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狼少年が転校してきた。
「森野鋭二(モリノエイジ)です。種族は人狼です。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる小柄な少年。
人狼と言えば筋肉ムキムキな大男のイメージなので、夏帆(カホ)は本当に彼が人狼なのかと怪しむ。
怪しんでいるのは、他のクラスメートも同じで、珍しい人狼に対する興味ではない、不穏な騒めきがクラスを包む。
「森野の席はあそこな。あと、前の席に河童族の水原がいるから、何か困ったら彼に聞くと良い。水原、宜しくな」
「はーい」
加湿器と霧吹き常備で保湿している水原は、水掻きのある手をあげる。にへらと笑うと顎から首のラインにあるエラがピクピクと動いた。
森野鋭二が席に着く。
水原爽太(ソウタ)の隣の席である夏帆は、横を通り過ぎる鋭二を盗み見る。
やはりどっからどう見ても、普通の人間だ。
他の種族の人たちはもっと見た目や雰囲気が違うのに、気弱そうだし、狼感がまるでない。
「俺のことは爽太って呼んでね〜」
「う、うん。ありがと。実はこんな街中初めてで……」
「そうなの?」
「前に住んでた場所は、全校生徒で30人くらいだったから……」
「それはなかなかの田舎だねぇ」
爽太はデリカシーなくヘラヘラ笑う。
ただ、彼の見た目がその性格にマッチしている事もあって、鋭二も嫌味を感じる事なくハハッと笑いを合わせる。
「それに、学校も村も凡族(ボンゾク)の方が少なかったから、」
「あ、【凡族】じゃなくて【人族(ヒトゾク)】って言った方が良いよ。差別用語になるから人族に敵扱いされちゃうよ」
「え?う、うん。気をつける」
夏帆は人族でない者同士の会話を聞くのは初めてで、チラチラと盗み見ながら聞き耳を立てていたら、ふと鋭二と目が合ってしまった。
「あ、あの、今のは、差別のつもりじゃ……」
「あ、うん、大丈夫、わかってる」
オドオドと言葉を発する鋭二に、夏帆もたどたどしく返す。
「ああ、夏帆は『やさしー』から大丈夫だよ」
「うるさい、爽太」
「そこ、煩いぞ。ちゃんと聞いてるか?」
明らかに嫌味な言い方で夏帆は爽太を睨んだが、先生の叱責に「すみません」と急いで答えてから更に爽太を睨んだ。
「爽太はすごいね。こんな人族ばかりの所でも堂々としてて」
「まぁ、大半が小学校からの友だちだし、この辺りは川に囲まれてて河童族も多いしね」
鋭二と爽太がコソコソと会話を再開する。
「ちなみにトップは誰なの?」
「トップ?」
「えっと、逆らっちゃいけない人というか、一番強い人というか……」
「ああ、この中学だと国語の白山先生かな。【雪人(ユキト)族】だよ」
「雪人族なんだ!良かった」
鋭二が初めて明るい顔を見せる。
幼さ残る笑顔がちょっと可愛い、と夏帆は思う。
「雪人族は得意?」
「前にいた所は雪人族と人狼族が多かったから、雪人族とは仲良くやれると思う」
「それは良かったね。ただ……」
爽太は今までよりも更に声を抑える。
鋭二は耳を寄せ、夏帆も更に耳を澄ませた。
「ただね、この近くの私立中に、関わると面倒な奴がいる。城之内(ジョウノウチ)っていう【吸血族】だ」
「吸血族は会ったことないけど、面倒な種族なの?」
「まぁ、食料が血液ってのはあるけど、そこは輸血とかの設備が整ってるから問題ない。
問題なのはプライドの高い性格かな。
この街の市長が吸血族でさ、他の吸血族がそれを理由にこの街を自分たちの縄張りだと思ってんの。特に市長の孫の城之内は最悪だよ」
