第40話 葬儀

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 一方、オリヴィエは瞳を曇らせ、重々しく口を開く。 「今回の誘拐事件では、百人近くの子どもたちが姿を消しました。そのうち、戻ってきたのは四割弱……残る六割の子どもは、今も行方が分からないままです。《壁》の外へ連れ出されてしまった子もいるでしょうが、すでに死んでいる子どもも相当数いるはず。私が……彼らを殺したようなものです……!」  今回の事件は元を辿れば十五年前、オリヴィエと悪魔(オグル)が二つに分かれたことに端を発している。だから、オリヴィエはどうしても自分に責任があると感じてしまうのだろう。悪魔(オグル)はオリヴィエの半身であり、血の繋がった家族よりも自分に近い存在であるから、なおさらだ。 「オリヴィエ、自分を責めちゃ駄目だ。オリヴィエは悪魔(オグル)とは違う。悪いのは悪魔(オグル)なんだから」 「……本当にそうでしょうか? 私は時々、分からなくなります。悪魔(オグル)と私は元々はひとつでした。私の中にも、ひょっとしたら悪魔(オグル)のような部分があるから、あのような悍ましい人格が出現してしまったのかもしれません。……私がいなければ悪魔(オグル)が存在しなかったように、悪魔(オグル)がいなければ、私も存在し得ないのかもしれない。私と悪魔(オグル)は、コインの裏と表のようなものなのです」 「それでも……オリヴィエは悪魔(オグル)と違うと俺は思う。悪魔(オグル)はユーインさんを使い捨てにしようとしたけど、オリヴィエは彼の命を救ったじゃないか。その結果が、すべてを物語っているんじゃないか?」  オリヴィエの《スティグマ》と、悪魔(オグル)の《スティグマ》。二つは同一のアニムスだが、オリヴィエがもたらした結果と、悪魔(オグル)のもたらした結果には、天地ほどの差がある。オリヴィエと悪魔(オグル)が同じだと言うなら、結果に違いなど現れるわけがない。 「……そうでしょうか? そう、信じても良いのでしょうか?」 「ああ……!」  深雪が力強く頷くと、オリヴィエは険しくしていた目元をかすかに弛緩させた。 (本当は……ひとつ気になることがある)  悪魔(オグル)との戦いの後、深雪たちは地域住民らと協力して清凛園の消火活動に当たり、どうにか鎮火した時には夜が明けてしまっていた。心身共に疲れ果てていたこともあって、深雪たちは一度、事務所に戻ることにしたのだが、食事や睡眠を摂って落ち着いた頃、ある疑問が湧き上がってきた。  本当に悪魔(オグル)は消滅したのか――その事が、心の中でずっと引っかかっていたのだ。  一度、気になりはじめると、どうしても確かめずにはいられなくなり、深雪は朝早く、ひとりで聖ヨハネ・パウロ修道院を訪れた。はっきりとした証拠を目にするまでは、どうにも安心できなかったのだ。  そして深雪は知ったのだ。祭壇に広がっていたユーインの血が、一滴も残っていないことに。 (俺が確認した時、あの教会に血は一滴も残っていなかった。拭き取った跡や、水で流した跡も無い。まるで何もなかったかのように、きれいな状態だった……)  戦闘による破壊の痕は克明に残っているのに、床にぶちまけたかのような多量の血痕だけが、きれいさっぱり消失していた。それを思い出した深雪は、ふと背中が寒くなるのを感じる。 (悪魔(オグル)のまき散らした血痕は、一体どこへ行ったんだ……?)  懸念はあるものの、深雪はその話をオリヴィエには黙っておくことにした。オリヴィエは悪魔(オグル)との戦闘で負った傷の回復が遅れている上に、トモキをはじめ、多くの子どもたちが犠牲となったことに深い精神的なダメージを受けている。今は余計なことを知らせず、治療に専念させたかった。  その時、深雪の端末が軽快なメロディーを発して、メール着信を告げる。添付されている画像(ファイル)を開いた深雪の顔から、思わず笑みがこぼれ落ちた。 「どうしたのですか?」 「火澄ちゃんからメールが送られてきたんだ。……見て」  そこには火澄や由衣、そして咲良が仲良く写っていた。アングルから察するに自撮りだろう。三人とも清凛園から救出されたばかりの頃は薬で意識がひどく混濁していたものの、今は後遺症もなく元気に動き回っているらしい。  画像の一番奥には少女たちに囲まれ、目を白黒させている火矛威の姿も見えた。その表情から察するに、半ば無理やり、自撮りに参加させられたのだろう。深雪はオリヴィエに語りかけた。 「火矛威は火澄ちゃんが戻ってきて、とても喜んでいた。人目をはばからず、火澄ちゃんを抱きしめて号泣するほどにね。