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「………莉緒」 紫雨は口を開いた。 林は紫雨と、莉緒と呼ばれた看護師を見比べた。 看護学校。 看護師。 そうか。彼女は、紫雨の妹は、この特別養護老人ホームに常駐する看護師になったのだ。 「………今更、何をしに来たんですか?」 莉緒は紫雨をきっと睨み上げた。 ポニーテールに結わえた髪が軽く左右に揺れる。その髪の色も、紫雨と同じだった。 「ーーーーー」 紫雨は黙って莉緒を見下ろした後、彼女が押してきた車イスの女を見下ろした。 女はまばらに生えた髪の毛をやっとのことで後ろに一本に結んでいた。 意味もなく、紫雨を見つめ、ヘラヘラ笑っている。 その口から唾液が垂れ、それに気づいた莉緒が慌てて首に掛けたスタイでそれを拭ってあげた。 紫雨はツカツカと莉緒とその女に近づくと、その“鶏ガラ”のように痩せた膝の上に紙袋を落とした。 「———なんですか、それは」 莉緒が紫雨を睨み上げる。 「見舞い金」 紫雨が女を見下ろしたまま言う。 「結構です。それを持ってお引き取りください」 莉緒が唇を震わせる。 「見舞金はいらねぇか?」 紫雨が口の端を引き上げながら笑う。 「じゃあ、葬式代に回せよ」 「————っ!」 莉緒が紙袋をぶんどると、それを紫雨の足元に向けて投げつけた。 それと同時に女がかけていたひざ掛けがひらりと床に落ちる。 「あんたからなんて、一銭も要らない!帰って!!」 老人ホームに莉緒の叫び声が響き渡る。 「—————」 林は掌を握った。 紫雨が普段、自分から進んで悪役(ヒール)になろうとする理由がわかるような気がした。 ーーー悪の元凶はもう何も覚えていない。 ーーー紫雨に守られた妹は、何もわかっていない。 ただ一人真実を知っている紫雨だけがーーー。 何も悪くない紫雨だけがーーー、今、悪役(ヒール)を、演じ切ろうとしている。 「—————」 林は奥歯を食いしばりながら、床に落ちたピンク色の桜の柄が印字されたひざ掛けを拾った。 「———紫雨さん」 それを莉緒と睨み合っている紫雨に渡す。 「これを掛けてあげましょう」 紫雨の視線が莉緒から林に戻る。 「———これを掛けてあげて、帰りましょう」 その薄く涙が溜まった金色の瞳を見て、林の目からはまた涙が溢れてきた。 「“くたばれ、クソババア”って言ってやりましょう……!」 「———何ですって?!」 莉緒が睨み上げる。 悪役(ヒール)はなにも、一人じゃなくていいはずだ。 林は紫雨を見て微笑んだ。
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