さようならの前に

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花見をしていた公園から近い渡会のアパートに転がり込むように二人で帰った。お互いを支え合うようにして玄関に縺れ込む。端に置いてあった傘立てを倒した大きな音と自分の肘を床に打ちつけた衝撃で酔いの回った頭が一瞬だけ我に返った。 同じように床に転がった渡会は仰向けのままぼんやりとしていた。その目がゆっくりと動いて津守に向けられた。 自分の渡会への感情が柳井に対するものとは違うことには気づいていた。優しい横顔に、柔らかそうな髪の毛に、節だった長い指に、触れてみたいと思っていた。けれどこれまで女性としか恋人関係になったことのない津守はその欲求を認めることは出来なかった。親しくしている男の友人にセクシャルな意味合いで触ってみたいなどという感情は重くて持っているのが辛くなっていた。 でもこの時は酔っていた。ひどく酔っていたので渡会に手を伸ばした。赤みが差す頬に手の甲で触れると熱かった。津守の手も熱かっただろうに、渡会は気持ちよさそうに目を細めた。今度は手のひらで触れた。懐いた猫のように頬を寄せる渡会は笑っていた。 引き寄せてキスをして、そこからは目も眩むほど荒々しかった。蹴飛ばすように靴を脱いでキスをしながら部屋に入った。二人とも女性相手ですらそんなに経験がなかったので大変だった。それでも相手の身体中に触れて抱き合った。 あの衝動はすっかり薄れている。あの時の熱はもう冷めてしまっている。いつからか渡会の津守への態度は冷ややかになってしまった。それでも電話を掛ければ出るし、彼からも掛かってくる。終わらせたいのだろうかという恐怖心と、まだ繋ぎ止めて置けるという安堵感が忙しなく現れては消える。こんな臆病な津守を、渡会はきっと知らない。 携帯電話を持ち直してもう一度掛ける。5コール鳴らしても出なかったので切って、もう一度掛けた。渡会が出るまで掛け続けるつもりだった。四度目の電話でコール音が途切れた。 『…どうした』 電話越しの声はざらついていた。 「…そっち行っていい?」 要件を言わないのはいつものことだった。電話を掛けて出ただけで要件はわかる。もちろん渡会もわかっていて、黙り込んだ。少しの沈黙の後小さな声が言った。 『…困る』
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