* 2話 皇女様、学校へ行く *

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「ひぃ~! ごめんなさい!」  確かに彼女は語学が苦手だと言っていたけれど、その出来は私が想像していた以上のものだった。一年生の頃にとっくに勉強している簡単な文法でも躓き、単純な自己紹介の会話もままならない。愕然としてしまい深くため息をつくと、藤本さんは申し訳なさそうに頭を深く下げた。   「……こんなに苦手なら、頑張る必要もないんじゃないかしら?」 「そんな!」 「時間の無駄じゃない?」  私の言葉に、藤本さんはがくりと肩を落とした。私の言った「無駄」という言葉を、何度も小さく繰り返す。 「でも、ちょっとでも話せるようにならないと困ります……」 「どうして?」 「私、女学校を卒業したら……許嫁と一緒にハノーヴ国に渡るんです」 「い、許嫁!?」  思わず大きな声が出てしまう。藤本さんは少し照れた様子で口角をあげてほほ笑んでいた。 この女学校に通っている生徒は、良家の子女が多い。だから許嫁がいても不思議ではないけれど、今の私には少し刺激の強い言葉だ。私は平静を取り戻そうと姿勢を正す。 「今ハノーヴ国に渡ることができるのは、ごく限られた人だけじゃなかったかしら? どうやってあちらの国に行くの?」 「貿易会社を経営している父は、仕事のため特別に渡航許可が降りるんです。もちろん、私たち家族も。父は一刻も早く、婿入りする許嫁に仕事を覚えてもらいたいみたいで。私が女学校を卒業、彼が大学を卒業するのに合わせて一緒にあちらに渡ろうとお話をしていて。……彼も父も、語学が堪能で問題ないんです。私だけが話すことができなくて」 「それなら、お父様や婚約者の方に通訳してもらえばいいじゃない」 「いえ、それではダメなんです!」  藤本さんは力強い視線を私に向ける。 「二人に迷惑をかけたくはないんです。彼も、これから我が家に婿入りして、仕事を覚えてという大変な時期に……さらに私の面倒までとなると、きっと疲れ果てて倒れてしまいますわ!」 「そ、そう……」 「だから、私だって、一人で買い物に行けるくらいに話せるようになりたいんです! それが目標なんです!」  彼女の瞳に、私の姿が映りこんだ。その奥に、迷いはなくやる気に満ち溢れていた。その瞳を見ていると、さっき「時間の無駄」だと切り捨てようとした自分自身の行いが恥ずかしくなる。私が彼女に向かって微笑みかけると、藤本さんは不思議そうに目を丸めた。 「いいわ。あなたがそれなり話せるようになるまで、私が教えてあげる」 「いいんですか? 百合子様……あ、百合子さんだって忙しいのではないでしょうか?」  藤本さんはまだ緊張しているのか、何度か私の呼び方を間違えている。私はクスリと笑った。 「放課後ちょっとくらいなら問題ないわ。その代わり、先生たちよりずっと厳しくいくわよ」 「はい! 望むところです!」  意気込みは十分だけど、先は長そうだ。明日は一年生の時に使っていた教科書でも持ってこようか、そんな事を考えていた時、先生が小走りでやってきた。どうやら、私の事を探していたみたいだ。 「宮様、こんな所にいらっしゃったのですね。お迎えの方が見えています」 「そう。分かったわ」 「藤本さんも、お迎えの車が来ていますよ」 「わかりました!」 「それじゃ、明日からさっそく始めるから。覚悟しておいてね」 「はい!」  そう言って笑いあう私たちを、先生はきょとんと不思議そうに見ていた。それもそのはず、私には今まで、一緒に笑うことのできる相手が学校にいなかったから。二人で玄関まで向かうと、校門の近くに車が二台止まっているのが見えた。 「ん? あれって……」 「あれ? 進駐軍の車ですね」  わなわなと震える私の横で、藤本さんはひょうきんな声をあげた。私はため息をつくのと同時に、運転席のドアが開く。そこから降りてきたのは、やっぱりカーター中尉殿だった。 「遅かったですね、リリィ。待ちくたびれました」 「ど、どうしてあなたがまた来ているんですか!?」 「今日も早く仕事が終わったので。ん? そちらは……」  中尉殿の視線が藤本さんに向けられる。彼女は少し緊張した面持ちで小さく頭を下げる。 「百合子さんの同級生で、藤本京子と申します」 「……もしかして、リリィ、ようやっとお友達が出来たんですか? 良かったぁ、皇太子殿下やトクさんが喜びますよ!」  彼が胸を撫でおろすのを見ると、何だか恥ずかしさがこみ上げてくる。顔を伏せると、藤本さんが私の顔を覗き込んできた。 「あの、百合子さん。ちょっといいでしょうか?」  彼女が私の腕をわずかに引っ張り、中尉殿に背を向ける。私も同じようにすると、藤本さんは小さな声で話しかけてきた。 「あの方と百合子さんは、どのような関係なんですか?」 「え゛?」 「だって、家庭教師というにはあまりにも親し気と言うか……百合子さんのこと【リリィ】と呼ぶなんて」 「……他の方には内密にしていて欲しいのですが」  私はさらに小さな声で、こう耳打ちする。 「どうやら、私はあの方と結婚するらしいんです」 「えぇっ!」 「こ、声が大きいですよ!」 「まさか、そんな相手がいらっしゃるなんて思わなかったから。……でも、百合子さんは嫌なんですか?」 「どうしてそんな事を?」 「だって、将校様の事を見た時、百合子さんのお顔が少し曇ったみたいだったから」
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