〜第一部〜 時は遡ること数分前

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〜第一部〜 時は遡ること数分前

    ✾  古正雪江(ふるまさゆきえ)はもともと、こういうシュチュエーションが非常に苦手だった。  みんなで集まってともに夜を過ごす。つまりは修学旅行やお泊り会といった催し事だ。雪江は特段問題があるからそのような状況を忌み嫌っているわけではない。  単純に一人で過ごす時間と、みんなで過ごす時間。それを使い分け、メリハリのある生活を送りたいと思っているだけなのである。雪江はどちらかというと周りに気を使いすぎてしまう性格なので、疲れてしまうのも一因なのかもしれない。  とはいえ、この状況は――。雪江は顔を顰める。 『五十年に一度の規模で日本列島を襲う台風十五号は現在関東地方をゆっくりとしたペースで北上中で、暴風・高潮などの被害が広がっています。現場には〇〇アナウンサーが行っています。〇〇さーん……』  ニュースキャスターがそこまで云うと、すぐに画面が切り替わった。  体育館に備え付けられた小さなテレビには、暴風に吹き飛ばされそうになりながら懸命に何かを叫んでいる小柄な男性アナウンサーの姿が映し出される。  ――大変そうだな、雪江は他人事のようにそう思う。 「風、すっごい。あたしこんなの生まれて初めてかも。パパとママ、どうしているのかな……」  雪江の隣にちょこんと体育座り腰かけた立花(たちばな)小百合(さゆり)が独り言のようにそう呟いた。雪江は悟られないように小さくため息をつく。小百合は父親と母親、その二人に存分に愛情を与えられて育てられたのだろう。会話の中にたびたび〝パパ〟や〝ママ〟が登場する。  一方、雪江は孤児だ。物心付いたときにはもうすでに義母に家事を覚えさせられていた。まるで召使いのようだ――、と雪江はよく思う。実際、家人の認識はそうなのだろう。  だからといって、小百合を妬んでいるわけではないけれど、繰り返しその話をされるのはあまり愉快な話ではない。  雪江が黙りこくってしまったのを横目に、小百合は少し不安そうに目を伏せる。 「大丈夫、だよね。台風の中心は奥多摩の方を通るようだからさ。この学校もお家も吹き飛ばされたりしないよね……」  小百合は自分にそう言い聞かせるようにそう云う。 「そうですね、わたしもそう思います。それに、この校舎は最新の防災設備が備わっていますし、この程度の暴風ならばびくともしないでしょう」  雪江は沈黙に耐えかねて、口を開いた。他愛無い言葉で会話をつなぐのは得意分野だ。  そして口角を上げ、柔和な笑みを浮かべる。 「きっと小百合さんの家も大丈夫ですよ。気象庁が云う〇〇年に一度の災害なんて毎年来ているじゃないですか」  雪江が気休めの言葉を吐くと、たいていの者は表情を明るくする。 「わあ‼ やっぱり? そうだよねえ。気象庁の予報はデタラメばっかだよ。この調子じゃあ十年に一度も五十年に一度もあったもんじゃない」 「でもあんまりそういうこと云ったらだめですよ。日本にはそこに勤めて生活をしている人もいるのですから。別にその人が手を抜いているわけでじゃないのに、そんなことを云われたら悲しくってしまうでしょう?」  叱るときも諭す時も、表情と声を柔和なままにするのを忘れない。これでも雪江は二年一組を受け持つクラス委員長なのだ。この役職を務めるには人望は欠かせない。基礎をしっかりと築き上げてきた雪江だからこそ、二組のようにいじめの蔓延などという壊滅的な事態にならずに済んでいる。 「はあい、委員長。あ、あたし少しトイレ行ってくるね」  小百合はふと思い立ったように立ち上がり、出口の方にさっさと歩いて行ってしまった。  いちいち云わなくてもいいのに、雪江は心の中で苦笑する。  今日は日曜日だ。  そうだというのに、なぜ雪江や小百合が学校に来、よりにもよって閉じ込められたりしてしまったのかというと、答えは単純。  この学校は現在、文化祭を一週間後に控えている。雪江たちはその準備のためにやってきたものの、突如としてその進路を変更した台風十五号の直撃を受けてしまったのだ。  台風が進路を変更したという知らせが入り、当然教師たちは帰宅の指示を与えたが遠方から通う生徒にとっては土台無理な話だ。雪江を含む数名は安全のため、今日一日は学校に泊まり込むこととなった。 「ふう……」  憂鬱から自然とまたため息が漏れる。気が付くと目の前の床に人型の影ができていた。次の瞬間には誰かに後ろから思い切り抱き着かれた。 「また独りで孤高を気取ろうとしてるな、雪江‼ 寂しそうにため息つくならボクとおしゃべりでもするか⁉」  組み付かれたまま脳が揺れるほど力強く前後に揺さぶられる。こんなことをするのは一人しか思いつかない。 「また君ですか董子(すみれこ)さん。そろそろその〝ボク〟という一人称は直した方が良いのではないですか? それにその少し強引な性格も――」  雪江がそう返すと武藤(むとう)董子はムスッとした様子で頬を膨らませ、 「いいじゃねえか、五歳からの付き合いだろ? そろそろ慣れても」 「それはもちろん、わたしと二人っきりの場ならなば全く問題ないですよ。しかしここはそうではないのですから」  学園の中では、雪江は董子に対してもあくまでクラス委員長としての顔で接するようにしている。誰に対しても公平に、常にフェアな行動を心がける、というのが雪江の最も大切にしているモットーだ。 「ったく、相変わらずまじめな委員長ですねえ」  董子は「ちっ」と舌を鳴らしてから雪江の隣に無造作に胡坐を組んで座り込んだ。  雪江は別に董子が苦手なわけではない。語調に少々の問題があるが、一組の中では一番接しやすい人物と云えるだろう。その点、董子には毎回助けられてはいるのだが……。 「そういやさ、涼がどこに行ったか、知らね?」 「涼さん、ですか?」  雪江は眉を顰めた。緋衣(ひごろも)涼は正直あまり関わり合いになりたくない人物だ。彼女は裏で薬をやっているとか、マズい職業に手を出しているとか、そんな噂が絶えない。  しかし、特段いじめられたりしているわけでもなく、彼女はいつも鼻白んだような笑みを浮かべている。  雪江はその表情がとても苦手だった。 「知らないですね、トイレにでも行っているのではないですか?」  雪江がそう云うと、董子は少したじろいだ。云い方がつっけんどんになってしまったか。――と思い、すぐにいつもの笑みを取り繕う。 「彼女は……、なんというか奔放な性格ですから、散歩でもしているんでしょう」 「でもさあ、あいつもう一時間くらい体育館から出ているぜ?」  董子はこう見えて優しい。たぶん雪江や小百合、クラスの誰よりも人をおもんぱかることができる人間だ。だからこそ、それが例えあの涼であっても心配になってしまうのだろう。 「大丈夫ですよ。彼女は趣味でムエタイとテコンドー、空手もやっていたんでしょう?」  雪江は云い聞かせるような語調で云う。 「そんなの悪質な噂だよ‼」    董子が語気を強めて否定したその時だった、校舎の方から誰かが叫ぶ声が聞こえた。 「葵?」  董子は茫然といった様子で首をかしげている。 「ただ事じゃない声ですね。董子さんは先生を呼んで。わたしは先に校舎に向かいますから」  雪江が指示を出すと、董子は「わかった」とだけ答え、体育館の隅で眠りこけている海棠(かいどう)先生のもとに駆けて行く。  時刻は十八時五十二分。
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