アンズの思い出

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 合コン会場のしゃれた居酒屋には人が多く、話し声やグラスが触れ合う音が響いていた。 「ねえ、君は恋人がいないの?」  僕がその瑞江(みずえ)とかいう女性に声をかけたのは、彼女があまり会話に加わらないでうつむきがちだったから、ただ気を利かせただけで、気があったわけじゃない。  他のメンバーたちは、こっちの事は目に入らない様子で、最近見た動画について語り合っている。 「こんなところに来ておいてアレだけどさ、私、恋人をつくる気はないの。数合わせで友人にどうしてもって言われたから、来てるだけ」  少し気どった様子で、彼女はいった。 「へえ」 「中学校の時に、好きな人ができてね」  そこで瑞江はふふっと笑った。 「思い切って告白することにしたの。そうそう、私の中学には、校舎裏に大きなアンズの木があってね」  そう言って、都市伝説じみた話を始めた。 「その木はずっとずっと昔、ある恋人が駆け落ちする前に植えたって言われているの。それから、そのアンズを好きな人に食べさせると両想いになるんだって」  たしかにどっかにありそうな話だ。アンズというのが現代的だけど。 「そのアンズを使って、焼いたパウンドケーキを渡しながら告白したんだ」 「それで、結果は?」 (たぶんダメだったんだろうな)  と俺は勝手に想像した。 「信じられないことに、オーケーだったの!」 「え、本当に?」  失礼なぐらい驚いた声を出してしまった。 「本当に嬉しかった!」   心底嬉しそうな瑞江の笑顔は、すぐに寂しそうなものに変わった。 「でも、幸せだったのは、少しの間だった。彼は、亡くなってしまったの。交通事故で……」  瑞江は。そして、自嘲気味な笑みを浮かべた。 「それから、男の人と付き合うことができなくなったの。多分、彼を神聖視しすぎているんだろうね」  「ちょっとごめん」と断って瑞江は席を立った。トイレにでも行くのだろう。 「それにしても、意外だなあ。昔とはいえ、彼氏がいたなんて」  僕は思わずそう呟いていた。  だって、瑞江はひかえめにいって少し、いや、かなり、その、醜い顔をしているからだ。  ゲジゲジのような眉に、淀んだ目。団子っ鼻に、ヒルのような唇。体は、ぶよぶよに太っている。それなのに、恋人がいたなんて。昔はもっと痩せていたのだろうか? 「う~ん」  近くで声がして、そちらの方をむくと、瑞江の隣に座っていた女の子が何やら考え込んでいるようだった。たしか、彼女はレナといったはずだ。  僕の視線に気づくと、彼女は微笑んだ。 「ごめんね。さっきの会話、聞こえちゃった。じつは私も、瑞江さんと同じ中学だったのよ。だから、あのアンズの木について聞いたことがあるの」 「そうなんだ」  レナさんはうなずいた。 「あのアンズの木を植えた恋人の伝説だけど。続きがあるの」  そこでレナさんは、少しもったいぶって声を低くした。 「駆け落ち先で、男の人の方が事故に巻き込まれて死んでしまったんだって」  そこでかすかにレナさんの眉がひそめられた。 「たしかに、あのアンズを好きな人に食べさせれば両想いになれる。けど、食べた人はそのあと何か月かして死んでしまう。駆け落ちまでしたのに、一緒に幸せになれなかった恋人達の無念でね」 「ええ?」 『彼は亡くなってしまったの』  さっき、瑞江が言った言葉が頭に浮かんだ。 「まさか」 「たぶん、瑞江さんは伝説の後半を知らなかったのね。でないと、好きな人にアンズ入りのケーキなんて食べさせるわけないもの」 「そうだね、きっと」  僕は、なんとなく瑞江の去って行ったほうに目をむけた。  廊下を歩きながら、瑞江は昔の恋人、泰治(やすはる)の目の輝きを、笑い声を思い出していた。もうかなり昔の事だが、今でもありありと思い浮かぶ。  彼以上の男性はいない。本当だ。  ケーキを渡したというのは、うそだ。本当は、給食の時間、デザートのフルーツポンチにこっそりとアンズを絞った汁を入れた。  でも、おまじないは関係ない。泰治君が私を愛してくれたのは、そんなことのおかげじゃない。本当だ。  彼が事故で死んでしまったのも、おまじないのおかげではない。本当だ。  私が、それから異性と付き合えないのも、泰治君が忘れられないからだ。容姿が酷くてでモテないからではない。本当だ。絶対に違う。  別に、小さいときからこの顔では恋人ができないだろうと思っていた、なんてことはない。  ましてや、おまじない通りに泰治君が死んでよかった、なんて思っていない。早く死ぬ恋人ができたおかげで悲劇のヒロインになれて、プライドが保てたなんて、考えるわけはない。  絶対に、絶対に。 (ああ、もう一度泰治君に会いたいな)  瑞江は、そう思いながら、くすんと一つ、鼻を鳴らした。
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