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……菱村家で待っているだろう涼華や神瀬に、珠乃は心中で謝った。基本的にスーツやドレスは注文服で、直前に急ごしらえなどできやしない。サイズ違いでも一着あれば違ったかもしれないが、使用人ために予備を作っておくなど、珠乃の価値観から言っても非常識だ。
「朱ちゃん、ごめんね。気付くのが遅くなっちゃって」
「かえちゃんが謝ることじゃないわ。仕方のないことなのよ」
珠乃は準備を終えたかえを送り出しながら、天災と思うしかないのだ、と自分に言い聞かせる。
「和紫様に相談する?」
「いいえ。今になってお話ししても、どうにもならないことだわ。和紫様もお困りになるんじゃないかしら」
和紫に相談など、犯人を考えても徒労に終わるだろう。
「もう夜会の時間が近いもの。私は事態を混ぜっ返さないようにして、皆様を送り出すわ」
珠乃がかえにそう言ったとき、両扉が開け放たれた玄関ホールが見えた。夜会用に着飾ったメイドたちが壁際に並び、真ん中には主家の三兄妹が佇んでいる。
「あら」
一人だけメイド服でいる珠乃を見つけて、菫の目の奥が輝いた。
「どうしたのかしら。みなが待っていたのに、まだ準備してないの?」
「対処できない問題が起こってしまい、参加ができなくなってしまいました」
珠乃が頭を下げると、菫の横にいた藤二が眉をひそめた。
「どういうことだ」
「そうよ、直前におかしいわ。サボタージュしたいだけではなくて?」
藤二の発言に乗るようにして、菫は珠乃を非難する。さっさと出発すればよかったのに、こうしていびり尽くしたいがために残った。そういう子よね――と、珠乃はひっそり恨みながら、
「そんなわけありません」
と、無残に破れたドレスを広げて見せた。
「この通りなのですわ。……お見苦しいものをすみません」
珠乃はすぐに包み直して、ぼろ衣を両手に抱える。謝罪は特に、藤二に向けての言葉だった。
「主家からの支給品を管理できないメイドなら、連れて行く価値もありませんわ。そうですわよね? 和紫お兄さま」
藤二が沈黙していることをいいことに、菫はわざとらしくドレスの裾をひるがえした。話を振られた和紫は溜息を吐くと、誰の方も見ずに言う。
「ないものは仕方ない。時間が迫っているのだから、メイドの一人なんて置いていけばいい」
その言葉に、菫は勝ち誇ったように笑った。メイドの一人なんて! 妹は珠乃に悠々と歩み寄ると、メイド服の胸元を自分へと掴み寄せ、耳元でささやいた。
「貴女は大丈夫だと思っていたのに、裏切るからよ。……藤二お兄さまも和紫お兄さまも取ろうだなんて、絶対に許さない」
――ああ、そういうこと。
珠乃はそれを聞き、ようやく納得した。先日の和紫とのやり取りは、かえではなく菫に見られていたのだ。
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