ピース・メイカー

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ピース・メイカー

「よいしょっと……!」  ふらつきながらも、ゆっくりと塹壕を登る。よろめいて手をついた途端激痛が走った。骨が折れているというほどではないが、それでも少し動かすだけで左手首が酷く痛む。恐らく捻挫しているのだろう。銃兵として役に立たないので、下がっていろと言われたのが昨日の夜のこと。――全く、こんな勝ち目のないの争い、上は一体いつまで続ける気でいるというのか。  ラザンナ連邦と、チイ共和国が戦争を始めて――既に二年が経過している。  空と海の戦いから始まったこの戦争が、ついに泥沼の陸上戦に入ったのが三ヶ月前のこと。ブルースがこの戦線に配置されたのはまだ二週間前のことだが、そのたった二週間でさえ若い心を疲弊させるのに充分であったのである。まだ入隊して一年にもならない新人を、こんな激戦区に送る。人員が足りていないのは明白だった。なんせ、明らかに弾薬も食料も補給が追いついていないのだから。馬鹿げたことだ、困ったら銃だろうと食料だろうと敵から奪ってなんとかしろ――なんてことを堂々と上官が言ってくるなんて。 ――補給ラインを戦線と重ねるとか、マジで馬鹿なんじゃないの。司令部の奴ら何考えてんだよ。戦争は会議室じゃなくて戦場で起きてるんだっつーの。  朝方まで雨あられのように銃弾が飛び交っていたこの場所も、今はしんと静まり返っている。ブルースは塹壕から這い出して立ち上がり、周囲を見回した。本来ならば、敵のいい的である。それでも今日だけは、銃弾も剣も矢も飛んで来ないと知っていた。世界的に、この日だけはあらゆる争いをやめるものと定められた“龍神の夜”。この世界を作ったという龍神が生まれたとされるこの日だけは、どんな戦場も停止することをブルースは知っていたのだ。国際規定で定められたものであるということ以上に、この日を大切にすることは世界中の人々の暗黙の了解のようなものであったのだから。  少なくとも今夜、二十四時を過ぎるまでは戦場は動かない。銃弾に怯える心配もいらないし、兵士達もゆっくりと休息に励むことができるはずだった。  否、仮にそんな約束を破るような不埒な輩がいるとしても――それはそれでいいや、なんてことをブルースは思い始めていたのである。
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