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第一章 ゲルネル
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「王女様、ルフィナ様! 起きて下さいまし!」
まだ真夜中だと言うのに、寝床にいたルフィナは乳母に無理矢理叩き起こされた。眠気眼をこすりながら、ルフィナは問い返す。
「とうしたの? 何かあったの?」
乳母のエーラはしっ、と声を立てぬよう注意してから、
「詳しいことは言えませんが、今すぐ宮殿を出なければならなくなりました」
「今から?」
頭がぼんやりしていて、エーラの言っている意味がいまいちぴんとこない。
「えぇ、今からです。何も心配いりませんよ、お母様も弟君のレオネ様もご一緒ですからね」
「どこへ行くの?」
「お母様の兄上のところです。ゲルネルのエドアルド様。覚えておいででしょう?」
その人なら知っていた。セアの宮殿で何度か会ったことがあったのだ。少し気難しそうな人ではあったけれども、悪い印象を抱いた記憶はない。
「さぁ、いい子ですから、お洋服に着替えましょうね。それから、エーラの手をしっかり握って廊下を行くんですよ」
まだ尋ねたいことは山ほどあったのだが、エーラがそれ以上話しかけるのを許さなかった。大急ぎで着替えさせられて、灯りもない暗い廊下を乳母の手だけを頼りにひたすら急ぎ足で歩いていく。
恐らく、普段使用人が使っている通用口の方から外へ出たのだろう。生まれてこのかた一度も見たことのない狭い裏庭を通り抜け、さらに石でぐるりと周囲を囲った木戸をくぐり抜けたところ、ようやく一台の馬車までたどり着いた。そこでは母と母の侍女に抱かれた弟レオネがルフィナの到着を待っていた。
「お母様ーーーー?」
そう言いかけたところを、母もまたエーラ同様に静かにするようたしなめた。
「話は後よ。いいから馬車に乗って。すぐに出発しますからね」
五人が乗り込んでしまうと直ぐ様、馬車は静かに走り出した。
◇◇◇
誰もが一様に沈黙を続けている中、ルフィナも皆に倣い一言も喋らなかった。幼いレオネは、とっくに侍女の腕の中で眠っている。これまでにも宮廷を移動する度に各地を転々としたことはあったものの、こんな風に何の前触れもなく真夜中に起こされて移動したことは、未だかつてなかった。
外は暗く、どこを行っているのかも分からない。分かることと言えば、行き先がゲルネルだということぐらいだ。ここ一週間の出来事は、それこそルフィナにとって生涯忘れ得ない激動の日々であった。狩りの途中で父を襲った不慮の事故、その父の死とそれに伴う異母兄アラザルドの即位。日頃静かな宮殿が異様な空気に包まれていた。母は夫の死を嘆く暇もなく、ずっと怖い顔をして誰かと連絡を取り合っており、あれは伯父エドアルドと今夜の逃亡計画をについて話し合っていたのだと、今になってルフィナは思い当たるのだった。
一度だけ馬を休ませるため休憩を取ったが、それ以外はずっと走りっぱなしだ。とても眠れそうにないと思っていたルフィナだったが、いつの間にかエーラにもたれて眠っていたらしい。しかし、母の叫びでいっぺんに目が覚めた。それは歓喜の声だった。そして、外を覗くと、世界が漆黒の夜に別れを告げ始める頃合いであった。
「エドアルド!」
母のこんな晴れやかな声を久しぶりに聞いた気がする。待ちきれず馬車を止めさせ、母はまるで子どものように駆けていった。伯父らしき男の人と固く抱き合うのを、ルフィナは大人しく見守った。朝日を浴びたその顔は、確かに以前セアの王宮で見た厳つい顔の男と同じものだった。
「子どもたちも無事か。何よりだ」
ゲルネルの領主エドアルドは、そう言ってルフィナに微笑みかけた。
「ルフィナ王女、私のことを覚えておいでかな?」
「えぇ。前に、セアでお見かけしたのを覚えています」
以前、怖そうに見えた太い眉の下の黒い目が、意外にも優しそうであることにルフィナは初めて気が付いた。
「あと少しの辛抱だよ。ゲルネルにたどり着きさえすれば、もう何の心配もない。どんな敵だろうと、そこまではやって来ないからね」
『私たち、誰かに追われていたの?』
だが、その質問をルフィナはぐっと飲み込んだ。馬車の激しい揺れと睡眠不足とで頭がぐらぐらする。十歳の少女の疲労はとっくに極限まで達していた。
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