火澄ちゃんも恥ずかしがってたけど……すごく嬉しそうだった」 「そうですか……」 「俺たちは救えなかった命もあるけど、守れた命もある。どちらか片方だけじゃなくて、両方に向き合わなければいけないんだ」 「……ええ、そうですね」  写真を見て、オリヴィエもようやく柔らかい笑顔を浮かべる。まだぎこちなさが残っているものの、それでもオリヴィエには笑顔が似合うと深雪は思う。苦しんでいる顔や悲しんでいる顔より、子どもたちに囲まれて笑っている表情のほうが、ずっといい。  オリヴィエはふと真顔に戻ると、おもむろに切り出した。 「……深雪、私はあなたに謝らなければならない事があります。《リスト執行》の日、あなたや事務所のメンバーに何も知らせず、一人で動いてしまったことを……」 「気にしなくていいよ。俺もよくやらかして流星やマリアに怒られるし。自分の事だから、自分で解決したかったんだろ? ……その気持ちは分かるよ」  深雪は肩を竦めながらそう答えたが、オリヴィエはなおも続ける。 「……私は、これまでずっと一人で生きてきました。いえ、一人で生きなければならないと……私のような人間(ゴースト)は誰かと生きる資格はないと、そう己に科していたのだと思います。ですから、誰に対しても近づきすぎないようにしていました。自分はゴーストであり、人とは違う。だから、求めるのはやめよう……と」  その言葉には、深雪も心当たりがあった。オリヴィエは困っている人の面倒をよく見るし、手助けもしてくれるが、見返りを求めたことは一度も無い。相手の反応に一切の関心を払わないその態度は、どこか孤独で、何かを根本から切り捨てているようにも見える。  オリヴィエは誰に対しても等しく優しいが、それは裏を返せば、彼には特別な人がいないのではないだろうか。 「ですが……あなた達が助けに来てくれた時、とても驚きましたが……それ以上に嬉しかった。何より、嬉しいと感じた自分自身に衝撃を受けたのです。思えば、私は誰かに手を差し伸べることはあっても、誰かから差し伸べられた手を取ろうとしたことはありませんでした。私は一人ではない。その事にあれほど救われた気持ちになるなんて……私は知らなかった。いえ、知ろうともしなかったのです」 「オリヴィエ……」 「《監獄都市》に来た当初は、あまりの劣悪な環境に驚き、とんでもないところへ来てしまったと思ったものです。私は世界中を巡ってきましたが、その中でも一、二を争うほど、この街の印象は悪かった。けれど……今はこの街に来て良かったと思っています。この街に来て、あなた達に……あなたに出会えて本当に良かった」  オリヴィエの蒼い瞳は、どこまでも透明だった。薄曇りだった空は徐々に雲間が途切れ、その隙間から差し込む陽ざしが、林の中に優しい木漏れ日を落とす。きらきらと降りそそぐ光の粒が、サファイアのような瞳を鮮やかに浮かび上がらせた。 「……俺もそう思ってるよ。この街に来て、オリヴィエに……みんなに出会えて本当に良かったって」  深雪は思う。オリヴィエは、自分と同じだったのだろうと。過去に脅え、自分自身を恐れ、誰のことも信じられなかった。深雪がこの街に来たばかりの頃、他者を徹底して避けていたのと同じく、オリヴィエも他者に完全に心を許すことはなかったのだ。  彼の心は十五年間、ずっと冷たく硬い壁の中に閉じ込められたまま、孤独に苛まれていたのかもしれない。  でも、人は変わる。永遠に変わらないものなど無いのだから。生命が誕生したその瞬間から死へと向かうように。季節が必ず巡りゆくように。良いことであれ、悪いことであれ、この世のすべては移ろいゆく。  だから、人は変わっていける。生きることは変わることなのだから。深雪はそう信じている。 「……なあ、オリヴィエ。俺は自分のこともみんなのことも……今はもう怖くないんだ。この街に来たばかりの頃は、あんなにビクビクして、周りの顔色を窺っていたのにな」 「深雪……」 「あの時は苦しくて、どこまでも真っ暗な道が続くような気がしてたけど……自分がこんな風に変化するなんて、思いもしなかった。人はいくらでも変わっていける。だから生きることには意味があるんだって……俺はそう思うよ」   木漏れ日の降りそそぐ中、風が木々の枝を静かに揺らしていく。風が通り過ぎる間、オリヴィエはわずかに目を見開いていたが、やがて微笑んだ。  どことなくほっとしたような、憑き物が取れたような――深雪の初めて目にする自然な笑顔だった。
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