「第四章 死人占い師」

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アストラエアのもとに報告に来てから2日後の朝、魔女集会に集まった面々の空気は張りつめたものになっていた。 エルザは自分の座席に座ったまま、アストラエアの方をじっと睨んでいた。 魔女集会の長は瞑想するように目を閉じていたが、おもむろに立ち上がると、集会の始まりを告げた。 「まだ全員揃ってはいないけど、始めましょう。まずは、エルザ、あなたがセントオリーンズ近郊で体験したことを皆に報告してくれる?」 立ち上がったエルザに魔女たちの視線が集まった。 前回と同様に、『結晶のシーレ』、『深淵のヴェルヌ』の席に加え、『紅のロザリィ』、『竜狩りのエオウィン』の席が空席となっていた。 エルザは呼吸を整えるように小さく息を吐くと、セントオリーンズの被害や、亡者の群れとの遭遇、そして、『墓守りのミラルダ』の棺を発見したことを話した。 「以上の状況から推測される事柄は二つ。一つは渡り烏が魔女の遺体を蘇生させる能力を持っていること。そして、もう一つは、渡り烏は蘇生した魔女の遺体を統率できるということです。」 エルザの口から出た推論に、多くの魔女が顔をひそめた。 「ミラルダが復活した可能性が高いのはさておき、渡り烏が霊廟の遺体を全て蘇生させたというのは早計すぎないか?ロザリィが確認に向かっているのなら、その結果が分かってから結論づけても遅くはないだろう。」 頬杖をつきながら『白銀のフェルミ』が声を上げた。短い期間の緊急集会とあって、多くの魔女が不満そうな表情をしていた。 「私もフェルミと同意見です。魔女の遺体を蘇生させる魔法など、聞いたことがありません。」 心配そうに手を擦り合わせながら、『糸紡ぎのケリー』も呟いた。 何人かの魔女が同調するように頷いた。 「確かに、エルザとロザリィの推測には飛躍があるわ。だけど、もし万が一それが当たっていれば、最悪の事態だと言えるわね。」 『深い森のエルマ』は、エルザとロザリィの考えを支持しているようだった。 それを聞いて、腕を組んだまま、『石切のミレーヌ』が発言した。 「だが、それは蘇生した遺体に魔女の魂が宿っていればの話だろう。魔女の魂は、器である肉体が機能を停止したときに消滅すると言われている。魔法が使えないのであれば、もとは魔女の遺体だったとしても、亡者とは大して変わらないもののはずだ。さほどの脅威とは言えない。」 ミレーヌの発言を受けて、エルザはアストラエアの方を見た。アストラエアは顔色一つ変えていなかったが、私は2日前のエルザとアストラエアの会話を思い出していた。 「死んだ魔女の魂を保管…!?」 呆然と繰り返すエルザを尻目に、アストラエアはうなずいた。 「そうよ。私はこれまでに死んだ魔女の肉体から離れた魂を、保存しているの。だから、霊廟の魔女たちが復活した可能性をあなたたちから知らされたとき、私は真っ先に保管庫を確認したわ。」 アストラエアは身体ごとエルザの方へ向き直った。 「霊廟に眠る魔女たちの魂は、変わらず保管庫の中にあった。つまり、ロザリィが遭遇した渡り烏たちは本質的には魔女の力を保有するわけではないと、私は考えているの。」 エルザはアストラエアを睨み付けながら、ゆっくり後ずさりを始めた。 「アストラエア、その目的は何ですか?何故、そのような大事なことを今まで隠していたのです?」 アストラエアはわずかに目を伏せた。 「もちろん、魔女の魂が悪用されるのを防ぐためよ。あなたも知っているとおり、魔女の力は継承される肉体の魂と結び付くことで、初めて魔法を発動できる状態になるわ。今までに一人の魔女が複数のの力を継承したという実例はない。だけど、もし魔女の力が保存可能なものと知られれば、必ずそれを求める者が現れる。