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折れた桜の枝
三月下旬。桜も咲き出して、世界に優しい色が付く季節。
――就活、始まっちゃったなあ。
もう春だからか、自販機には冷たい物しかなくて、指先から体温が奪われていく。
「――ママみてみて、桜!」
公園の中を通り過ぎる女の子が、ふと足元に落ちていた枝を拾った。
どうやら誰かが折ってしまったらしく、まだ蕾が付いている。
それを見て後から来た母親が困ったように笑った。
「綺麗だけどかわいそうね」
「かわいそう?」
「ほら、折れちゃってるの。いたいいたいでしょ?」
「ホントだ! かわいそうだ!」
言いつつ、土のところに桜の枝を戻す。そのまま二人、手を繋いで公園から消えて行った。
少し離れたベンチから見ていた私は、ふと自分の足元にも桜を見つけた。
それがなんだか、面接で落とされる未来を描いているようで、悲しくなってくる。
「やだな、就活」
「俺もやだなあ」
「えっ」
突然、隣から軽く声が聞こえ、ビクッと肩が震えた
目をやると、そこには一人の若い青年が座っていた。こちらをみて、なぜか楽しそうにクスクスと笑ってる。
「やあ、こんにちは」
明るい声で彼は言う。「……誰?」と聞き返せば、少し唸り「通りすがりの大学生です」と言って、また笑う。
青年って自分で言うものじゃないでしょ、と言いかけて飲み込み、「はあ」と返す。と、彼はチラッと足元の桜の枝を見た。
「あなたさっき、就職できない自分を重ねてたでしょ」
「え?」
「ほら、そこに落ちてる枝をみてましたよね」
――見ていたの?
だけどそんなことより、さっきまで不安に感じていたそれが、段々と焦りに変わっていく。
悟られないようにして、顔を反らした。
「あなたには関係ないでしょ」
「まあ、そうですね」
軽い返しに、拍子抜けする。なんなんだ、この人は。
「まったく、さっさとどっか行ってください。迷惑です」
「……僕、さっきの枝を見て思ったんです」
「は?」
「この枝は、選ばれたからそこにいるんじゃないか、と」
「選ばれて取り上げられたから、折れた。それが取りやすい位置にあったのなら、尚更選ばれますよね」
「……何が、言いたいんですか?」
乾いた喉から吐き出した言葉は、少し湿っぽい。それを彼は温かい光でも当てるような目をして、帰した。
「もっと気張らずにいた方が、上手くいきますよ」
少なくとも僕はそう思う。
そう言った彼の、屈託のない笑み。あまりにも輝かしくて、ぼやけて見えた。
正直に言おう。この時私はたぶん、救われたんだ。
ふと、彼は足元の枝を手に取った。
「これ、持って帰ろうかな」
まるで救い上げるような言葉に、思わず笑った。今度は何の恨みもない。ただおかしくて、笑えていた。
彼もまた笑って、すっと立ち上がる。
「それじゃあ、さよなら。阿月」
一瞬風が吹いた。そして次に目を開いた時にはもう、彼の姿はどこにもなかった。
彼が拾い上げた枝も、そこにはなかった。
残ったのは、就活生の私。それと女の子が手に取った、あの可哀そうだと言われた桜が、一枝だけ――。
最後に見た彼の顔に、気付けば温かい雫が頬を伝っていた。
「……さよなら、通りすがりの――くん」
吹いた風が、甘い桜の香りと懐かしさを、奪い去るように吹いていった。
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