昭和二〇年三月

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昭和二〇年三月

     一  二二時三〇分、警戒警報が発令された。房総海岸上を旋回する敵味方不明機を発見したとのことだった。  飛行機は一時間以上飛んだあと、沖合へと姿を消したという。警報は解除され、町の人々も眠りに就いていった。  が、親父はなかなか眠ろうとしなかった。寝ろと言われないので、俺もぐらつく頭を障子戸の骨に寄りかけて起きていた。  二四時を回ろうとしていた。  暗闇の中、お袋と妹達の寝顔を見つめ続けていた親父が、ああ……と喉を開いて立ち上がった。  俺はゆっくりと縁側に出た。  ぬるい風の激しく吹き荒れる中、聞いたこともない轟音の重なりを聞いた。  春の初めの夜空は敵機影で埋め尽くされていた。  南西から北東へ、数え切れないほどのB29が横切っていく。  気づけば俺の両肩に、油の臭いのする分厚い手が乗っていた。  ――(かい)。逃げるぞ。気合い入れろ。  あいつらの目標はまず東京だろう。風も強い、これから東京は大火事になる。女子供も大勢死ぬ。  ここにも必ず爆弾が落ちると思え。そういうつもりがあるかどうかはともかく、あの数で、全部人間のやることだからな。落ちると思っとけ。  聞いたな。 「ああ」  よし。  じゃあ、これから何聞いても何見ても、絶対に正気でいろよ。  落ち着いて、逃げるんだ。神社の防空壕まで。  ちゃんと俺について来い。もし俺に何かあったら、お前が母ちゃんと妹達を連れて行け。  行くぞ。
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