境界線の先

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自分と同い年程に見える、恋人の父親が目の前にいる。 …父親にまったく見えない。俺と颯と並んでも同級生で通ってしまうだろう見た目の年齢もそうだけれど、多香子の中の父親の遺伝子を探して記憶を思い返すが見つからない。それくらい似ていない。 全体的に顔のパーツが丸っこく、ふわふわした雰囲気の彼女。 目の前の父親は真逆だ。オオカミをイメージさせる油断のない吊った目じり。サバンナを統べる野生の獣の王のオーラ。 彼女と並んで、恋人同士だと言っても疑われないだろう。 正面に座る、見た目が若すぎるホスト風な父親。 その後ろに控える、実年齢より上に見られる家族同然インテリ執事。 年齢が反対ならまだ納得できるふたり。彼女が外見にとらわれないルーツを見た気がした。 「赤い紐外したのって色男か?」 「切り落としました」 「あの紐目障りだったな。すれ違い様に切ってやろうか見るたび考えたが傷つけて跡でも残ったら最悪だ。そろそろどうにかしてやろうと思ってたんだよ、ありがとな」 元彼につけられた跡ならうっすら残ってます、と言いたかったが我慢する。この我慢もまだ何回か経験するんだろうか? 「まぁ時計ならギリギリ許す」 俺の手首を指してきた。 …よく分かったな、この人。 「それで?葵は茅香に何をした?」 明日の天気の話の様な気軽さ。だが室内の空気は豹変した。部屋ごと極寒の大地に移動したのかと思うほどの冷たさ。一体何を、どうしたらこんな威圧がその一言に込められるんだろう。 そして…どこから、どう知れた? 「様子見てりゃ関係者が誰かはすぐ分かる。珍しく颯もだんまりだったが、もちろん正解だろう予想はついてる。実際の内容は?場合によっては…」 それ以上続かないのが一層恐ろしい。 颯は黙っててくれたのか。さすがは察しの良い親友。ありがとう。 「それは本人が望んでいません。が、俺は殴りました」 「どの程度?」 「顔面を2発です」 「色男はどこまで知ってんだ?」 「全部聞きました。言えるのは…未遂、ということだけです」 行為としては、その表現が正しい。 ギリッギリだけど。 そうか、と呟きが聞こえたから納得してくれたと思った。甘かった。 「全部、言え」 先程までとは桁違いの…本気の怒号を受けた時のように、ビリッと震えた空気が皮膚に当たって痛む。目付きまでも、隠れて追っていた獲物に食らわす攻撃の初手、力を全て注ぐ動物の険しさ。自分にも『獣か』と自嘲する瞬間は謀らずも数度あれど、ここまで自分の意思では出せない。それを彼は容易く扱いこなしているようだった。 「っ…本人が、話していいと言うなら話します。まず確認させてください」 この父親に話すと彼女が望んでいないことが確実に起こる。しかも(むご)い仕打ちで。躊躇はないだろうし、それを止められる人は恐らく誰もいない。言えるのはここまでだ。 「へぇ。ただの色男かと思ってたら違うのか」 「娘さんのおかげです」 「そうだろ?うちの茅香はすごいんだ」 一気に空気がもとに戻り、名前を間違えたままで得意気に話す顔はちゃんと父親の顔だった。
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