「そう、なんだ……」
鋭二はまた、暗く頼りなげな表情で俯いた。
授業中も鋭二は浮かない顔をしており、休み時間にはクラスメートの多くが鋭二を囲んだせいで、それにビビった鋭二は爽太の袖にしがみついて怯えていた。
その姿は、気弱そうとは思いつつ、それでも人狼に期待していた皆をやはりガッカリさせた。
だけど、体育の授業は、鋭二が人狼族である事を、クラス中に見せつけた。
男子はサッカー、女子はハンドボールで、校庭を分けて体育を行っていたが、皆の目が鋭二に釘付けになった。
足の速さ、身のこなしの軽やかさが別格なのだ。
隣のクラスには猫又族もいるし、人を超えた身体能力を見ることは珍しくないのだが、もう鋭二に期待していなかった分、大きな衝撃があった。
放課後はもちろん、運動部組が鋭二に群がった。
「サッカー部に来るよな!」
「その走りは陸上部だろ?」
「野球だってできるんじゃないか?」
鋭二はやはりビビっていたが、実力はもうわかっているので、運動部たちは退かない。
「爽太は何部なの?」
「水泳部」
「あ、そうだよね……」
爽太に助けを求めたが、玉砕する。
哀れに思った爽太は、今度は自ら助け舟を出す。
「隣のクラスの猫又族が、確かバスケ部だったよ」
「あ、じゃあ、バスケ部に……」
「バスケ部は猫又いるんだから、ズルいぞ!人狼は別の部に入るべきだ!」
バスケ部以外の運動部の圧力に、鋭二がどんどん小さくなっていく。
鋭二の意思を完全に無視した言い方に、夏帆は苛立ちを覚えて鞄をバンッと勢いよく机に置いた。
その音に驚いて、運動部たちが黙って夏帆を見る。
「とりあえず、それぞれ体験入部でもしてから決めれば?」
「う、うん!そうする!」
夏帆の勢いに乗っかって、鋭二も勢いよく言った。
言った後、ある事に気がついて言葉を続ける。
「あ、でも、この時期は夕暮れが早いから部活ないよね?」
「普通に練習あるぞ。うちの学校は照明設備もあるし」
「夕暮れ後に出歩いて大丈夫なの?」
「何がダメなんだ?」
「だって、夜は大人の時間じゃん」
鋭二のその発言に、みんな一瞬沈黙し、そしてゲラゲラと笑い始めた。
鋭二は爽太を見たが、爽太は思い当たる節はないかと首を傾けたまま何も言わない。
「『夜は大人の時間』って、森野の夜は何時なんだよ」
「ど田舎出身だから、帰り道危ないとか、そういう理由とか?」
「暗いの怖いのか?街灯あるし、怖くないよ」
それぞれが鋭二を馬鹿にするような発言をし、鋭二は唇を噛む。
今日ずっと聞き耳を立てていた夏帆にはわかる。
人族にはわからないルールが彼らにはあるのだ。
ただ、今回のルールは人狼族か、鋭二が元々住んでいた場所だけのもので、河童族の爽太も知らないことなんだと。
夏帆はまた何か言おうと思ったが、それを行動に移す前に、担任の先生が鋭二を呼んだ。
「森野、帰れるか?お父さんが来ていて、一緒に帰るために下駄箱で待ってるぞ」
鋭二にとって、呼ばれたタイミングは良かったが、内容は最悪だった。
運動部たちは先生の手前、大笑いはしなかったものの、クスクスと笑う。
鋭二は荷物を乱暴に掴むと、何も言わずに教室を出ていった。
「お迎えだよ」
「呼び名は『ビビリの森野』だな」
「『お子様森野』も良くね?」
運動部たちがゲラゲラ笑う。
耳障りなので、部活が休みな夏帆はさっさと教室を出て下駄箱に向かえば、鋭二たちが玄関を出て行こうとしているのが見えた。
鋭二の隣には大きくて筋肉質な男がいる。
