。そういう理由もあって、僕が思い出を作るにあたって彼に相談しようと決めていた。 「一応自分なりには考えてみたんだ。でもすぐに行き詰まってさ」 「あー、そっちの引き出し少なそうだもんな」 「だから怜治の知恵を拝借したいと思ったんだけど」 「まあ青春と言えば俺! みたいなとこあるからな」 「ないでしょ」  晴が冷やかな突っ込みを入れる。これはよく見る光景だった。  怜治とは対照的に、晴はあまり自分から意見を言うようなタイプではない。けれど怜治よりも僕に近い目線で話を聞いてくれる気がして、そういった面でも僕は彼女を信頼していた。  そして実際、晴は僕の話に違和感を抱いたようだった。 「透依くん……誰かに脅されてる?」 「げほっ」  動揺を隠し切れず、むせる。近くの本棚の前に立っていた司書さんがこちらを向くのが見え、慌てて口を押さえる。  勘が鋭いなんてものじゃない。ここまでの会話の何をどう解釈すれば一発で答えに至れるんだろう。 「いやいや、さすがに透依を見くびりすぎだろ晴」  わざとらしく首を左右に振る怜治。 「普段クールぶっていたって、結局は年頃の男なんだからさ」 「クールぶってはいないけど」 「いーや、お前はそういうヤツだ。無自覚なだけで――」  怜治こそ司書さんからの険しい視線を自覚したほうがいいと思うけれど。  さすがに追い出されるのは困るので、一旦課題に集中しなおす。静かな空間でシャーペンの走る音と紙の擦れる音だけが耳元にあるように聞こえる。三十分ほどして最初に口を開いたのは、意外にも晴だった。 「透依くんは、どうして思い出を作りたいの?」  その声はどこか遠慮がちで、答えたくなかったら答えなくていい、と言葉の後に添えているようでもあった。  正直に答えるべきだろうか、と僅かに迷う。昨夜遭遇した出来事をそのまま説明しても、らしくない冗談話として流されてしまうだろう。ただ、下手に誤魔化して裏を読ませてしまうのも、それはそれで二人に失礼だ。 「……証が欲しいんだ」  迷った挙句、口をついて出たのは嘘でも本当でもない言葉だった。 「自分はこの夏、何の悔いもなく過ごしたんだっていう証明が欲しい。それさえあれば、来年の夏も再来年の夏も楽しみにしていける気がする」  あまりにも滑らかに回る舌に、他ならない僕自身が驚いていた。一つの取るに足らない秘密を隠そうとして、より重要な秘密を喋ってしまうような感覚。さっきは嘘でも本当でもないと思ったけれど、これが僕の本心なのだろうか。  晴は目を丸くしていた。怜治も口をぽかんと開けていたが、やがて感心したように深く頷いた。 「わかるよ。俺も、後でこうすりゃ良かったなんて思いたくない。今やれることは全力でやりたい。そうだよな? 透依」  そういうことなら、と言って怜治は立ち上がる。椅子を引く音が大きく鳴ったけれど、彼は気にも留めない。 「作ろうぜ、夏の思い出。来年再来年だけじゃなく、大人になってからも夏が楽しみになるようにさ」  そう言って怜治は右手をぎゅっと握り、目の前へと差し向けた。僕もそれに倣って握り拳を作る。 「うん。ありがとう、怜治」 「礼には及ばねえよ」  互いの拳をごちんとぶつけあうと、怜治は白い歯を見せて爽やかに笑った。 「というわけで俺たちは思い出を作ることにしたけど、晴はどうする?」  見ると晴は難しい顔をしていた。こんなに難しそうにしているのは課題に取りかかっているときでもお目にかかれなかったほどだ。  怜治と比べると、晴は僕とそこまで仲が良いとはいえない。いつも僕に対して一歩引いて接しているような感じがする。それは僕のほうもお互い様かもしれないけれど。  だけど、だからこそ晴には首を縦に振ってほしかった。 「……男の子ってよくわからない。怜治くんの言う年頃の男ってそういうものなの?」 「うるせー」 「正直思い出作りとか意味不明だよ。でも」  晴は小さくて形の綺麗な拳を前方に掲げる。 「仲間はずれは、やだな」 「一緒にやろう、晴」  こつん、と拳の先が触れる硬い音。  きっかけは何であれ、僕はきっと、やりたいことをやっている。
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