魔女にかける魔法 10

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魔女にかける魔法 10

 魔法の箒で図書館に降り立った私たちを見て、雪子ちゃんと太輔君は今まで見たことが無いくらい、大きな目と口を開けて驚いた。  私はそんな二人に、何故が自慢気に「スゴイでしょ」と言ってニンマリと笑う。  「俺たちも、突然現れた七々子さんに図書館で待ってるように言われたら、光に包まれて、気がついたら、もう図書館の前にいて…。雪子とどうやって来たんだろうって話してて…」  太輔君が動揺を隠しきれない様子で自分たちの状況を説明する横で、雪子ちゃんは、ただ頷いているだけ。  悠一君は、怪我をしたのは肩だったはずなのに、地面に足が着いたとたんに力が抜けたように尻もちをついて、しばらく動かなかった。  そんな私たちを七々子さんは図書館の中に招き入れた。  図書館は今日も初めて来た時と同じように、古い木と乾いた紙と少し埃っぽい匂いと、大きな窓にかかる白いカーテン越しに差し込む春のような温かい日差しが、時間の流れを止めているようで、この図書館が建てられたくらい昔にタイムスリップしたような気持ちになる。  天井まで届く本棚がいくつも並び、きっちりと上まで並べられている本は、世界の名作集とか、偉人の伝記とか、悠一君がよく読んでいた名探偵が活躍する日本の推理小説とか。奥の方にあった重たい図鑑は、カウンターの横の本棚に移動していた。外国の文字で書かれた本は、相変わらず、手の届かない一番上にずらっと並んでいる。  大きな窓を背にした木製の貸し出しカウンターは、窓からの光が降り注ぎ艶々と黒光りしている。  私は何時もするように、大好きな木のカウンターを撫でた。  滑らかな木の手触りは、さっきまで乗っていた箒の柄と同じで、思わず笑顔が漏れた。  七々子さんはカウンターの中から救急箱を持って出てくると、悠一君の肩にシップを、私の手の甲に絆創膏を張ってくれた。  「魔女なのに、魔法で治したりはしないの?」  七々子さんが他にどんな魔法が使えるのか知りたくて聞いた。  「私たちは、そういう魔法は使わないのよ。それに、これくらいの怪我なら人の身体が自ら治ろうとする力で癒える。それも、魔法みたいなものじゃない?」  「使わないって事は、怪我を治す魔法も使えるって事なのか?」  悠一君が身を乗り出して真剣な顔で質問する。  「そうね。人間に使ったことは無いけれど、使えるわ」  七々子さんの目がオレンジから青色に変わって、表情も笑顔から真剣な顔になった。  「あの時、弟の怪我を見ても魔法を使おうとは思わなかったのか?あの時、七々子さんが魔法を使ってくれたなら、弟は、今でも目が見えてたんじゃないのか?」  悠一君が、大きな手をぎゅっと握りしめながら、七々子さんに詰め寄る。  「…あの時、たくさんの血を流している二人を見て、魔法を使おうとした。でも、それは禁じられている事だから、出来なかった。『命ある者の天寿を魔法で変えてはいけない。長くても短くても、限りある命の中で精一杯生きる事が幸せなのだ』この言葉の意味を、私はよく理解している。だからあの時、目が見えなくても、大きな傷が残っても。あの森の中の桜の木からここまで運ぶだけにしたの。後は、自らの力で癒えていくことを願って」  「じゃぁ、今からでも、弟の目を見えるように魔法をかけてくれよ。何かお礼が必要なら、何でも用意する。お金でも物でも、代わりの目でも。そうだ、俺の目を弟に…」  「それはできないわ。どんなにお金や物を貰っても、やってはいけない事に変わりは無い。まして、弟さんの代わりに悠一君の目が見えなくなって、悲しむ人がいないとでも思っているの?悠一君が弟さんの目を悲しんでいるように、今度は弟さんが悠一君の目を悲しむ事になる。そんな事、望まないでしょ?」  「そんな…」  七々子さんの言葉は、必死に訴える悠一君には辛く、握っている拳は、小さく震えていた。  「魔女にはね、破ってはいけない掟があるの。その掟を破ると、もう二度と魔法が使えなくなってしまうんだよ。だから、分かってあげて。二人が怪我をしたあの時、七々子さんの魔法があったからきっと、今の二人でいられるんだよ。今日だって、七々子さんの魔法があったから助かった。