ありふれた朝

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 朝起きて、台所にむかうと父が料理を作っていた。 「ああ、おはよう、お母さんにエリ」  父は、フライパンの中を菜バシでかき混ぜながらにっこりと笑う。  テレビからは、いつもの通り天気予報が流れている。『……では、午後から雨となるでしょう』。 「あ、今日も、ちょ、朝食を作ってくれてるの。こ、これで三日連続ね」  ひきつったお母さんの顔を見て、父は苦笑した。 「べつに、そう珍しいことでもないだろ? 今は男でも料理をするのが普通だとテレビで言ってた」  そういうと、父はフライパンの中にどさどさとコショウを振りかけた。 「はいどうぞ」  コショウで半分茶色になったスクランブルエッグの皿が、私とお母さんの席に置かれた。  とてもじゃないが、席につく気にはなれない。 「あり、がと」  私はなんとかお礼を言った。  父の席に皿はない。どうやら、自分は朝食を食べずに仕事にいくつもりのようだ。 「それから、今日は少し遅くなるから」  そういって、父は壁の方へ目をやった。白い化粧板に、拳大の穴が空いている。 「ホームセンターに寄って、あいつをふさぐ何かを買ってくるよ」  慌ただしく父は隅にあったゴミ袋を持ち上げた。半透明のごみ袋には、お酒の缶がたくさん入っていた。アルコール度が高く、味はともかく手軽に酔えるという奴だ。持ち上げたとき重たそうな音がしたから、中見はまだ入っているのだろう。 「それ、お父さん大好きだったじゃない」 「でも、お酒を飲みすぎると体に毒だからね」  父は、そっと手を伸ばし、お母さんの頬をなでだ。  母さんは、ビクッと体をすくませた。 「それから、薬も買ってきてあげないとな」  母さんの頬には、青いあざができている。 「エリ、お前の部屋のゴミもあったら捨ててきてやろうか」 「いや、いい!!」  不自然なほど大きな声で否定をしてしまった。 「大丈夫、じ、自分で捨てるから」  取り繕うように私は笑顔を浮かべた。  冗談じゃない。私の部屋のビニール袋には、人に見せられないものが入っているのだ。返り血のついた服と、包丁と。 「ふうん、そうか?」  幸い、父は不審には思わなかったようだ。 「じゃあ、母さんはパート、エミは高校がんばって」  台所の隅で身を寄せ合っている私たちに微笑みかける。  父は私達に背を向け、廊下へむかった。トレーナーの腰の辺りに、褐色の細長い穴が開いていた。そこから皮膚に貼りつく大きなかさぶたがのぞいている。穴の周囲の布地には、血もべっとりとシミを作っている。  父の姿が見えなくなると、私と母は床に座り込んだ。緊張して押し殺していた息が漏れる。  テレビの音が大きく聞こえる。 『××市で玉突き事故があり……』 「ねえ、お母さん。私、あいつ殺したよね」  私の記憶が確かなら、それは間違いないはずだ。  あいつは酒乱で、酔うと壁に穴を開け、痕が残るまで母を殴り、私の髪を引っ張って引きずり回すような男だった。  だから、殺した。  壁に母を押し付け、殴りつける父の背に包丁を突き立てたのは、三日前のことだ。死体なんてすぐに処分できるわけは無い。仕方なく母さんと一緒に死体を隠した。  捨てたらすぐに足がつきそうな服や包丁は、ゴミ袋に入れてしまいこんでいる。後で服を切り刻んで、包丁は磨いて捨てるつもりだった。  そして、一晩経ったら父が居たのだ。いつものように。そして、それからずっと家で暮らしている。 『不思議な光が、SNS上で話題になっています』  アナウンサーの声がうつろな部屋に響く。 『○○市で、謎の光飛行隊が目撃されました。SNS上では『UFO?』『流れ星?』などと意見が出ています』  出てきた地名はまさしくこの辺のものだった。 「どうしよう、あいつ、どう考えても人間じゃないよね」  私の声は情けなく震えていた。 「うん。あのとき、お父さんは間違いなく死んだもの。ちゃんと二人で確認したじゃない」 「じゃあ、あいつは一体何なわけ? 霊でもとりついた? それとも、宇宙人でも寄生したっていうの?」 「私に分かるわけないじゃない!」  つい怒鳴ってしまったのだろう、お母さんは「ごめん」と謝ってきた。 「うん、大丈夫。でもどうしよう、お母さん」 「どうしようって言ったって……仕方ないでしょ」  母さんは寒さを感じているように自分の両肩をこすった。 「仮に原因が分かったとして、あなたは本物のお父さんに戻ってきて欲しい?」  私の答えにためらいはなかった。 「戻って欲しくない! あたりまえじゃん!」  また腹を殴られるのも、髪を引っ張られるのも、もういやだ。母さんが泣くのを見るのもたくさんだ。 「いいじゃないの、正体がなんだって。私たちを殴ったりしないで、お金を稼いできてくれるんだから」 「う、うん」  母さんは、テーブルの上のスクランブルエッグを見つめた。ちょっと焦げた部分があって、一生懸命つくった感じがすごいする。 「あの人は、私に料理なんて作ってくれたことも、ケガを心配してくれたことなんてなかったわ。あの野獣みたいな奴よりよっぽど人間らしいわよ」  そこで、母さんは少し微笑みを浮かべた。  正体が分からない以上、こっちとしては警戒しないといけない。いざとなったら、また『父さん』を殺さないといけなくなるかも。  でも、その心配は内容に思えた。あの『父さん』は、私達に受け入れられようと努力しているように見える。大事なのは、気持ち(そこ)だ。相手がなんであろうとも。人間関係って、そんなものでしょ?
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