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廃ビルの幽霊
背後から、追う者の姿は無いかと警戒して足を止めた。
道を探しているふりでショーウィンドウのガラスを覗き、確認をする。動く影。確かに追ってきている。……どうにかして巻かなければ。
焦る気持ちを抑え、追っ手がそ知らぬフリで視線を逸らした隙をついて流れてきた人込みに紛れた。
直ぐに脇道に折れ、建物の陰に入る。
壁に沿って身を隠したまま様子を見ると、追っ手はそのまま違う方向へと足早に走って行った。
このチャンスを逃してはならない。更に暗く細い裏道を行く。
長年この界隈で暮らしていたのだから、土地勘はこちらの方が有利だ。そう自分に言い聞かせながら、間もなく取り壊される古いビルに辿り着いた。
既にエレベータは動いていない。
十数階の非常階段を上るのはひどく骨が折れたが、この苦労も最後だろう。
半ば息を切らせながら辿り着いた、西日の漏れる最上階。埃と剥がれた内壁のタイルが散乱する廊下に、かつての華やかさは無かった。勿論、人の気配も無い。そのまま靴底でじゃりじゃりと音を鳴らしながら、薄暗い廊下の奥にある古びたバーのドアを開けた。
廊下の奥まで射し込む眩しさに、目を細める。
入り口から真っ直ぐ見渡す目の前には、金色の夕暮れ迫る街並みが、壁一面のガラス窓の向こうに広がっていた。
風が流れる。どこかの窓が開いているか、割れているのだろう。
後ろ手にドアを閉める音がやけに大きく響いて消えると、残るのは遥か地上から伝わる街の喧騒だけになった。
直ぐ左手にバーカウンターがあり、右手にはテーブルやイス、壁際にはソファが乱雑に並んでいる。大きな窓の側は数段高くなったステージ。そこには小ぶりなグランドピアノが置いたままになっていた。
置き捨てられているということは、壊れているのだろうか。
そう思い、埃を被ったピアノの元まで行って蓋を開け人差し指でキーを押すと、弦が緩んで少し外れた音が鳴った。壊れているとは言い難いが、これももう必要ないと判断されて捨てられたに違いない。
ピアノの側に置かれていた椅子に腰かけ、息をついてからぐるりと周囲を見渡した。
誰もいない静かなバー。そこに、タカリ……と音がする。気配がある。
もう一度深呼吸をして、無人の店内へ呼びかけた。
「出ておいでよ、幽霊の女の子。僕は、怖がったりしないから」
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