儚い想い 〜葛城賢人の場合〜

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それから程なくして松坂さんは旅立った。 七夕の日だった。 葬儀場には松坂さんの好きだったビートルズが流れ、愛用していたゴルフ用品、革ジャンやブーツ、ギターが飾られた一角があり、そこには一緒に仕事をしていた仲間たちとの写真が沢山飾られていた。 その中の一枚に、亡くなる前日に撮られたという病院での一枚があった。 中央で松坂さんは笑顔で写っていた…、ご家族に囲まれ、病院の看護師やスタッフに囲まれて、みんなが笑顔の写真。 とても良い笑顔だと思った。 もう命が尽きる、そうわかっていてこんな笑顔が出る事が不思議でならない。 いつか向こうで松坂さんに会ったら聞いてみたいと思った、まあ、その頃には俺自身でその答えが出ているかもしれないけれど。 そして、そこには彼女も写っていた。 松坂さんが通っていた病院の名前を聞いた事はなかったけれども、この辺りでは大きな病院といえばそこしかなかったのだから考えなくてもわかる事だったのかもしれない。 でも、松坂さんの病気の事を考えないようにしていた俺は、彼女と同じ病院なんて思いもしなかったんだ。 一緒の写真に映るほど親しかったとは思っていなかった俺は正直驚いたが、いつだったか松坂さんが『俺の病院に凄え美人のモデルみたいなお姉ちゃんがいるんだ』と言っていたのを思い出した。今思えば、おそらくそのお姉ちゃんが俺の想い人だったのだろう。 彼女程、綺麗でモデルのようなスタイルを持つ女性はそうはお目にかかれないはずだ。 彼女に会いたいな。 松坂さんを見送りながら何度もそう思ってしまった。 もう少し、あと一押し。 本当にそのくらいまで近づけたと思っていたんだ。 彼女がゆっくり近づいて来てくれているのも実感できていた。 でも…今俺がすべき事は彼女を手に入れる事よりも、俺をここまで見守り育ててくれた松坂さんへの恩返しだ。 松坂さんが生前から少しづつ譲ってくれた仕事のおかげで人脈も増えたと同時に信用も貰えた。何より会社の経営は右肩上がりだ。 そうして今があるのだからその事に感謝し、俺に出来る最大限の敬意を払おう、それが今の俺に出来る事。 「葛城くん、ちょっといい?」 岸さんに声をかけられ足をむけると、松坂さんを慕っていた仕事仲間が大勢いた。 同じ業種の人間もいれば大工、塗装、造園、水道、電気、市役所、教師、畜産、水産、とにかく色んな人達が集まっていた。 「廃校再生プロジェクト?」 そこには羽柴さんもいて、俺にコソッと囁いてくれた言葉をおうむ返しのように繰り返す。 「そ。ずっと松坂さんがやりたかった事」 羽柴さんはニコリと笑って俺に教えてくれた。 郊外には廃校になって使用目的が決まらないまま放置されている廃校があって、それを人が集まるように再利用したいと強く言っていたそうだ。 それは時間も手間もかかる。 みんな自分の仕事があっても、どんなに忙しくても大変でも、よし!やろう!…そう言う人の集まりだった。 松坂さんが亡くなる少し前から資金を集めておいてくれたおかげで、各自自分の仕事を調整さえすれば直ぐに取り掛かられる状態にまでなっていると言う。 資料も何もない、ただみんなが口々に意見を述べている。 俺…松坂さんがくれた仕事、それも結構大きなヤツあるんですよ…そんな事言い出せる雰囲気じゃなかった。
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