オープニングアクト

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オープニングアクト

※物語中に登場するSE→SOUND EFECTの略。ライブのオープニングで使用するバンドが多いです。 「渋谷ー渋谷ー」 混雑する山手線の改札を抜けて周りを見渡す。 生まれも育ちも東京だけど渋谷は全く馴染めない。 …目が回る! 私、サクラは『IRONY』というロックバンドでボーカルを担当している。 結成して約2年。 辛うじてレーベルに所属しているが知名度は低い。 自分の思い描くビジョンに近づきたいと日々奮闘中だ。 今日から待ちに待ったTVの収録ライブが開催される。 ダメ元で応募して合格通知を手にした時は『夢か幻かドッキリか!』と、お祭り騒ぎになった。 マップでは目的地まで徒歩10分。 苦手な渋谷+方向音痴 予定通りに迷った挙句…ようやくライブハウスに到着した。 収録ライブは3ヶ月と契約を交わしている。 既に決定しているグループと月1で対バンを続けて数本の番組へ出演するのだ。 IRONYにとっては未知の世界。 番組のプロデューサーに挨拶を済ませてリハーサルの順番待ちをしていると共演者が集まり始めた。 通常のライブは大半が同じジャンルのグループでブッキングされている。 バンド同士でお客さんをシェア出来て参戦したお客さんも1日を楽しめるというのが最大のメリットだ。 こうしたウィンウィンの場を提供するのがライブハウスである。 ところが今回の収録は見事にジャンルが多様でリハーサルからお金を払いたくなるような感動を味わってしまった。 例えば C G D のコードを使って作曲をしなさいと10人に課題を出したらそれはそれは面白いことになる。 私が音楽に魅了された要因の1つだ。 果たしてこの収録でどんな出逢いが待ち受けているのか。 3ヵ月後の私は前進しているのだろうか。 フロアには音源やグッズなどを売る各バンドの華やかな物販スペースが設けられている。 自分の出番以外はここで収録を見学することに決めた。 現在、隣のブースのバンドがリハーサルを行っている。 明らかに格上のオーラを放ちスタッフの数も圧倒的に多い。 そして何よりもメンバー全員が見事な美しさで絵に描いたような神々しいロッカーだ。 IRONYとは奇跡的にジャンルが同じというだけで間違いなく無縁のバンドだろう。 ☆ 時計の針が6時を指すと番組を進行するMCのタレントさんがイベントの始まりを告げた。 通常のライブとは絶対的に違う緊張感がオーディエンスにも伝染しているのかフロアには若干冷たい風が吹いている。 まずはトップバッターじゃなくて良かった。 「これは難しいライブになりそうだ。緊張しちゃうね」 同様に異変を感じているのか隣のブースから例のバンドのメンバーが声を掛けてきた。 「そ、そうですね…」 「初めまして…だよね?僕はRocketsのイク卜と申します」 イケメンは丁寧に名刺を出して自己紹介をしてくれたが不運なことにライブ中は暗い。 おまけに爆音でコミュニケーションが非常に取りづらい。 私ごときの為に申し訳ありません。 「IRONYのサクラです。宜しくお願いします」 おそらく相手には届いていない形式的な自己紹介を済ませると、タイミング良くライブは終了してフロアが明るくなった。 「あれ?随分と巻いて終わったね。少し待ってから話を振れば良かった。よく聞こえなかったんだけどサクラちゃん…?」 「は、はい」 暗闇から一変、煌々と感じる照明の下でイクトに視線を合わせる。 冷酷そうな切れ味の瞳から溢れる罪深きスマイル。 直視は無理でした。 異次元のイケメンに免疫はありません。 「さっき渡した名刺なんだけど名前がイクオになってるんだ。本当はイクトです」 凄まじいニアミスである。 スタッフが大勢いるんだから直してもらえばいいのに。 風貌とは裏腹に意外と親しみやすい人なのかもしれない。 ☆ 遂にIRONYの出番が迫ってきた。 緊張で足が震えているけど待った無し! ライブ中は体の震えが止まらず足に力を入れてバランスを狂わせない様に全神経を使う。 余計なことにスタミナを使い過ぎて何を歌っているのかもわからないまま呆気無くライブは終了した。 初回にして早くも撃沈。 もう情けなくて笑うしかない。 意気消沈したまま売れる筈もない物販席へ戻った。 『反省どころか今すぐに辞めた方がいいよ』 傍から見たら相当おかしな光景だが己との戦いを始める。 「大丈夫…?」 「…っ!?」 我に返って隣を見ると唇を噛み締めたイクトが必死に笑いを堪えていた。 やばっっ! 隣のブースに人がいることをすっかり忘れていたよ。 恥ずかしくて顔から火が出そう。 「お、お恥ずかしい・・」 「納得のいくパフォーマンスが出来なかった?」 「もう、最悪でした」 「うちは4年目だけど未だに俺は緊張してる。いい意味で緊張感は大切じゃない?それが失くなったら面白くないと思う」 「確かに・・私もそう思います」 「サクラちゃんは敬語が楽なタイプ?年齢を聞いてもいいかな?」 「21です。イクトさんは?」 「もうすぐ23になる。同年代だからタメ口で話さない?」 「少しずつ頑張ってみます…」 「さてと、俺もそろそろスタンバイしようかな」 「あの、他のメンバーさんは?」 「彼らは外で接待中です。じゃ、また後で!」 イクトが楽屋へ消えると間もなく大勢のお客さんが流れこんで来てフロアは混雑を始めた。 人が疎らだったライブハウスは瞬く間に満員になり180℃違う空間に変貌している。 SEが流れてメンバーが登場すると、けたたましい歓声で物販席から見えていたステージは何も見えなくなってしまった。 胸の高鳴りを抑え切れない私は椅子に立ち上がり背伸びをしてステージを眺める。 すっかり聞くのを忘れていたがイクトはドラマーでスティックを振り上げながら極上のスマイルで登場した。 ギターの深い音が始まりを告げると曲目を察知したお客さんのボルテージが一気に加速する。 ♪♪♪♪〜♪♪〜♪♪〜 感じたことの無い一体感で全身に鳥肌が立った。 初めて心が躍るモンスターバンドに出会ったかもしれない。 自分のライブは不甲斐なく終わってしまったけど今ここにいることは最大の収穫だ。 ☆ それからというもの周囲から『兄妹みたい』と冷やかされる程にイクトは私のことを可愛がってくれた。 本当の兄の様な…心から尊敬する偉大な人だ。 Rocketsに出逢えたことはIRONYにとって大きな財産。 あらゆる視点で彼らに刺激をもらってIRONYもいつかはモンスターと呼ばれるバンドに成長したい。 と 勝手に物語をエンディングへ進めようとしているが これから壊れてしまう程に狂おしく切ない恋の波乱が私を待ち受けていた。
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