#01

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 野田はベッドを離れて紅茶を淹れた。少し冷めるまでの間、自分のスマートフォンの通知を見る。いくつかのメッセージは送信者の名前だけ見て後回しにして、勤務先からの連絡だけチェックする。やっぱり新規のプロジェクトは一通り延期か。一体これがいつまで続くのだろう。部屋の反対側でまだ熱い紅茶を啜りながら、デスクの鏡越しにベッドの上の様子を伺う。人形はさっき取らせたポーズと表情のまま。性器を露わにされられたまま。身体の中で震え続ける機械などないかのように、身動きひとつしない。外の世界と切り離された部屋の中では、空気洗浄機の動作音と自分が立てる物音だけがする。  今のハルは無機物と化している。その約束事を破ってはならない。気を緩めて人間扱いしてしまわないようにしないと。支配しているつもりが、服従しているようだ。  他の部屋にも宿泊客はいると思うのだが、ロビーにも廊下にも人影はなかった。そもそも駅からの道も人通りがなく、殆どの店が休業していた。まるでSF映画で観た、人類が滅亡し荒廃した世界のような。冷たく乾いた空気を遮断した部屋で、こうして人形遊びに興じている内に本当に世界は終わってしまって、二人だけが残されたような気分になってしまう。そんなはずはないのに。  紅茶を半分飲んだところで、電話が鳴った。勤務先からだ。バスルームで電話を取り、世界はまだ終わってないんだと実感する。しかし状況は良くない。乾いたスポンジのように、ほろほろと崩れていくようだ。いつ終わるかもわからない災禍の中にいるのに、今までと変わらない日常にしがみつこうとしている。無様で滑稽だと自分で自分に呆れてしまう。  部屋に戻り、ツインルームのベッド一つを隔てた場所からハルを眺める。遊び終わってもきちんと片付けてもらえずに放り出されたままの人形。あまりにも完璧に人形になれという命令に屈しているその姿は、美しさと共に畏怖を感じる。ハルはこちらの欲望をいくらでも呑んでくれるが、決して一緒に達してくれるわけではない。こうして人形として、人ではない無機物として扱われていることに悦びを感じているのだ。  残りの紅茶を飲み干して時計を見ると、もうすぐ約束の時間になる。ハルの顔を覗き込むと潤んだ瞳から今にも涙がこぼれそうで、ティッシュで拭いてやる。ちょっと疲れてきたのだろうか。ローターと咥えさせたタイツを引き抜いてやっても、口はぽっかりと開けたまま。自分で閉じることは出来ない。いつもならこの中に挿れられるのに。湿った舌に擦り付ける感覚を思い起こして、少し下半身が疼いた。  耳元で合言葉をささやくと、ハルは深く静かに息を吐きながら身体を伸ばした。まるでかけられていた魔法が解けたかのように。そしてサイドテーブルに置かれたアラームが鳴り、約束の時間が終わった。
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