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『ありがとう』は何故『ありがとう』になったのか?
そう、ちょっと哲学染みた様で、その実ちっとも哲学じゃない考察をした事がある。
言葉の意味、成り立ちを考えたと言った方が伝わり易いだろうか。
きっかけは読んだ本。
今は作者も題名も忘れたその中で、ありがとうの言葉にどんな感情が含まれるかとあった。
『感謝』
それこそが普通に出て来て最も当然の如き感情で、そして言われると嬉しい言葉とあった後で、「でも今一つ考えて下さい。こうした有り難うはどうですか?」と小話が載っていた。
要約すれば、イジメっ子がイジメられっ子から金を巻き上げて
「ありがとう、明日もよろしくな」
と告げる物語である。
嫌なありがとうだなと思うと同時に、先程の『ありがとう』は何故『ありがとう』なのかとした思考に陥った。
ただ私は注意力が散漫なので、直ぐに考えは外れた方向に進んでしまったが。
『アイウエオ』と呟き、『あ』の発音は一番言い易いな、と。
続く『い』は、歯を食い縛る形だ。
『いやだ、きらい』の否定する言葉はここから始まる。
『サンキュー』や『ナマステ』も隠された母音は『あ』からだ。
そして人は群を作り、社会性を発達させて来た。
多くの動物が歯を食い縛り唸る行為を威嚇の表現として来た様に、人類も初期は唸る事が『否定』の表現であって『拒絶』や『嫌悪』の意味を強く込めたのではないか。
だから『いやだ、きらい』は否定の意味を含む言葉となったのではないか。
直立二足歩行のお陰で喉の発生器官を発達させた私達は、本能からシグナルとして最も表出し易い音を皮切りに言語を作り上げて来たのではないかと考えはどんどんずれた。
だから『あ』から始まる言語。
発声し易いこの音から始まる言葉は、社会性を発達させ共に生きる為に協力する人類にとって、咄嗟の感謝の気持ちを伝えるのに自然と使われて来たのではないかと。
『ありがとう』には嫌悪ではなく感謝の意味が添えられ、さらには言い終わった時に微笑む形に移行し易い『う』で終わるのではないかと。
と、まあ、子供の頃のどうでもいい思考を堅苦しく書いてみました。
散漫で、結局まとまりはしませんでしたね。
では、ここまで目を通してくださった皆様へ。
「ありがとう」
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