その姿は人狼のイメージにピッタリで、これが大人の人狼族で、鋭二の父なのだと、夏帆は察した。
「学校はどうだった?」
鋭二の父の声が聞こえて、夏帆はまた耳を澄ませる。
「……何で学校にまた来たんだよ?朝一緒に来て、挨拶も終わらせてたじゃん」
「そりゃ、今は夕暮れが早いし、この学校は人狼族に慣れてないみたいだし、お前にとって大事な時期だって事を改めて伝えに……」
「俺にとって大事な時期だって言うなら、何で引越しなんかしたんだよ!……村に帰りたい……」
鋭二は父親に対して怒鳴ってから、泣きそうな声で呟いて走りだす。父親はそれを慌てて追いかけていく。
一瞬にして、二人の姿は夏帆から見えなくなった。
▼
次の日、ホームルームで先生が、鋭二は家庭の事情で来年の春まで部活には入らない事を告げた。
この学校は必ず部活に入らなければならないので、特例である。
部活が嫌いな生徒たちからは「ズルい」と声が上がり、昨日のやり取りを知っている生徒たちは「夜道は怖いもんなー」とクスクス嘲笑する。
鋭二はムスッとした表情で黙っており、爽太はこの空気を明らかに面倒に感じて放置した。
夏帆も何かができるわけでもなく、身体能力から暴力というイジメにはならなかったが、鋭二は孤立した。
孤立したきっかけは、やはり『夜は大人の時間』という言葉で、それがどんな意味を持っているのか、どうしても気になった夏帆は、白山先生に聞いてみる事にした。
鋭二の元々住んでいた村にも雪人族は多かったと言っていたから、雪人族なら何か知っているのではないかと思ったのだ。
そして、その考えは当たっていた。
「『夜は大人の時間』って懐かしいわね」
夏帆の問いかけに、白山先生は柔らかく笑う。
透き通った白い肌に、整った顔立ち。女も憧れる美しい女性だが、雪人族の白山先生と触れ合うには凍傷や凍死を覚悟しなくてはいけない。
「人族も『夜は大人の時間』って言うでしょ?子どもの成長のためには早く寝るのが良いらしいわね。ただ、私たちの場合はもっと現実的に夜は危険なのよ」
「危険なんですか?」
「夜の方が活発な夜型の種族も多くてね、個人差で『活発』が度を過ぎて『乱暴』になる者も多いのよ。雪人族、人狼族、吸血族とかは特にね」
白山先生は過去を見るように遠くを見た。
「夜に子どもが出歩けば、そんな乱暴者たちの餌食になるわ。それに成長期の夕暮れ時はなかなか辛くてね、昼間のまだ子どもな自分と、夜の力に溢れた大人の自分の狭間で混乱しちゃうの」
白山先生は困った表情を作って夏帆を見た。
「自分は大丈夫、なんて思った雪人族が、一緒に遊んでいた友人に凍傷を負わせるなんて、よくある話だったのよ」
「そ、そんな危ないんですか……」
「この街は夜型の危ない種族が元々少ないし、城之内市長が上手く吸血族を統制しているから、夜に対しての認識がだいぶ甘くなってると思うわ。
他の先生が成長期の森野君にも部活をやらせようとしていて、思わず凍らせそうになっちゃったわよ」
「部活しちゃダメなんですか?」
「朝練とか昼練だけなら良いわよ。でも、絶対放課後も練習に参加させようとするでしょ?森野君が暴れて怪我なく抑えられるのは私ぐらいよ」
その後に白山先生が言った言葉は、夏帆の中にしっかりと刻まれた。
「人族の多い場所に来て、一番怖いのは誰かを傷つけてしまうんじゃないかって事よ。自分がやり過ぎたり暴れたりしてしまった時、止めてくれる仲間がいないって、すごく怖い事なの」
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