死に際演技

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 私は今、自分で自分の演劇を肯定できるか、その瀬戸際に立たされているのだ。 「私をずっと見てきたのなら、あなたは私がどうすればいいと思う?」  含み笑いをしていた少女に、私は半ばすがるような気持ちで問いかけた。  笑みを浮かべたままの少女が、そっと何かを差し出した。 「もう、私に出来るのはこれくらいです。西原さん、それほどにあなたは上り詰めたのです。自信をもってください」  そう言って脇坂から渡されたものを見て、私は息を飲んだ。  しかし、これこそが最適解なのかもしれないとどこかで冷静に思う自分もいた。  そう、これが私のなかに欠けていた最後のピース。私は渡されたものをカバンのなかに仕舞いこんで、代わりにチケットを一枚取り出した。 「初日、S席のチケットよ。良かったら、私の最高の演技を見に来てくれる?」 「いいんですか? ありがとうございます。よろこんで」 「じゃあ、行くわ。色々ありがとう」 「西原さん」  脇坂を足早に通り過ぎ、帰路につきかけた私を少女の声が呼び止めた。  静かな声にはどのような感情が込められているのか、読み取ることが出来なかった。 「もう一度、断言します。あなたは最高の女優です」 「……そうあれるように、出来ることはすべてする。それだけよ」  マンションに戻る。  シャワーを浴び、ゆっくりとワインを飲んだ。  その日私は、練習スペースには足を向けなかった。  舞台初日、会場は満員御礼だった。  舞台袖からそっと覗いてみると、銀髪の少女――脇坂の姿も見えた。  やがて開演時間が訪れ、舞台の幕があがる。  演劇はなんの問題もなく進んでいった。  そしてラストシーン。  相手役の役者が、ナイフを握りしめ私を突き刺した。  その瞬間、私の全身に衝撃が走った。  -――これでいい。  あの日、あの夕暮れの寂しい道で脇坂が私に渡したのは、今回の舞台に使うフェイクのナイフにそっくりな本物のナイフ。  私はそれを、本番寸前にすり替えていた。  腹部に深々と、金属の冷たい感覚が入り込んでくる。  引き抜かれたあと、血があふれ出しどうしようもない熱に包まれた。  ああ、これが刺されるというものだ。  これが、死というものだ。  視界が少しずつ暗くなる。数歩よろけたのち、私はセリフを口にした。 「そん、な……げぼっ! 私が、こんな、ところで、あっ、死、ぬ……なんて……」  必死の思いで声を振り絞り、地面に倒れこんだ。  徐々に冷たくなっていく身体。  暗くなっていく視界の向こうでS席、最前列にいた銀髪の少女の表情がかすかに見えた。  ――少女は、笑っている。  すべてはあのとき、最初に夕暮れの道で彼女と出会ってしまったときにきまっていたのかもしれない。  あの日、あの子に出会わなければ……。  私は無難に女優の道を生きていっただろう。  まるで何かに操られていたような、憑りつかれていたような自分を見失っていた日々。  ほんの一本、小さな道を間違えてしまった。  そして、それはもう決して戻ることの出来ない道だったのだという、絶望感。  遠のいていく思考のなかで、私は私に問う。これで本当に良かったのかと。  暗くなっていく視界の向こう側で、むっくりと幕が下り始める。  銀髪の少女が笑顔のまま私を見つめ、いつまでも拍手を送り続けていた。
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