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【蜚】
獣がいる、その状は牛の如くで白い首、一つの目で蛇の尾、その名は蜚。水を行けば水尽き、草を行けば草枯る。これが現れると天下大いに疫病はやる。〈山海経〉
また失敗した。
うまく殺されてやれなかった。いや、うまく殺してもらうことができなかった。だが、仕方ない。おれの体は、おれのいうことをきかないのだから。
世の中が荒れるにつれて仕事が増えた。
おれの生業は、人に仇をなす者を狩ることだ。いや、狩ることだった。山の主、沼の主、祀られぬ神、化け物、魑魅魍魎に至るまで。
最後に狩ったのは、蜚と呼ばれる獣だ。そこにいるだけで作物を枯らし、水を毒に変え、人を死に至らしめる。まさに化け物よ。近付くことさえ困難で、そのうえ凶暴とくる。苦労したが、やがて罠にはめて大きなひとつ目を射抜いたとき、その目が嗤ったようにみえた。そこにあったのは、意地の悪い悦びと死への渇望だった。
思わず身震いしたね。
そして、いまなら奴の気持ちがわかるよ。水を行けば水尽き、草を行けば草枯る。それではまるで地獄の責め苦のようじゃないか。のどの渇きを癒すことも、すきっ腹を満たすこともできない。なにより恐ろしいのは孤独だ。獣も人も、ほかの化け物でさえも、おれを避ける。運良く近付けたとしても、触れ合うまでもなく、みな死んでしまう。
奴を凶暴にさせていたのは孤独だ。
いまならそれがわかる。奴は寂しくて寂しくて、つらくてつらくて、ただ近付こうとしていたのだろう。おれがそうしているように。
ひとつ目を射抜いて、そこにある化け物らしからぬ何かが息絶えたとき、身震いとともに、おれは獣と化していた。その状は牛の如くで白い首、一つの目で蛇の尾、その名は蜚。
なるほど、最初のそれがどう生まれたのかはわからぬが、きっとこうして何人もの狩人が入れ替わってきたのだろう。
化け物となってしばらくは、まだ希望を捨ててはいなかった。もしかして不意に人に戻れるのではないか、ただ悪夢をみているに過ぎないのではないかと。
人里を離れ、山奥に隠れ潜んだ。
そのうちわかってきたのは、飢えと渇きは耐え難くも、それで死にはしないということ。また崖から身を投げても余計な苦痛を味わうだけで死にいたることはなかった。人に殺されなければならないのかもしれない。
あるいは、そのまま蜚として生きていくことも考えた。呪いであれ、ある意味では不死でもあるのだから。
しかし、孤独には耐えられなかった。
やがて他の山へ向かい、人里へ下り、人に近付こうとした。おれの孤独を癒すか、さもなければ殺してくれ、そう思って。
いくつもの集落を滅ぼし、やがて狩人の姿を見かけた時には歓喜したね。これで終わると。だが、そう簡単には死ねなかった。狩人と相対すると、おれの体はいうことをきかなくなってしまうのだ。
身のうちから溢れる孤独に突き動かされて狩人に近付こうとすると、近付くにつれて獰猛な意思がおれの体を奪い、狩人に襲いかかるのだ。さあ、やれ、殺してくれと思いながら、何度も虚しい殺戮をなした。
おれの孤独の影に、意地の悪い悦びと死への渇望が生じた。それは悪臭を放つ華のように咲き誇り、蠢動している。何者かに射殺されるその時を待ちながら。
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