一章

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一章

「皆様! 大変長らくお待たせいたしました!」  奇抜なマスクで顔を覆った男が高らかに声を上げた。チラホラと席に座る観客達はまばらな拍手で男を出迎える。 「本日も様々な商品を入荷いたしました! 必ずや、皆様のお気に召す商品と出会えることでしょう。我々も皆様が良き商品と巡り会えますよう全力を尽くさせて頂きます!」  照り付けるスポットライト。肌が焼かれるように熱い。手錠された状態で首輪についた鎖を引かれながら一人の男がステージの上に立たされた。  寿は今、人身売買の場──いわゆる闇オークションの舞台に〝商品〟として上がっている。  正直、自分に商品価値があると思えない。背丈ばかりでかいだけ。見た目だってみずぼらしい。まだらに染まった茶髪に伸ばしっぱなしの髭。顔も美形とは言えない。どちらかというと強面で人はおろか動物すらも近寄らない人相だ。  だがもう寿には自分以外差し出すものがない。  人生というのは一度躓くとあっという間に転落していく。落ちて、落ちて、辿り着いた先は自分の身体を売らなければならないほどに膨れ上がった借金。自分がこさえてしまったものならばこの状態に納得もできるだろうが、人に騙され詐欺に加担した結果、背負わされた借金だ。ただただ己の愚かさを悔いるしかない。  人を信じすぎると痛い目を見る。フリーターとして人生の大半を生きてきた寿は少し世間を知らなさ過ぎた。確かに善良な人間は世の中に沢山いる。しかし、それと同じくらいに悪意を持った人間もいるのだと知っていれば……なんて後悔しても遅い。 「本日の一品目は三十五歳、成人男性! バラして売るもよし! 運び屋などのリスクのある仕事に使うもよし! 見た目を生かしてボディーガードや鉄砲玉にも! 利用用途は無限大! 百万からのスタートです!」  司会の男が高らかに声をあげる。しかし会場の反応は薄く、一つも手が上がらない。悲しいが当然のことだと思う。若ければ体力仕事などが出来るし、見た目がもう少し良ければ物好きなマダムが購入する可能性もあった。しかし、この年でこの見た目。売りを見つける方が難しい。  スポットライトが全てを曝け出すように寿を照らす。眩しすぎて観客席にいる人間の表情も分からない。 「最後の最後にこのザマか」  きっと買い手も見つからないまま、売れ残って殺される。落ちこぼれの自分には相応しい死に方かもしれない。目線を落とすと足元に影。くっきりと浮かび上がる黒に重なるのはどうしようもない己の人生。  目を閉じる。瞼の裏を通り過ぎるように現れる思い出達はどれも灰色。薔薇色には程遠い日々。モノクロームの記憶、ページをいくらめくっても後悔すらも湧いてこない。  クソみたいな人生だった。  会場が静かすぎて耳が痛い。早く終わってくれと願うしかなかった。さっさとステージを降りて、この世とおさらばしてしまいたい。  最後の晩餐は近所のファミレスのストロベリーショコラパフェがいい。闇金融で借金をし始めてから贅沢が出来ていない。だから神様、最後くらい甘いモンを腹一杯食べたいんだ。どうか願いを叶えてくれよ。 「……く」  いるかどうかも分からない神様に必死になって祈った。あまりにも必死過ぎて、突如会場に響いた声にも気づかなかった。どよめきすらも耳に入ってこない。寿を祈りの世界から引っ張り上げるように、その声はもう一度声高らかに響く。 「五億っ!」  眠りから覚めるように意識を取り戻し、見上げるとそこには──手のひらを広げ、印籠のように掲げる少年が真っ直ぐな目線を寿に向けていた。 「こらこら、ここはお子様が来るところではないよ。帰りなさい」  司会者は煙たそうな顔つきでスタッフに指示を出す。だが少年は怯む素振りも見せない。  いかにも優等生と言わんばかりのさらさらした黒髪。まん丸で大きな目は気の強さを孕んでいる。背丈から見るに中学生くらいだろうか。最近の子供はやけに発育がいいから、もしかしたら小学校の高学年くらいかもしれない。 「……息子がすまないね」  少年を追い出そうとしたスタッフ達が立ち止まる。スポットライトが眩し過ぎて見えていなかったが、少年の隣にスーツ姿の男性がいた。寿よりも年上であろう紳士。 「金はある。だからこのオークションに参加させて頂けないだろうか?」 「あ、貴方は……」 「申し遅れた。私は宝来不動産ホールディングス代表取締役社長、宝来誠。そしてこちらが息子の尊。決して冷やかしではないんだ。息子には欲しいものを一つ買ってやると言ってある」 「そ、そうでしたかっ! 失礼致しました!」  宝来不動産ホールディングス。世情に疎い寿でも知っている大手不動産会社。子供の頃、よくテレビでCMを目にした事がある。大企業の社長とその息子が何故、こんなきな臭い場所にいるのか。 (ゲームを買ってやる、みたいなノリで人を買うんじゃねぇよ……)  カツカツと革靴が床を鳴らす。遅れて少年が舞台に上がってきた。紳士は壇上に上がるなり上から下まで寿を品定めするように視線を巡らせる。 「尊、これでいいのか? 歳がだいぶ離れているが」 (そうそう、友達なんかになれやしねーぞ) 「今日はお前に近い子が出品されると聞いて来たんだ。まぁ、これはこれでボディーガードにはちょうどいいかもしれん」 (人をこれ呼ばわりするんじゃねぇ……)  尊と呼ばれた少年は寿の前に立った。そして手枷をはめられた手にそっと自分の手を重ねる。寿の手よりもずっと小さなその手はすべすべしていてとても温かい。 「僕はこのおじさんがいい」 「一度買って飽きた、とか言っても買い直してやらんぞ」 「絶対言わない。僕が最後まで面倒を見るんだ」 「……分かった」  目の前で自分の今後が決まるというのにまるでドラマを見ているような気分だ。紳士は司会者に向けて手を広げる。そしてどこから出てきたのか、スーツ姿の初老の男性が大きなスーツケースを二つ出してきた。 「五億でこちらの商品を買わせていただこう。ここに二億。残り三億もすぐに用意する」 「え、あ、あの、これを、五億?」 「尊がそう言ったのでね。何か問題でも?」 「め、め、滅相もございませんっ!」  司会者にまで〝これ〟呼ばわりをされたのは頂けないが、そんなこと最早どうでもいい。寿の人生は今この瞬間、天と地が逆さまになるくらいに変わったのだから。  伊沢寿、三十五歳。  残りの人生が年端もいかない少年に五億で買われた。
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