これからもきっと、七々子さんの魔法に助けられる人たちがたくさんいるんだよ」  悠一君の固く握られた手をぎゅっと掴んで、私も必死に思いを伝えた。  「今日、悠一君が花音ちゃんを守ってくれなかったら、絆創膏だけの傷じゃ済まなかったはずよ。それは、悠一君が怪我をして一人になって、私たちと仲間になったから、守れた事だと思うの」  悠一君の手を握る私の手の上に、雪子ちゃんの白くて柔らかい手が重なった。  「弟の目が見えなくなって、代わりに悠一が本を読むようになったから、この図書館に通うようになった。そこで花音ちゃんと出会わなければ、こんな風に俺たちが仲間になることなんて、無かった。失ったモノは大きいけれど、これから手にするものも、きっとたくさんあるはずだ。俺たちがそうだったように、きっと、弟だってそうだよ」  3人の手の上に太輔君の手が重なったら、悠一君の固く握っていた手の震えが止まった。  「…目が見えなくなった弟も、こんな風に仲間ができて、楽しい事があるのかな…」  みんなに見つめられている悠一君の目は、涙で潤んでいた。  「うん、あるよ。悠一君がお兄ちゃんなんだよ、それだけでもう、楽しいんじゃん」  「確かに、悠一は本来、騒がしい奴だからな」  「そうね。それれから、悠一君は絵も上手だけれど、歌も上手よね。たまには本を読む代わりに歌を歌ってあげればいいんじゃない」  「えー!歌が上手いなんて知らなかったぁ」  「何だよみんな、勝手な事ばっかり言って」  私たちが笑い合っているのを見て七々子さんも笑って、本当は静かにしなきゃいけない図書館には、楽しい笑い声が広がった。  「この図書館は後、1年で無くなっちゃうけど、みんなの思い出の中にあるなら、幸せね」  七々子さんが図書館を見渡しながら、ポツリと呟いた。  「思い出の中だけなんてヤダ!あと1年だけなんてヤダ!大人になっても、おばあちゃんになっても、この図書館に来たいよ」  私が思いのままを口にすると、雪子ちゃんも後に続いた。  「七々子さんの魔法で、図書館を守れないのかしら?」  「そうだ!さっきの箒みたいに、周りには見えないように魔法をかけるとか」  悠一君が、七々子さんがしたみたいにパチンと指を鳴らして、閃いた。  「どこか、別の場所に移すとか」  太輔君は真剣な顔をして、別の提案をする。  「ありがとう。でも、魔女は自分の為に魔法を使ってはいけないのよ」  「いいえ。七々子さんの為じゃ無くて、私たちの為に残して欲しいの。これからここを必要とする人がきっと現れるわ」  「そう!お野菜やお漬物を持ってきてくれるおばあちゃん達の悩みを解決する、手作りのお茶やお守りをあげるように、困った人の助けになる。そんなお守りみたいな存在になって欲しい。だから、私たちの為に魔法をかけて」  「命を救ったり、怪我を治したり、世界を変えたりするような事は、もう望まないから、誰かを少しだけ幸せにする魔法をかけてあげてくれよ」  「花音ちゃんが俺たちを繋いでくれたように、七々子さんとこの図書館が誰かの背中を押してあげて欲しい」  「みんな…ありがとう。ありがとう…」  虹色に変わる七々子さんの目からは、透明な涙がこぼれ落ちた。  私が七々子さんの腰に抱き付いたら、雪子ちゃんも反対側から抱き付いて、私たち二人の肩に太輔君が手を置いたら、太輔君の背中に覆いかぶさるように悠一君が長い両腕を伸ばしてみんなをギュッと抱きしめた。  「苦しいけど、温かい。…幸せだ」  七々子さんは涙をこぼしながら、笑った。    中学生になった夏。  取り壊わしが進む旧校舎を見に来た。けれど、視線は小さな花壇がある隣の空き地に吸い寄せられる。  何も無いのにその空き地を見ると、懐かしいような、胸がじんわり温かくなるような感情が沸き起こり、嬉しくて、泣きそうになった。  「花音」  「花音ちゃん」  「花音ちゃん」  名前を呼ばれて振り向くと、悠一君と雪子ちゃんと太輔君がいた。  「あれ?今日、集まる約束してたっけ?」  「イヤ、何となく」  「自然と足が向いたのよ」  「俺も。そしたらみんながいるから」  私たち4人は笑い合いながら並ぶと、自然と空き地に目をやって、思い出せない誰かに笑いかけた。  了
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