だから、私も、私の前任者である魔女も…この事実を秘匿してきたのよ。」 エルザは私の座るソファまで後ずさると、素早く立て掛けてあったを杖を手に取り、アストラエアに向けた。 「あなたの言うことが真実だとして、それを私に打ち明けた理由はなんですか?あなたは魔女の力が悪用されるのを防ぐためだと言ったが、私からみれば、あなたが魔女の力を独占しているとしか思えない。」 エルザが構える杖の先は震え、部屋の中の空気からビリビリと振動が伝わってくるようだった。 アストラエアは悲しげに顔を伏せたままだった。 「確かに、私はこの事実を秘匿することで、同胞たちを裏切ってきたのかもしれない。もし、魔女の力を再分配する方法を見つけていれば、かつての魔女狩りで、魔女たちがただ一方的に虐殺されるのを防ぐことができたのかもしれない。だけど…」 魔女集会の長はエルザに近づくと、杖の先に触れた。 「大きすぎる力は、新たな争いの火種を生むだけよ。私たち魔女の役割は、"凶竜"たちの脅威から人類を救った時点で終わっている。継承以外の儀式では、魔女の力はこの世に残るべきものではないのよ。」 「だとしたら、」 エルザは杖をアストラエアに向けたままだった。 「私たちが、魔女の力を受け継いだ意味はあったのですか?魔女の力が争いしか生まないのなら、何故私たちはまだこうして生きているのです?」 エルザの目は怒りに燃えていた。 アストラエアは杖の先に手を触れたまま、子どもに言い聞かせるようにゆっくりとした口調で告げた。 「意味はあるわ。あなたのお母様はこの世に残された魔女の魂を、来るべきときのために保管していた。私はただ、その仕事を引き継いだだけなのよ。」 それを聞いて、エルザは目を大きく開いた。 「今、なんて…」 「エリーゼは世界を照らし続けるために魔女の魂が必要だと言っていた。私は彼女の意思を引き継いだにすぎない。いずれこの仕事をあなたに引き継ぐときにその言葉の真実をあなたに教えるわ。」 アストラエアはそっと杖の先から手を離した。 「今は、魔女の完全な蘇生は不可能だということだけ認識しておいてほしいの。二日後に、臨時の緊急集会を開くわ。あなたはそこで、セントオリーンズでの出来事を皆に報告して頂戴。」 エルザの言葉で、私は追憶から引きずり戻された。 「ロザリィは複数の渡り烏と思われる相手と交戦し、手傷を負っていました。彼女の戦闘能力を考慮すると、相手がただの亡者だったとは考えられません。」 それを聞いて、『清流のレイン』が即座に反応した。 「でも、同時に、ロザリィが複数を相手に一人で持ちこたえたということは、その複数の渡り烏と思われる相手が魔女の力を持っているとも考えにくいわね。もし、霊廟に収まっている魔女が、生前と同じ力を発揮したとしたら、ロザリィは即座に無力化されていたはずよ。」 「どうにも事実がはっきりしないわね。アストラエア、あなたはなぜ情報が不確かな状態で、私たちを集めたの?」 『癒しのマリア』はアストラエアの方を見ながら、眉をひそめた。 アストラエアは両手を膝に添えたまま、落ち着いた声で発言した。 「情報が不明瞭な点についてはごめんなさい。でも、今回は皆に直接警告をしたくて集まってもらったの。」 アストラエアは立ち上がると、深紅の瞳で一人一人の魔女を見据えていった。彼女の視線が通りすぎたとき、私は以前に『千里眼』に見つめられたときに感じた息苦しさを思い出した。 「渡り烏は今まで人間の住む村を襲ってきた。その動機はおそらく、魔女の遺体を蘇生するための材料を集めるためだったと思うわ。」 エルザを含め、多くの魔女が顔に疑問を浮かべていた。 「アストラエア、その材料というのは何なの?」 エルマの質問に答えたのはフェルミだった。 