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「ほれ、これ使え」
お爺さんが手ぬぐいを三枚、由岐に手渡した。髪や顔を拭いていると、たらいにお湯を入れて「足洗いな」と言いながら持ってきてくれた。
「服は娘のがあるが、じょうちゃんには大きすぎるからなあ。急いで帰った方がまだいいかもしれん」
由岐に長靴を履かせて大きな黒い傘を渡すと、お爺さんは雨合羽を着込んだ。大きすぎる長靴をがぽがぽと鳴らしながらお爺さんについて行く。すっかり暗くなった道は由岐の気分まで暗くさせる。
「ごめんなさい、私のせいで釣り竿が折れちゃって」
「気にすんな。やめどきだったんだよ。俺にはもう救いは来ねえ」
「救い?」
「いいや、なんでもねえ。じょうちゃんは風を釣りに来たんじゃないのかい?」
「婆ちゃんちに来ただけ」
「そうかい。うまいもん食べて川で遊んで、元気に帰ったらええよ」
「私、ごはんが食べられないの」
「ん」
「街では点滴ばっかりで。婆ちゃんちなら何か食べれるようになるって、お医者さんが」
「そうかい。そんなら、本当に風を釣った方がいいなあ。風は生きてるってことだからなあ」
「でも、お爺さんは死に神を釣りたかったんでしょう?」
お爺さんはじろりと由岐を見た。
「婆ちゃんがそう言ったのか」
「うん」
「……ほら、家が見えて来た。ここからは一人で行けるだろ」
くるりと回れ右してお爺さんはスタスタ歩いていく。
「あの! 私、釣り竿を弁償します!」
お爺さんはぴたりと立ち止まった。
「あの釣り竿は買えるもんじゃねえ。自分で作る、一年に一度っきりの釣り竿だ」
「二本は作っちゃいけないの?」
「そうだ」
「一人一本なら、私も一本作れるよね。それを、お爺さんが使ってくれたら」
「……いいのか?」
振りかえったお爺さんに由岐はこくりと頷いてみせた。
「でも、難しいぞ。怪我もするかもしれねえぞ」
「どうやって作るの?」
「竹林に入るんだ。そこで真っ白な笹を見つける。それが釣り竿だ」
「白い笹」
「そうだ。糸は絹の白い糸と髪の毛を縒って作るんだ」
「縒るってなに?」
「絹糸と髪の毛をな、手のひらで挟んでこう、手を擦り合わせるようにして糸と髪の毛を捻じるんだ」
お爺さんの手の動きを真似ると「そうそう」と言いながら、にこっと笑ってくれた。
欲朝、由岐は髪を梳いて抜けたものをティッシュに包んでノートに挟んでおいた。
一人で竹林に入っていって、白い笹を探して何日も歩き回った。竹の葉っぱで切り傷もたくさんついた。婆ちゃんがケガの手当てをしてくれたが、何も言われることはなかった。
歩いて歩いて、お腹が空いて、由岐は婆ちゃんが作ってくれる食事を平らげるようになった。婆ちゃんは喜んで毎日ごちそうを食卓に並べた。
「……あった」
白い笹を見つけたとき、由岐はお腹の底から湧いて来た喜びに「やったー!」と叫んでいた。
持ってきていた鉈で笹を切り、急いで帰った。幾晩もかけて縒りをかけた白黒の糸をくくりつけて、家を駆けだす。
「釣り竿ができました!」
お爺さんの家の戸をどんどん叩いてみたが、返事がない。どこかへ出かけているのだろうかと思ったが、家の奥に電灯がついているように見える。由岐は戸に手を掛けてみた。鍵はかかっていなくて、がたがたと音を立てて開いた。
「お爺さん!?」
土間のかまどの前にお爺さんが倒れていた。あわてて駆け寄って肩を揺する。
「どうしたんですか! 大丈夫ですか!?」
返事はないし、目も開けない。由岐は婆ちゃんを探しに駆け出した。
「ばあちゃん!」
畑でばあちゃんを見つけて、お爺さんの家へ急いだ。おじいさんは息をしていなくて脈もない。
「死んでおらすなあ」
婆ちゃんが両手を合わせる。
「婆ちゃん、救急車呼ばないの」
「風祭りの間は、橋のあちら側に行ったらいけん。それは死人も同じだ」
「でも……」
「爺さんも、その覚悟はあったさあ」
婆ちゃんが村の人に声をかけて周った。男の人たちが、ヒノキの大きな樽にたくさんの杉の葉と一緒にお爺さんの遺体を入れて、竹林に運んだ。
「ああやって風祭りが終わるまで待ってもらうんさ」
竹林にぽつりと置かれた樽は寂しそうなのに、なぜか満足しているようにも見えた。
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