第17話 拭えぬ疑惑

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 一方、火矛威(かむい)はリム医師の診療所の病室で、退院の準備を進めていた。数か月、この病室で過ごしただけあって、私物もかなりの量が増えた。一人では手に余るので、火澄(かすみ)も手伝ってくれている。  これからの予定として、まずは以前住んでいたアパートに戻り、それから新居を探すつもりだ。  (たくわ)えなどあって無いようなものだし、もはやゴーストでない自分に、仕事が見つかるかどうかも分からない。それでも再出発ができること。再出発が可能になるほど体力が回復したことは、純粋に嬉しかった。  火澄の顔も心なしかはずんでいるように見える。火澄は持参したスポーツバッグに衣類を仕舞い込みながら、嬉しそうに言った。 「ようやく退院だね、お父さん!」 「ああ、そうだな」 「本当言うとね、お父さんがこんなに元気になるなんて信じられなかったよ。意識が戻らない時期も長かったし、火傷(やけど)もひどかったもん。お父さんが呼吸器をつけている間も、ずっと雨宮さんたちがお見舞いに来てくれたんだよ」 「ああ、知ってる」 「あ、そーだ! せっかくだから雨宮さんやシロたちを呼んで、お父さんの退院祝いをしようよ! 今のアパートじゃあまり派手(はで)にはできないけど……東雲探偵事務所の人たちにもお礼を言いたいし!」  火澄はいい事を思いついたとばかりに胸元で両手を叩いたが、火矛威はその提案(ていあん)に異を唱える。 「それは……どうかな。深雪たちは忙しいだろ? これ以上は迷惑をかけるべきじゃないって、お父さんは思うよ」 「でも……みんな、あんなにお父さんの事を心配してくれたのに……」 「もちろん、それも分かってる。だから新居(しんきょ)に引っ越して落ち着いたら、お父さんが菓子折(かしお)りを持って改めてお礼に行くよ」  すると火澄は一瞬、悲しげな顔をすると、こちらを(うかが)うような視線を向けた。 「あたしは、行っちゃダメなの?」 「火澄……」 「……あのね、お父さんは怒ってるの……? あたしが誘拐されたから……雨宮さんのせいだって思ってるの? だから会っちゃ駄目だって……」 「そうじゃない。深雪には深雪の生活があるんだ。《死刑執行人(リーパー)》の仕事は大変だし、これからどんどん忙しくなる。それなのに、いつまでも父さんや火澄がおんぶに抱っこじゃ、深雪にも迷惑がかかるだろ?」 「うん……」 「ほら、父さんの事はもういいから、《ディナ・シー》のところへ行きなさい。今日はみんなと遊ぶ約束をしてるんだろう? 火澄はずっと、父さんに付きっきりだったからな。今日は思う存分(ぞんぶん)、楽しんでおいで」  火澄は小さく頷いた。すべてを納得したわけではないが、火矛威の言う事にも一理(いちり)あると思ってくれたようだ。それに今は《ディナ・シー》のメンバーとの約束もある。火矛威は火澄へ出かけるよう促すと、笑顔で送り出したのだった。  火澄がいなくなった病室で、火矛威はちょっとした疲労感(ひろうかん)を覚えてしまい、深々とため息をついた。火澄にはああ言ったものの、後ろめたい気持ちが無いではない。火矛威が火澄から深雪を遠ざけようとしているのは、事実だからだ。 (火澄はたぶん……深雪やシロって女の子に会いたがってる。火澄にとって二人は、大切な友達でもあるんだろう。俺が駄目(だめ)だと禁じている間は、無理に会いに行ったりはしないと思うが……このまま強引に引き離したら、きっと傷つくだろうな……)  火矛威は片付けをしていた手を止めると、ベッドの脇に腰を下ろした。我知(われし)らず、再びため息が出る。 (俺はひどい父親なのか? 火澄が深雪たちと会うのを許すべきなのか……。いや、深雪は《死刑執行人(リーパー)》なんだ。常に危険が付きまとうし、またいつ火澄が事件に巻き込まれないとも限らない。俺は父親として、火澄を守る義務と責任がある!)  そう決意(けつい)を固めてみても、胸の奥からうす暗い感情が沸き上がってくるのは、誤魔化(ごまか)せない。深雪を遠ざけている理由が、純粋に火澄のためを思ってのことだけではない、という自覚が火矛威にあるからだ。  火矛威はもう幾度(いくど)となく、ある可能性について考えてきた。 (そう……俺の想像が当たっているなら、火澄と深雪はおそらく血が繋がっている……)  そのことを深雪に直接確かめたわけではないが、火澄の実の父親である轟鶴治(とどろきかくじ)は、深雪と酷似(こくじ)していた。顔立ちだけでなく、背格好や声音まで同じで、他人の空似(そらに)というレベルをはるかに超えているのだ。  それだけではない。轟鶴治の本名は雨宮御幸(あまみやみゆき)といい、深雪と同じ名前だ。そこからも、二人に何か関係があるのではないかと疑うのに十分だ。  深雪は火矛威が話を切り出すまで、轟鶴治の存在を知らなかったようだが、何か事情(じじょう)があって知らされてなかったのかもしれない。たとえば二人が生き別れの兄弟だったなど、あり得ない話ではない。  轟鶴治と深雪が本当に兄弟であるなら、火澄は深雪にとって(めい)に当たる。それを考えると、胸の奥がざわりとするのだった。  深雪には他意(たい)など無いと分かってはいても。 (俺は……深雪に嫉妬(しっと)しているのか? 俺の想像が正しいなら、火澄は……あの子は深雪の血縁者になる。俺は……それが妬ましいんだろうか? だからこんなにも火澄と深雪を近づけたくないのか? それが俺の本音だとしたら……俺は最低だ……!!)  あれこれと考えていると、ひどく気が滅入(めい)ってくる。本当は火澄にすべてを打ち明けるのが、最良の判断なのだろう。何と言っても、これは火澄に深く関わる問題なのだ。  ただ彼女の年齢と、実の母親のことさえ打ち明けていない現状を(かんが)みると、どうしても真実を教えるのに抵抗(ていこう)があった。  答えの出ない問題を持て余した火矛威は、病室を出て外の空気を吸ってくることにした。診療所の屋上は自販機やベンチが置いてあって、(くつろ)げるようになっている。火矛威は病室の外に出られるようになってからというもの、晴れの日は屋上で体を動かしたり、気分転換(きぶんてんかん)をしていた。  屋上に到着すると自販機で缶コーヒーを買って、ベンチへと向かう。屋上の人影(ひとかげ)はまばらで、ベンチの周りには誰もいなかった。  缶コーヒーのタブを開けるものの、何となく飲む気になれず、火矛威はベンチに缶を置くと物思いに(ふけ)った。  火澄にとって、どうするのが一番なのか。彼女にとって最良の判断をしたいと思いつつも、感情が横槍(よこやり)を入れてくる。  火矛威は火澄の父親なのだ。火澄の気持ちを尊重(そんちょう)したいが、同じくらい彼女の身を守る義務もある。この間、火澄が誘拐事件(ゆうかいじけん)に巻き込まれたことを考えると、深雪たちと会っていいと許可を出す気になれなかった。  父親として、いったいどうすべきなのだろうか。
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