「"魂(ソウル)"だな。渡り烏はただ人間を殺していたわけじゃなかったのか。」 アストラエアは静かに頷いた。 「かつてミラルダがあるおぞましい実験をしたことがあったわ。彼女は人間から抜き取った魂を魔女の遺体に恣意させ、蘇生させようとしていた。結果は失敗に終わったけど、その過程で予想外のことが起きた。魔女の遺体に人間の魂を取り込んだとき、魔女の遺体が全く別のものに"変質"したの。私はその事実を知ったときに、ミラルダを討伐することを決めたわ。」 耳慣れない言葉の組み合わせに私の想像力は追い付かなかったが、それは他の魔女たちも同じようだった。 「アストラエア、魔女の遺体はどのように変化したのですか?」 エルザの質問にアストラエアは小さくため息をついた。 「それはね…」 その時だった。 会場である書庫の中に、高い音が鳴り響いた。 魔女たちが周囲を確認するなか、私は足元に拳大の黒い球体が転がってくるのを見つけた。 私は思わずその物体に手をのばしかけたが、耳のすぐそばでエルザの叫ぶ声が聞こえた。 「伏せろ!!」 次の瞬間、頭を金槌で打ち付けられたような衝撃と同時に、視界が真っ白に変わった。 私は上下もわからない感覚の中で、はるか遠くから響いてくる魔女たちの怒号を聞いていた。 「全員構えろ!敵が来るぞ!!」 私の上に被さっていたエルザが身体を起こした。エルザが私に何か叫んでいるようだが、私の耳はまともに機能していなかった。 私は脳が揺れたまま曖昧に首を縦に振るばかりだったが、エルザの肩越しに、頭上の巨体な天窓から複数の影が落下してくるのを見た。 エルザは私を抱き抱えると、大きく横に飛んだ。 わずかな空白の時間の後、床に身体を打ち付ける衝撃を感じた。私は肺から絞り出された空気を求めて、大きくあえいだ。 次第に戻ってきた聴覚の中で、空気を切り裂くような連続音が響き、私は恐怖で身体が痺れるのを感じた。 エルザは私の身体を近くの書棚の隙間に押し込むと、見たことのない厳しい表情で私に言いつけた。 「隠れていろ。絶対にここを動くなよ。」 そう言うと、背後に降り立った黒衣の影と向き合った。 「ようやく出会えたな、悪党め。」 エルザは低く呟くと、右手に呪術の種火を起こした。 エルザの前に立つ黒衣の襲撃者は、静かに刃を構えた。 エルザは無警告に呪術の炎を放った。 扇状に広がる炎の噴流に、襲撃者は逃げることも出来ず、たちまち飲み込まれた。が、 「!?」 歪な形をした黒い剣の切っ先が、炎の壁を突き破ってエルザに突進してきた。エルザはギリギリのところで、杖を振り上げると、刃の切っ先をはねあげてかわし、大きく後退した。 襲撃者の黒衣には炎が燻っていたが、負傷している様子はなかった。 私の脳裏には、あの地獄の夜の景色が甦ったが、このとき書庫に突入してきた襲撃者の姿は、私の両親を殺した渡り烏のものとは違っていた。 滑らかな光沢を放つ黒衣のマントの下には、黒革の鎧を着こみ、頭には魔女を思わせる大きな傘のような帽子が乗っていた。目深にかぶった帽子の下の顔は部分的にしか見えなかったが、仮面で顔を隠しており、右手には黒く染められた小振りの剣を握っていた。 エルザは再度炎弾を襲撃者に向けて放った。 着弾した炎弾はたちまち黒衣の襲撃者を飲み込んだ。 「なるほど。」 エルザは呟きながら、腰に差している愛用の剣を抜いた。 「どおりで、ロザリィが手こずるわけだ。」 呪術の炎を食らったはずの襲撃者は何事も無かったように立っていた。エルザに向けられた襲撃者の左手の周囲には、黒い霧のようなもやが渦巻き、まるで盾のような障壁を形成していた。 私は目の前の師匠の戦いに目が釘付けになっていたが、天窓から奇襲をかけてきた敵は一体だけではなかった。