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"金曜、20時。下北沢351。"
壱の名前で入れるようにしておくからさ、聴きに来なよ。とテトラは言った。それから後のことは、よく覚えていない。レコードは結局、テトラが買って俺に寄越した。
なぜ、とか、どうして、とかそんなことが些細に思えるくらい、強烈な瞬間。
嫌悪。恐怖。
本来そう形容されるはずの瞬間なのに、思い出すとどうにも動悸が収まらない。それが何を意味するのか、多分それは、考えてはいけないことのような気がする。
……こうやって本庄は振りまわされたのか。
そう思うと、腹が立つ一方で諦めのようなものも感じられて、それがさらに腹立たしかった。
月が登っても眠れず、ビルの灯りが落ちても眠れず、高速道路の車音がしなくなっても眠れず、やがて乾いた空気の向こうから遠い電車の音が聞こえても眠れなかった。
延々とドアーズのレコードを眺め続けていた俺は、稜線の裏側に朝日が登るのをくっきりとした輪郭が示す頃、やっとベッドから立ち上がった。
水道を捻り、陶器によく冷えた水を張る。
キッチン横の窓を開けて、きりりと引き締まるような冬の空気を部屋に通す。
棚の上から紙に包んでいた蓮根を取り出し、皮を剥く。
縦に切った円柱を倒して、半月切りを作っていく。
さく、さく。
濡れた手に風が通って、芯まで冷えるように感じる。
さく、さく。
包丁が繊維を切断していく感覚が、ひとつひとつ、冷静さを取り戻していく。
さく、さく。
全ての破片を陶器に張った水にさらしてしまうと、猛烈な眠気に襲われた。
俺は倒れ込むようにベッドに寝転び、そのまま昼まで寝続けた。
大学の講義を休んだのは、初めてのことだった。
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