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第一章 隔離病棟の眠り姫
背後でバスの扉が閉じる音を聞いて、僕は約束事のように白い息を吐いた。
停留所から数えて三番目の辺境にあるバス停。周辺はどこを見渡しても畑が視界に入るような田舎で、ごくわずかの軽トラックを除けばそうそう通行人に出くわすことはない地域。
数分ほど歩くと、山間にひっそりと佇む灰白色の建物が見えてくる。規則的に並んだ窓のうち、個室が集中している階層を見上げた。あの場所にいるであろう彼女の顔を思い浮かべて、自然と足が速まる。
首に巻いたグレーのマフラーが風でなびくのをきらいながら、病院の敷地へと駆け込んだ。建物の中で外気に晒されなくなると途端に暑く感じて、防寒具を脱ぐ。そのまま受付を済ませ、病棟の奥へと向かった。
彼女の入院している病室に最短で辿り着くには、造花庭園と呼ばれる中庭を通り抜ける必要がある。人工的に作られた花々はそうそう枯れることがない。生命と向き合わざるを得ない人が多く集まるこの場所で、それは一種の緩衝剤なのだろうと思った。
僕はこの庭を通り抜けるのを楽しみにしていた。ここには悲しいものがない。いつまでも咲き続けてくれる鮮やかな花は、物言わずとも慰めてくれるようだったから。
そんな造花庭園にたった一つだけある、悩みの種。
「お兄さん」
高くてよく通る声。目を向けると小柄な少女がいた。黒のセーラー服を着ていて、鼻筋の通った非常に恵まれた顔立ちをしている。
ただひとつだけ違和感として挙げられるのは、瞳の色。
少女の右眼の虹彩は、宝石のように透き通った翡翠色をしていた。
「お兄さん」
もう一度、少女は僕に呼びかける。
希うように、恋い焦がれるように。
「今日こそ教えてくれますか。私の、今際の際を」
僕には命の終わりが見える。
少女が失ったのと同じ、右側の瞳で。
生物には必ず死が存在する。
僕にはその死にかたが見えた。
厳密には右眼に映る生物の、命を失う瞬間が見えるというものだ。左の眼にはありのままに映るから、ちょうど生と死が重なっているように見える。
それは僕の意志に関わらず見えてしまう映像だった。生きていると認識すれば、たちまちにして一方の眼の視界では死んでしまう。
片側の世界では常々、ありとあらゆる生命が枯れて朽ちて死に続けている。ヒトだって例外じゃない。ほとんどが顔色の最悪な病人で、残りは血塗れの悲惨な姿で映り込む。病死であれ事故死であれ、死因が明確にわかってしまう。
当然周りに伝えることはできず、ごく一部を除いてこの忌むべき力を明かすこともせずに過ごしてきた。そして抱え続けた秘密は僕の人格をより閉鎖的にした。
こんなものが見えなければ、と何度も思った。右眼をくり抜いてしまいたかった。
けれどそんな勇気はどこにもない。だから前髪を伸ばして右眼の視界を覆った。
そうして、死は僕にとっての隣人になった。
薄い壁ひとつを隔てただけの、あまりにも身近な存在。
僕は少しずつわからなくなっていった。
大切な人が死んだとき、果たしてちゃんと悲しむことができるだろうか。
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