次々と天窓から降下してくる襲撃者たちは、奇怪な形をした石弓(クロスボウ)から大量の矢を撒き散らしながら、魔女たちへと襲いかかってきた。 そこからは、乱戦だった。 魔法の閃光が書庫の中を照らし、襲撃者の剣と石弓が空気を震わせた。私は書棚の陰からエルザの姿を追うのに必死だった。 エルザはというと、剣で相手の攻撃を受けながら、他の魔女たちに警告していた。 「こいつらの左手は"王の黒い手"だ!魔法が効かない!物理攻撃で対処するしかないぞ!」 「もうやってるわよ!」 深い森のエルマは小型の弓から矢を放ちながら叫び返した。 「くっそ!こいつらなかなかの手練れだぞ!」 白銀のフェルミは石弓の矢を銀色の杖で巧みに弾き返すと、杖を襲撃者に向けて鋭く振るった。明らかに間合いの外にいるはずの襲撃者は、左手の黒い霧の盾でフェルミの攻撃を受けた。フェルミのしこみ杖から伸びる鎖は、一つ一つに刃が備えられており、襲撃者たちを牽制していた。 「ミレーヌとフェルミはケリーとマリアを守って頂戴!エルザとエルマはお互いをカバーして!レインは私の後ろに!」 矢継ぎ早に指示すると、アストラエアも腰に差していた短剣を抜き放った。 魔女たちの陰に隠れていたが、地面にうずくまっている『糸紡ぎのケリー』は負傷しているようだった。 魔女たちは懸命に白兵戦を挑んだが、襲撃者達の方が上手に見えた。嵐のように連射される石弓の牽制と素早い剣戟に、魔女たちは押され、たちまち四方を囲まれてしまった。 襲撃者たちは魔女への包囲をジリジリと狭めていった。 私は思わず書棚の陰から飛び出しそうになったが、エルザの鋭い視線が私をその場に留めさせた。 「アストラエア」 エルザは剣の先を敵に向けたまま、落ち着いた声で呼び掛けた。 「"魔法剣"を使います。まずはこの場を切り抜けなければ。」 「駄目よ、エルザ。」 普段は柔らかい話し方のアストラエアは厳しい声でエルザの申し出を却下した。 「あれは威力が高すぎるわ。私はともかく他の魔女を巻き込みかねない。それに、貴女の身体だって、耐えられるかどうか…」 「なんでも構わんが、この状況をなんとかできるなら早くしてくれ。」 フェルミは負傷した左手を押さえていた。 エルザはアストラエアの制止を振り切ると、一歩前に進み出た。 エルザは両手で剣を掲げると、低い声で詠唱を始めた。エルザの呪文が書庫内の空気を震わせ、私は全身の産毛が逆立つの感じた。ただならぬ気配から、エルザが大規模な魔法を行使しようとしていることがわかった。 襲撃者たちも警戒したのか、左手の黒い霧の盾を一斉に発生させた。 高く掲げられたエルザの剣の周囲に炎が渦巻いた。 赤熱化した剣の熱気に周囲の空気が揺らめき、景色が歪んで見えた。 振り下ろそうとエルザが足に力を込めたそのとき、書庫の中に高い声が響いた。 「止めておきなさい、エルザ。その魔法を使うと、今度こそ、貴女は魂(ソウル)を使いきって消滅してしまうわよ。」 エルザを初め、魔女たちは一斉に書庫の入り口に目を向けた。 私は書棚の隙間から魔女たちの視線の先を追った。 書庫の寄木張りの床をコツコツと鳴らしながら、一人の少女がゆっくりと近づいてきていた。 「これはどういうことかしら?」 アストラエアは新たな侵入者を深紅の瞳で睨み付けた。 「死んだはずの貴女が、私たちの前に現れるなんてね。」 襲撃者たちの包囲の外で足を止めたその少女はスカートの両端を持ち上げると、小さくお辞儀をした。 「ええ、奇妙な縁もあるものね。お久しぶり、魔女集会の皆さん。私のこと、覚えていてくれたかしら?」 そう言って、"死人占い師(ネクロマンサー)"『墓守りのミラルダ』は顔を上げると、不適な笑いをかつての同胞たちへと投げ掛けた。
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