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第一章
一年A組の教室の一番後ろの席、その机の上に座ると、私は黒板に黙々と教科書の内容を書く担任と、それから泣きじゃくるクラスメイトの姿を見下ろしていた。
「きったないなぁ」
私の声に顔を上げる原田の顔面に、ビリビリと破いた教科書の紙吹雪をかける。涙と鼻水でグチャグチャになった顔に紙吹雪が張り付いたのを見て、私は喉を鳴らして笑った。
「中学生にもなって泣くなっての。でもいいじゃん、お前の顔よりそっちの方が綺麗だよ。なあ?」
隣の席で引きつった笑いを浮かべる岡野に話しかけると「そ、うかな」なんて曖昧な答えを言うから、私はそちらに身体を向けて岡野の机を蹴飛ばした。ガツンという音とともに机は岡野のさらに隣の席にぶつかる。ひっくり返るかと思ったのに、残念。
「ひっ」
「そうかなって何? 綺麗じゃないってこと?」
「そ、そういう訳じゃ」
「じゃあどうやったら綺麗かお前がやれよ」
「え?」
言われた意味がわからないとでも言うかのような表情を岡野は浮かべる。だから私はニッコリと笑いかけると机の上から飛び降りた。ツカツカと原田の机に向かうと中から数学の教科書を取りだした。ああ、あと糊もあった方がいいかな。担任の机の上にあった液体糊を借りると蓋を開けて岡野に手渡した。
「はい、これ」
「な、ど、どういうこと?」
「わからないの? 別に私があんたにやってもいいんだけどどうする?」
これ以上説明するのも面倒くさい。それなら何が綺麗なのか自分の顔でやってもらうのも楽しいかもしれない。そんなことを考えたけれど、岡野は慌てて私の手から糊をひったくると原田の頭上から蓋を開けたままのそれを逆さにした。液体糊は時間はかかったけれど原田の頭から顔にかけて垂れていく。
「ほら、これも。見せてよ、どういうのが綺麗か」
岡野は震える手で私から数学の教科書を受け取ると、ビリビリと破り始めた。1ページずつ破られていくそれはなかなか破り終わらない。せっかくかけた液体糊も乾いてしまいそうだ。
「……ねえ、まだかかるの」
「あ、ま、待って。もうすぐ」
岡野の言葉を遮るようにチャイムが鳴り響いた。四時間目の授業が終わり、形だけの号令がかかる。そのすきに原田は教室を飛び出していった。
「遅いよ、あんた」
「ご、めんなさ」
むかつく。むかつく。むかつく。
もう一度、岡野の机を蹴飛ばすと横にかけてあった鞄が床に転がるのが見えた。私はそれを拾うと教室を出て行く。岡野は泣きそうな声を上げながら私の後ろをついてきていた。
「ね、ねえ。それ、私の鞄……」
「だから?」
「え、あの、だから」
「何? 言いたいことがあるならさっさと言いなよ。私、今機嫌悪いんだよね」
「だ、だから鞄……」
「鞄? ああ、これのこと?」
手に持った鞄を掲げると、岡野は慌てて頷いた。その態度が妙にイラッとする。私は窓を開けると岡野の鞄を持った右手を外に出した。
「や、め」
「取ってこいよ」
思いっきり振りかぶると、窓の外に鞄を放り投げた。鞄は放物線を描き、そして――裏庭にある池の中へと落ちた。鞄を視線で追いかけていた岡野は絶望を貼り付けたような表情でそれを見送っていた。ああ、その顔。心の中がスッとする。
「あんた……!」
「何? 言いたいことでもあるの? それよりさっさと取りに行かないとあんたの昼ご飯、沈んじゃうよ?」
「あっ」
鞄の中に弁当を入れていたことを思い出したのか、岡野は慌てて階段を駆け下りると裏庭へと向かう。その姿があまりにもおかしくて笑っているといつの間にか集まっていた他のクラスの奴らがこちらを見ていることに気づいた。
「何?」
苛立ちを込めて言うと、そさくさと立ち去る。そんな奴らに舌打ちをする。
そうこうしているうちに岡野が裏庭にたどり着いたようで、窓の下にその姿が見えた。木の棒で必死に川の真ん中に浮かぶ鞄を突こうとするけれど上手くいかないようだ。どう考えても届かない位置にあるのに馬鹿な奴だ。ケタケタと笑い飛ばしたあと、気分がよかったので私はアドバイスしてやることにした。
「岡野、それ中まで入っていかないと取れないぞ」
私の声に岡野が肩を振るわせたのがわかった。
「ほら、さっさと取りに行けよ」
それでもまだ岡野は動かない。ああ、せっかく気分がよかったのに台無しだ。
「さっさと行け!」
怒鳴りつけた私の声に岡野は、履いていたローファーとハイソックスを脱いで藻と虫だらけの池の中へと足を入れた。けれど恐る恐る入っていく岡野に次第に退屈になってくる。もうすぐ昼休みも半分が終わる。さっさと教室に戻るか。
「あーあ、退屈だ」
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