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祐也は、出会った頃から優しい人だった。
社内恋愛だった。今はもう寿退社をしてしまったけれど、私たちは小さな文具会社で出会った。祐也は魔法使いみたいな人で、その甘い言葉ですぐに私を虜にした。今まで恋愛なんかしてこなかった私にとって、祐也は王子様そのものだった。
祐也は私と付き合い始めると、会社の飲み会は断ってずっと私といるようになった。飲みの誘いを断る時、祐也は度々「今日はやめとくよ。うちに、俺の帰りを待ってるお姫様がいるからさぁ」なんて言っていたらしい。元同僚の沙也加にその話を聞いてから、私は密かに決意をした。
私は、お姫様になる。祐也のお姫様でい続ける。今後もずっと、「うちのお姫様」と言ってもらえるような、自慢の奥さんでい続ける。
……そう、思っているのだけど。
「恵、警察に行こう」
沙也加は注文したコーヒーに口をつけず、私の目をじっと見つめて呟いた。
私は彼女の向かいに座り、ジュースを飲んでいた。彼女が何を言っているのかわからなかったけど、その真剣な表情から何か深刻なことを話し出したのだということだけはわかった。
ゆっくりと、ストローから口を離す。
「え……何? なんの話?」
「私、もう我慢できないよ。そんな恵、見てるの」
沙也加は苦しそうに目を細めている。私が首を傾げると、沙也加は私の右肩を指さした。
「それ。また旦那にやられたんでしょ? さっきから右腕を庇ってるの、気づいてるよ。まさか骨折でもさせられたんじゃないよね」
そう言われて、私は反射的に右肩に触れた。
今日は沙也加と前々からお茶をする約束をしていた。けれど、やっぱり断ればよかったかな、と思った。
「違うよ。昨日寝違えちゃってさ、朝からちょっと痛いだけ」
「嘘ばっかり。じゃあ、そのカーディガン脱いでみなよ。何もないなら、見せれるでしょ」
「……この下、ノースリーブだから恥ずかしいよ」
私が笑ってみせても、沙也加はつられない。それでも、他になす術もなく私は微笑み続ける。
お願いだから。
これ以上、こっちに来ないで。
そう心の中で願っても、今日の沙也加は折れる気がないようだった。ふと、椅子を引いて前のめりになってくる。
伸びてくる、沙也加の、腕。
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