親父の娘(仮題)

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 今日、男は"退社"した。  不景気の世の中とは言え、男の勤める会社はそこそこ大きく、早々に経営難になることはなかったが、転ばぬ先の杖ということで、業績が悪化する前に人員(コスト)を減らすことになった。整理解雇、リストラである。  男の成績は中の下で、良くもなく悪くもなかった。入社してすぐに外回りの営業を数年経験し、開発部へと転属になり、先週の土曜日までは経理部に所属していた。  人間関係は、持ち前の明るさと機転でかなり良い方であったが、上の方の役職の人には、それが見えなかったらしい。  40代の後半、まだ先だと思っていた事が1ヶ月前に突如告げられ、家族にも言い出せず、訪れたこの日は、()しくも男の前妻の命日でもある。  男はこのまま地下鉄で前妻の墓参りに向かっていた。  供える花は霊園の前のいつもの花屋で良い。そう算段を立てて、男はスマホを誰も居ないシートの上に放り投げた。  ろくな人生では無かった。  若い頃、男には夢があった。音楽で食べていくという夢である。メジャーのレーベルでデビューまで漕ぎ着けたが、結局は才能の壁を越えられずに数年でインディーズへと戻り、その後は鳴かず飛ばずの時を過ごし、ついに結婚を機に諦めをつけた。
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