【prologo】episodio.1「Incontro con lui(彼との出会い)」

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「ああ体が冷えきってしまっている。ほら、暖炉の前に座りたまえ。お茶を用意させよう」  男に促されるまま暖炉の前に腰を下ろす。どこかの貴族なのだろうか?それはそれは広い屋敷だ。それにしては人の気配が少ないのだが。  恐らく使用人であろう背の高い男からカップを受け取ると、ふわりと甘い香りがした。そして、暖かい。 ほぅ、と思わず息が漏れる。暖かいものなんて、生まれてこの方口にしたことがない。どんな味なのだろう?どんな飲み物なのだろう?口をつけようとして──カップを床に投げ付けた。音に驚いて、貴族の男は目を丸くして振り返る。オレはただ、その男を睨みつけていた。 「お前なんか信用しない。何が目的だ」 「……じゃあどうして来たんだい?」 「それは……」 「どうでもよかったんだろう?何もかも」  男は目を数回瞬かせてから優しく微笑んだ。そしてゆっくりこちらに歩み寄ってくる。なに、なんだ。咄嗟に後ずさると、後ろのソファに引っかかって思わず倒れ込んでしまった。ぼふ、と優しく柔らかい感触が体を包む。それに一瞬ほっとしてしまったのも束の間。男の手が音を立てて顔の横に付いた。咄嗟に体が強ばる。 「あーあ、紅茶を無駄にしてしまって」  男はそう言いながら床を見ると、カーペットに紅茶と呼ばれた液体が染みていくのが見えた。それに怒っているのだろうか?だがどうやら、怒っているのとも少し違う。変な男だ。 「ブルーム、もう一度紅茶を」  ブルームと言われた背の高い男は、少し困ってから部屋の奥へと消えていく。部屋に二人きりになってしまった。その震える瞳を逃すまいと貴族はじっと見つめてきた。 「怖いかい。そうだろう、それが正しいさ。知らない男の屋敷に上がって、組み敷かれて…男の君でも怖いだろう。だがそれが正しい」  何が言いたいんだ、なにがしたいんだ。震える体を隠すように拳に力を入れて睨み返す。貴族はそれを見てか少し笑って上から退いた。そして手を差し出してくる。 「……変なやつ」  ん?と貴族は首を傾げて、オレの手を無理やり掴むとぐいっと上体を起こさせた。手袋越しでも分かる暖かい手。こんな奴の手なのに、安心してしまう。  男は改めて、と言うと被っていた帽子を胸に当てた。 「私はこの屋敷の主、アェルド。アェルド・ルチア・ヴィヴァルディ。お前を拾った大人だよ」  さて君は?とわざとらしく目を細めながら無言で問いかけてくる。だが……。 「名前なんてない。気づいたら外で……記憶も無い」  一番最初の記憶は、路地裏で目を覚ました時だった。それ以前の記憶は全くない。どこから来たのか、自分が何者なのか……は少しわかるけど、とにかくほとんど何もわからなかった。  そう聞いた男──アェルドはふむと小さく零してから「では」と口を開いた。 「ジェシー。君はジョシュアだ。いいね?」 「勝手に決めるなよ……」 「はい決定。拒否権はなし、だ」  アェルドは小さく笑うとブルームから紅茶を受け取り、再び差し出した。暖かそうで、美味しそうなもの。思わず喉がこくりと音を立てた。はっとして喉を抑えたが、既にアェルドは笑っていた。……腹立つヤツめ。 「ほら、飲むといい。ブルームの淹れた紅茶は美味しいんだ」 「……」  そっと受け取ると再びあの温かさが手に染みる。じわ、と熱が移っていくこの感じは、嫌いじゃなかった。  もう死んでもいいのなら、なんでもいいのなら。とカップに口をつけた。そしてゆっくり傾けると、やがて甘い味が口に広がる。ふわぁ、と思わず声が漏れた。 「おいしい……」 「だろう?」  アェルドは満足そうにこくこくと頷いて、ソファへと腰掛ける。そして指を絡めて手を組むと、じっと見詰めてきた。 「さてジェシー。お前が気になっていることもここに居ればやがて分かるだろう。どうだい?ひとまず、ここに住むというのは。 お前は住む場所が欲しい。私は君を保護したい。利害は一致している」  嫌になればいつでも逃げ出せばいいさ、なんて嫌味ったらしく笑ってから「おいで」と手袋をした手を差し出す。自分よりも大きい手。大人の手。今までは、その手に何度傷付けられた事だろう。理由もなく殴られ、打たれ、蹴られて、時には変なやつに体を撫で回されたりした。  だがここは暖かい。温度だけじゃなくて、空気というか……雰囲気というか。そうだ、嫌になればいつでも出て行けばいい。だから……。  少年、ジョシュアは、そっとアェルドの手を取った。
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