第十二章 一 かけがえのない人

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 ヒールを履いた私より少しだけ高い身長。ブルーグレーの髪は襟足だけ結わえ、いつだって剣士らしくない軽装。  細身の体から繰り出される繊細な剣術は負け知らずで、隣にいるだけで物理的にも心理的にも安心できる。心をひとつも繕う必要がなく、主人である私に対して減らない口も心地いい。  私にとって、アレンはかけがえのない人なのだ。  それなのに本当にこれで最後なのだと思うと、なんだかうまく笑うことができない。 「本当に、長い間、側に置いてくださってありがとうございました。これから……これまでまだ経験していないような、様々な苦難に直面するであろう貴女を――」  話しながら下がっていったアレンの視線は、ゆっくりと私の瞳に戻る。 「側で支えていけないことだけが、心残りでなりません」 「アレン……」  私はそのまま、言葉を失ってしまった。  アレンは馬丁に合図して手綱を受け取った。 「それでは、どうかお元気で、デミルカ様」  そう言って、相変わらずの華麗な身のこなしで軽々と馬に跨る。  もう一度皆に笑顔で別れを告げ、見送られながら、アレンは馬を歩ませ始めた。  進行方向を定めるやいなや、迷いなく離れていく後ろ姿。  軽快なリズムで一歩一歩遠ざかるごとに、胸が締め付けられていく。  どうしても譲れなかったことが三つあった。  一つは民達の安寧。  一つはマルグレト様との結婚。  そしてもう一つは――護衛のアレン。  けれど、全てを手に入れることなんかできない。  何もかも思いどおりにしようなんて高望みだ。  これはマルグレト様のために決めたこと。  最も大切な夫に対する私なりの誠意。  だから諦めるしかない。  諦めるしか、ない――?  疑問符が浮かぶと同時に、私は駆け出した。
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