生かされている意味

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生かされている意味

-1- 「僕・・・生きている意味、あるのかな」 挨拶のようになってしまったその言葉を、今日もまた、僕は彼に零す。 「―――――さぁ・・・。どうでしょうか」 そしてまた、いつも通り彼も同じ言葉を返す。 「―――――ね、僕ってさ、どっかに売られたりとか、・・そういうの、ないの?」 これは、ずっと思ってたけど口に出して聞いたことはなかった。 彼は一体どんな反応を見せるのだろうか・・・。 この、何の変化もない、たったひとりだけの生活の中、僕は彼を困らせてみたくて興味の視線を向けてみる。 すると彼は一瞬・・・瞬きするよりもっと短い間、何も映していないように見えていた目を見開いた―――(ように僕には見えた)―――けれど、そんなの幻だったのかも、と思ってしまうくらいあっという間にその表情を回収して、いつもの鋭く、冷酷そうな無表情に戻す。 「―――――あなたの役目は、ここに居続けることです」 「ふぅ~ん・・・」。僕は彼から視線を逸らし、真っ白い景色しか見えない窓の外を見るともなしに見て、もう興味はないとばかりにそっけなく喉を鳴らす。 「―――――こんな目に遭うなら、いっそ殺してくれた方が楽なのに・・・」 僕のそんな呟きを、彼はどんな気持ちで聞いていたのか。 そもそも僕に興味がないだろうから、きっと、耳にすら入っていなかったのかもしれない。 何も言わず、彼は部屋のドアを開け外に出て、そして、いつものように外側から鍵をかけ、その足音が遠ざかる。―――――僕を見つけ出してくれた、あの足音が・・・。 ―――――名前も知らない。仕立ての良さそうな黒のスーツに糊の効いた白いワイシャツ、そして細くて黒いネクタイをいつでも身に纏う、優しさなどひとかけらも感じられないような、冷たい雰囲気と表情の男。 けれど今の僕にとって、自分がこの世界にひとりじゃないのだということを教えてくれる、唯一のひと。 僕がこの部屋に連れてこられたのは5年前。 ―――――いわゆる監禁、なんだろう、この状況は。 ここに来る前までは、甘えん坊で少し反抗期の始まった、普通の小学生だった。 両親も友達も、僕にはちゃんといた。 どちらかというと裕福な家庭だったと思う。 小さいけれど地元に根付いた印刷会社を経営する父と、それを支えるため事務全般をこなしていた母。 数人の従業員も抱えていたし、仕事も安定していた。 なのに―――――。 父が・・・人を疑うということがない、本当に優しいひとだった父が、昔馴染みの友人に頼まれ借金の連帯保証人を引き受けてしまった。 見た目には普通の金融機関からの借用書に見えたそれは、実は巧妙に作られた偽のもので、複写になっている下の用紙に記載のあった貸付人欄にあった名は、聞いたこともないような名前の、所謂闇金と呼ばれる業者。 信じていた友人に騙され、連絡を取ろうにも行方を晦ませてしまったその人を探し出すことができず、そうしているうちにたった数百万の借金が、一年で倍に膨れ上がっていた。 順調だった会社は、その借金の返済のため回らなくなり、あっという間に倒産。 従業員には土地屋敷を売った代金で退職金を支払い、僕たちはもう操業していない会社の事務室で生活をした。 毎日毎日、業者が取り立てにやって来る。 それでも僕は、事情を知る近所のひと達や、友達の親、それになにより大好きな両親に守られ、普段通りに小学校に通うことができていた。 母が地元の縫製工場にパートに出るようになっていたことも、父が金策に必死に走り回っていたことも全く知らず。 いずれ、僕たちの生活は、あまりにも唐突に変わり果てたものになって。 そんな日々が半年ほど続いたある夜。 母が、「今日は寒いから、3人で川の字で寝よう」と言い出した。 僕は高学年にもなって、それはちょっと・・・と思ったりもしたけれど、父までが、「父さんは暑がりだから、布団の中はぬくぬくだぞ?」、なんてふざけたような口調で言うもんだから、何だか抵抗するのがバカらしくなって、僕はその日、擽ったい気持ちで両親の間に挟まって眠った。 僕よりほんの少し大きい母。僕より30センチ以上大きい父。 「本当に川の字だね」、と笑う僕に、母が「じゃあ私は背中を向けて腰を曲げて寝なきゃ」とおどけて見せた。 眠りに落ちていく心地好いまどろみの中、母の温かい掌が僕と父の手を包むのがわかった。そして父の腕が僕と母を囲うように回されたのも。 あの夜。恥かしかったけれど、両親の愛に包まれている実感が湧いて、僕は本当に幸せだったんだ――。 翌朝目覚めると、両親はいなかった。 食卓代わりにしていた会議用テーブルの上に、わかめと胡麻を混ぜ込んだおにぎりが2つと、僕の大好物の母が作った甘い卵焼きがラップに包まれ置かれていた。・・・メモ用紙に書かれた手紙と共に。 ―――――いっちゃん。お父さんと出かけてきます。 しばらく戻れないと思うから、その間、綾之園さんにあなたのことをお願いしてあります。とても親切な方だから、心配しなくていいからね。 いっちゃん。寝ている間に出かけてごめんね。     お母さんより。
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