みーちゃん

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「神様、お願いします。みーちゃんを天国へ連れて行かないでください」 奈津子は、病院の長椅子をテーブル代わりにして、手を組んで祈っていた。 みーちゃんとは、美波の事だ。 奈津子の8歳年下の妹である。 今、交通事故で病院に運ばれて、死にかけているのだ。 奈津子も、グチャグチャになって血溜まりの中にいる美波を見て助からないかも知れないとわかっている。 両親は緊張した顔をし、「大丈夫だ。美波は助かる」と父親が母を励ましながら、肩を抱いていた。 「みーちゃんは、明後日3歳のお誕生日です。どうか、天国には連れて行かないでください。なっちゃんはいい子にします。パパとママの言う事を聞きます。 それから、学校のお勉強もちゃんもします、嫌いな人参とピーマンも食べます!お隣のケンちゃんとも仲良くします」 "なっちゃんは、とっても良い子になるんですね" そんな声が聞こえた。 優しくて、暖かくて、聞いているだけで、ホワホワと気持ちのよくなる声。 "なっちゃんが、それほどまでに良い子になり、みーちゃんの事祈るのではあれば、みーちゃんを助けてあげましょう" 「えっ!?」 その声はどこから聞こえてくるのか奈津子は分からなかったし、頭に直接響いてきている気もした。 奈津子はあちこちを見渡すが誰もいない。 "必ず守るのですよ、この事は誰にも言ってはいけません。 なっちゃんはいい子にするのですよ" 奈津子は思わず「はいっ!」と大きな返事をした。 両親は、そんな奈津子を不思議そうにしたあと、「静かにしなさい」と小声で言った。 === 美波は助かった。 肉塊のようになって、死ぬと言われた美波。 手術が成功したあとも、後遺症が残ると言われた体だったが、まるで何もなかったように元気になった。 奈津子は、お願いが届いたんだと、心底神様に感謝した。 両親の言う事を素直に聞いたし、苦手な料理も文句言わず食べた。 勉強も、両親から言われる前に取り組んだし、隣の男の子、ケンちゃんが喧嘩をふっかけてきても無視をした。 「みーちゃんが、助かったんだもの、私はいい子にならないと!」 === あれから美波も4歳。 何事もなく、走り回り幼児らしく、元気いっぱいだ。 奈津子は12歳。 12歳にしては、大人しく、しかし、親も自慢できるような良い子に育った。 奈津子は絵を描くのが大好きで、部屋で夢中で絵を描いている事が多かったが、そんな時、色鉛筆がもうかなり短くなっている。 ママに買って貰いたいな。 奈津子が母に言うと、いつも最後まで綺麗に使っているから、今回はご褒美に沢山色が入った色鉛筆のセットを買ってくれると約束してくれた。 奈津子は「やった!」と大きな声で喜ぶと、美波が「なぁに?みーちゃんも!みーちゃんも!」と騒いだので、奈津子は美波の頭を撫でてやる。 36色入りの色鉛筆を母が明日買ってくると約束してくれて、嬉しくて奈津子は母の胸に飛びついた。 その日の放課後は、友達と遊ぶのを断り、楽しみで学校から走って帰ってきた。 「ただいま!」 いつもより明るくて元気な声が奈津子から出る。 「ママ?色鉛筆は?ママ?」 どうやら、リビングにいない。 美波は1人テーブルで何かしているようだった。 「みーちゃん、ママは?」 奈津子は美波を後ろから覗き込んだ。 が、一瞬、息が止まった。 プレゼントの包装をビリビリに破き、新品の色鉛筆でスケッチブックにガリガリと落書きしている美波がいる。 「ねえね、おかえりぃ、ママはお洗濯を取りに行ったよ。 ねぇ、見て!これ!みーちゃんが書いたのぉ!ライオンさんと、クマさんとー…」 鉛筆の先が、ガリガリ強く描かれたせいで平たくなり、綺麗に順番に揃えてあっであろう色鉛筆は、テーブルのあちこちに散らばっていた。 たった、それだけの事だった。 いつも美波はイタズラしても、食べ物を残しても、わがまま言って泣いても、小さいからと許されて、でも、私は神様と約束通りいい子に生きていた。 そんな私にママがご褒美をくれたのに。 奈津子の色鉛筆なのに! 目の前が真っ白になるほど、美波に怒りを覚えた。 美波の頬に、奈津子の平手が飛ぶ。 その勢いで、美波は椅子から落ちてしまい、わあああ!と泣いた。 "あの時、死んじゃえば良かったんだ!" 一瞬、そう思った。 そう、一瞬だけ。 「みーちゃんどうしたの!?あっ!ねえねの色鉛筆勝手に開けたのね!それはダメでしょう?はいはい、あらあら、痛かったのねぇ、でも、ねえねにごめんなさいしないと」 なんで、みーちゃんをもっと怒ってくれないの? 「奈津子、みーちゃんのほっぺが赤くなってるわ。あなたぶったのね?色鉛筆を勝手に使ったのはみーちゃんが悪いけれど、暴力はもっといけないわ!」 なんで、いい子にしてきた私が怒られているの? いい子なんて、やめた。いい子なんて、やーめた。 奈津子は、母に抱きついて泣きじゃくる美波をぼんやりと見ていると、急に辺りが暗くなった。 その急変に、奈津子は我に返る。 周りを見ると長椅子が両壁の端に並び、手術中の赤いランプがついたドアが見える。 そこは、一年前に見た病院で、父は母の肩を抱き、「大丈夫だ、美波は助かる」とぶつぶつ言っている。 まさか、一年前に戻ってきた? "いい子にできなかったね。みーちゃんが死んでしまえばいいって思うのは悪い子だね" あの時の、柔らかな声が、また奈津子に響いた。 「ち、違います。えっと、私の色鉛筆を……みーちゃんが……」 "みーちゃんのほっぺ叩いちゃったね" 奈津子は何も言えなかった。 "なっちゃんの願いを叶えよう。みーちゃんは死んじゃえば良かった" 「違います!神様!お願いします!みーちゃんを助けてください!神様お願いします!なっちゃんはいい子にします!」 両親には聞こえない声に、奈津子は叫んだ。 「奈津子、静かにしなさい!」 母が小声でいった。 奈津子は少しだけ声を落として、「神様、お願いします。神様、お願いします」と繰り返した。 が、 結局美波は助からなかった。 === 一年後、あの時と同じように奈津子に色鉛筆をプレゼントしてくれると約束した母。 もうプレゼント包装を破ったり、色鉛筆をぐちゃぐちゃにする妹はいない。 ペリペリと包装を丁寧に取りはずし、沢山色が揃った色鉛筆を見る。 その下にはスケッチブック。 新しいスケッチブックも買ってくれたんだ。 そして、スケッチブックを開け、奈津子は目を見開いた。 1枚目に大きな落書きがあった。 あの日、美波が描いた落書きだった。ライオン、クマが4歳児らしく力強くかかれていた。 そして、下の方には、大きな丸の中に、丸が3つ、目と鼻だと分かる。赤い色鉛筆でニッコリ笑っている線が引かれていて、人だと理解した。 その下に、覚えたてのひらがな。 「ねえね」 と書いてあった。 奈津子は、それを見て、涙が止まらなくなった。 「神様、お願い、みーちゃんを返して…」
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